ステップファミリー

ステップファミリーでのご縁 実母、義母、そして3人目の母

ステップファミリー

ステップファミリーでのご縁 実母、義母、そして3人目の母

子連れの夫と結婚し、27年の月日を経て熟年離婚するに至ったまとめ記事はこちらをご覧ください。↓

30年ほど前、思春期に差し掛かろうとしている息子を連れた夫と結婚しました。

先妻は既に他界していて、私とは面識が全くありません。

継母になる覚悟を持ちステップファミリーを選びましたが、結婚生活は初めから困難の連続でした。

子ども好きとはいえ、子育て経験もない未熟な私が、母親役を務めようとしているのですから、今考えると無理はありません。

そのうえ協力してくれるはずと信じて結婚した夫は、自分の息子にはまるで無関心だったのです。

それより何より私を一番悩ませたのは、夫の母親でした。お金や物を使って夫や継子に関わろうとするのが私は嫌いでした。

夫より一回り以上も若かった私に、可愛い孫を任せたくなかったのでしょう。

毎日朝夕やってきて、無神経な発言や意地悪をするばかりで、それでいて私の力になろうとはしてくれないのでした。




そんな中、私と継子のことで一緒に悩んでくれたり、悩む私を食事などに連れ出してくれたのは、3人目の母であるBさんでした。

彼女は亡くなった先妻の母親です。

実母、義母に続いて、継子のおばあちゃんである3人目の母親です。

Bさんは「仕事に忙しくて娘に構えず、私はあまりいい母親ではなかった」と、時々私に何かを白状するような口調で言っていましたっけ。

Bさんの娘である先妻は、継子が幼い時にこの世を去っていますから、さぞ辛かったことでしょう。

そんな気持ちもあってか、娘が残したたった一人の孫の継母である私に、いつも気を遣ってくださいました。

継子のことや子育てのこと、夫や姑のこと、私の悩みにはいつも真剣に耳を傾け、時には笑い飛ばしたり共感してくれたり。

Bさんは私にとって辛い気持ちの逃げ場のような、大きな存在で居続けてくださいました。

明るくて強くて厳しいけれども優しいBさんとは、3人の母のうちで一番分かり合える気がしたのです。

継子は感受性の強い時期に父親と私が結婚したこともあってか、不安定な時期が続きましたが、長い月日を経てようやく元の明るい彼に戻りました。

この辛い期間、悩む私を支えてくれたのは間違いなくBさんでしたし、Bさんがいなければ私は継子共々精神的に参ってしまったと思うのです。

継子が明るさを取り戻しホッとしたのも束の間、Bさんは亡くなってしまいました。

私と継子ふたりで会話をし続けているのをうっすら微笑みながら、一筋の涙を流しながらBさんは最期を迎えられました。

それから10年が過ぎ、その間に義母は亡くなり、3人いた母の中で実母だけが健在です。

立派に大人になってくれた、継子をはじめ3人の息子たちが私の大切な宝物です。

3人目の母であったBさんが、今とても懐かしく思えます。

子どもたちが成人し社会にでたことを機に、私は夫と離婚するに至りました。

もしBさんがまだ生きていたら、きっと「今まで頑張ったね、幸せに暮らしなさい」と、私の決断を応援してくれたと思います。

幼い頃から「悩みや苦しみを誰かに相談する」という経験を積んでこなかった私にとって、重たい悩みを洗いざらい打ち明けることができたBさんとの出会いは貴重でした。

また、継子である長男は誰よりも私や弟たちのことを考えてくれる優しい大人になり、家族の中で一番頼りがいのある存在になってくれました。

辛かった日々も多くありましたが、亡くなったBさんとの思い出は、私や継子の胸の中にいつまでも残ることでしょう。

どんな辛い出来事も、振り返ると意味がありますね。

実母には弱音や本音を言えず、義母にはいじめられた私ですが、なんでも打ち明けるられる3人目の母がいてくれたおかげで、この結婚での窮地を乗り越えることができました。

苦しみの日々を乗り越えたからこそ、揺るがない継子との信頼関係を得ることができたのでしょう。

夫と結婚した私ですが、実はその子どもである長男やBさんとの出会いにこそ深い意味、ご縁があったのかもしれません。

離婚することになりましたが、この結婚で私はたくさんの事を学ばせてもらいましたし、本当に感謝しています。

さて、その経験を経て残された私の人生をどう生きていくべきか…。

…なんてカッコいいことを言っても、実際には忙しさに振り回されながら、ドタバタと日々が過ぎていくのでしょうね。

子どもたちの幸せと、実母である母の健康を祈りながら、自分自身も精一杯生きていくしかないですね。





なんの知識もないまま継母になった私が、どんな不安を抱え、プレッシャーを感じていたか。子育てを終えて振り返り、思うことを書いています。↓