ためこみ症

「片付けない」生きるための現実逃避 夫の突然の入院(後編)

ため込まれたモノで埋まるリビング ためこみ症

「片付けない」生きるための現実逃避

現実逃避というとネガティブな響きがあるように思うのですが、ストレスを避けるなど精神衛生上必要な時もあります。

夫が検査のため突然2週間の入院となり、その一つ目の週末を迎え、私は意気揚々とあちこちの掃除に勤しみましたが、2日目にして早くも私は思わぬ絶望感に襲われました。

「夫が生きている限り、私は何も捨てることができないのだ」と痛感したのです。

どれもこれもが処分すれば「あれはどこにやった?」と、間もなく退院してくる夫に聞かれそうなモノばかりだと愕然としました。

ぎっしり細かいモノが詰まった紙袋のどれもこれもが、「夫の存在」を主張してくるのです。

実際のところ、私が少し処分したところで状態は変わらないでしょうし、すぐさま夫は物を買い込んで補充したでしょうから、状態は一向に改善しません。

多少はこの状態に耐えている私の気晴らしにはなったでしょうが…。

ですが、それすらも今の私にはできないのだと痛感し、私の気持ちは暗く沈んでいきました。

そして私は日頃どれだけうまく現実から逃避し、生きているかを知ったのです。

「片付けない」選択

絶望を感じ、ひとり沈んでいるところに友人からLINE連絡が入りました。

夫の入院のことを友人には事前に伝えていたので、さぞ私が夫のいない休日を満喫し、くつろいでいるかと明るい文面です。

私は正直に、何も捨てられず普段には無いくらいに落ち込んでいることを伝えると、「今は片付けることなど忘れて、気持ちをゆっくり休ませることが大事」と、励ましの返事をくれました。

そうだそうだ、片付けようと思うのはまだ早い。「夫が生きている間はこの大量のモノと決別することは不可能だ」と知っていたではないか。

物が溢れるこの状況は異常だと、夫はこれっぽっちも感じていませんし、むしろ周りで困っている私たち家族がおかしいのだと考えています。

どんな問題もそうだと思うのですが、本人に自覚がないことは解決が困難です。

私はいつもの「片付けを諦める」という気持ちを呼び戻しました。

友人が言ってくれたように、今は夫がいないのだから気持ちだけでもゆっくりしようと決めました。

はじめの土日はそんな事がありましたが、友人の励ましのおかげで気持ちを切り替え、久しぶりにため込み症の夫のいない空間で、ゆったりと過ごす事ができたのでした。

もちろん物で溢れかえる部屋の様子は、視界には入っていますが、意識には入れないようにしていますが。

走らない倉庫がわりの車

さて、気を取り直した私は、ネガティブに引っ張られないように注意しながら、普段夫がいるとじっくり見ることが出来ない箇所を見るだけ見てみようと考えました。

気持ちの切り替えはこの困難な生活のおかげで上手くなったものです。笑

一つ目の週末で私は落ち込んでしまったことを肝に銘じて、二つ目の週末を強い気持ちで迎えました。

まず夫のワンボックスカーの中を見てみました。

勇気を出して久々に見ると夫の車は運転席もモノで埋まっている

勇気を出して久々に見ると夫の車は運転席もモノで埋まっていた

久々に車のキーを探し出してドアを開けた途端、雪崩が起きていろいろなモノが落ちてきました。

かろうじてハンドルが見えていますが、運転どころか運転席に座ることも不可能です。

ため込まれたモノで埋まる夫の車の車内の様子

運転席から見た車内の天井まで物が詰め込まれている様子

上の写真は運転席から後ろの車内の様子を撮ったものですが、天井スレスレまでモノが詰まっています。

この車を処分することが、この頃の私の一番の願いなのですが、これではかなりの時間と労力を要しそうです。

いやいや、そんなことを考えては先週と同じように、また私の心は沈んでしまう。

今は現実の把握にとどめるだけにしておかなくては。私は自分の気持ちにブレーキをかけつつ点検していきました。

思えばこの車は15年ほど前に購入したのですが、家族揃ってこの車で出かけたのは数えられるほどしかありません。

子どもたちが大きくなるにつれ次第に車は物置となり、現在この状態になっています。

走らない車など要らないと私は考えるのですが、ため込み症の夫はそう思わないようで、他のことは究極にケチなのにこの車の保険代や税金、車検代は惜しまないのですから理解できません。

お金をかけることが必要だと思う対象が私とは真逆なのだと、改めて思いながら車のキーを元の場所にそっと戻しました。

物まみれの寝室の様子

ため息をつきながら、次は夫の寝室を見てみました。

寝室にもため込まれた大量のモノ

寝室にもたくさんのモノが溜め込まれている

ここは友人が私を「ドラちゃん」と呼ぶ由来で、夫のモノが増え続けたせいで、私は押し入れに体を入れて夜は眠っているのです。

時計は遠い昔に止まっていますし、テレビは内臓の録画機能がいっぱいになっているはずですが、電源が入ることはありません。

寝る時にこの部屋に出入りはしているのですが、私より先に夫が寝室にいますし、出る時は夫が後なので、じっくり良く見たのは久々のことでした。

まあ、想像通りですが大変なことになっています。

たくさんのモノに埋もれていますが、子どもたちが小さかった頃に遊んだキーボードが台に乗ったままこの荷物に埋もれているはずです。

しみじみこれは大変なことになっていると思いましたが、今は何も考えないでおこう、と気を取り直した私でした。

生きるための現実逃避

そんなこんなで2週間はあっという間に過ぎて、夫は退院してきました。

退院してから食事には気をつけているようですが、毎日朝から晩までテレビの前に座るいつもの暮らしに戻っています。

私も夫の留守中にあちこち点検した事は忘れるようにして、何食わぬ顔で仕事と家事に忙しくしています。

この短い期間に、私はいかに普段うまく現実逃避しているかを思い知りました。

夫からも大量のモノの山からも目を逸らし、目では見ているけれども意識しないようにして暮らしてきたのです。

まともに向き合っていたら私は身も心も崩壊していたでしょう。

「現実逃避」はあまり良くないイメージの言葉なのかもしれませんが、自分では解決のできない問題を抱えている人間にとっては、生きていく術でもあります。

何事にもタイミングがありますし、解決できる時が来ることを粘り強く待ちながら、その中でも楽しみを作ることを惜しまずやっていこう。

普段心の支えになってくれている友人や、日々の笑いや幸せを与えてくれる周りの方への感謝の気持ちをいつも忘れず、自分らしく生きていたい。

この期間を経て改めて私が感じた事です。

あと何年したら片付けに取り掛かることができるのか、全く予想ができませんが、必ず綺麗にして子どもたちに迷惑のかからない形で引き渡したいと思っています。

今のところは現実逃避を生きる術にして、暮らして行くしかないと覚悟しています。

うっかりすると悩みの泥沼にハマってしまいますからね。

やれやれ…まるで喜劇のような私の人生ですが、どうにかこうにか楽しんでいきましょうか。

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