結婚して27年目。
今、私の手元には夫と私、友人夫婦の4人分の署名がきっちり入った離婚届が置かれています。
そして数年ぶりに夫と私は向き合って顔を見ながら話をしました。同じ家に住みながら数年ぶりに会話する内容が離婚の話だなんて。
重度のためこみ症で、感情のやりとりができない夫と過ごす中でいろいろと悩みながら私の気持ちは変化してきました。
「離婚」は結婚して早い段階で私の選択肢に浮かびましたが、その道を選ぶことはなく長い間心の奥底にしまわれていたのです。
先に投稿した記事に書かせて頂いたとおり、ついに私は1ヶ月ほど前我が家を出ました。
今まで夫とのすれ違いや理解不能な部分ばかりを書いてきた気がしますが、家を出るという場面になって初めて私は夫と本当の意味での会話ができたような気がします。
夫の名誉挽回のためというわけではありませんが今回はその経過を書かせていただこうと思います。
妻に無関心な夫
家を出ようと決心した時点で私は具体的な日にちを心の中で決め、まずは住む家を決め、そこに移るために1ヶ月ほどかけて私は荷物を運び出し続けました。
もちろん夫に気づかれないようにではありましたが決行日間近にはほとんどの私の物が我が家から消えていたのです。
「少しは気づいてくれていた方が話しやすいだろう」と考えていたのですが…。
記事にも書いた事がありますが、妻や家族も含めて夫は自分以外に関心がありません。今回改めて私はその事を感じて驚きました。
家を出ますと宣言した私に夫は心底驚いた様子で、何も気づいていなかったのでした。
他人への関心の無さはためこみ症と無関係ではないと私は感じています。
信頼関係を築けなかった夫婦生活
「家を出ます。」という最初の切り出しは感謝の気持ちから先に伝えようと私は考えていました。
何しろ私たち夫婦は全く会話のない状態なのですから、私からどう話しかけるかということは話の展開に大きく影響するだろうと思ったのです。
実際に夫のおかげで子どもたちが存在するのですし、モノに埋もれているとはいえ住む家にも困らずに生きてこられたのは不満はあれど夫のおかげです。
夫はためこみ症という心の病気であると共に、おそらく障害のレベルで他人の感情を読み取ったりする事が難しいのです。サラリーマンとして働き続けた事は本人にとっては私の想像以上に大変な事だったのではと思います。
相手の気持ちにクッションを置く気持ちで「今までのことは心から感謝しています。今日は私から話したい事があります。」と私は切り出しました。
昔の夫なら「早く出ていけ!!」と怒鳴っただろうと思うのですが、歳を取って丸くなったのか驚きつつ何度も「なぜだ?何が不満なのだ?」と首を傾げて私に理由を問うだけでした。
挨拶もしない、会話もないけれど夫婦は歳を取ればこんなものじゃないのか?という夫。
夫がこの夫婦関係を何とも思っていないことに私は驚きましたが、それは感情のやりとりが苦手な夫にとって偽りのない素直な気持ちなのだとすぐに納得できました。
不思議そうな顔をしている夫に、私は丁寧に正直な気持ちを伝えました。
座る場所も無い家で過ごす事がこれ以上我慢できないこと、私たち夫婦はバラバラで心のつながりを作り上げられなかったこと。
結婚当初から家事も育児も1人で悩み乗り越えてきたこと。そして同じく夫も悩みなど私に話すことも無かったこと。
悩みや苦しみを分かち合うことで夫婦の絆ができるのだと私は思うけれど、いくら訴えても一緒に悩んでくれるどころか耳さえも貸してくれなかったこと。
簡単な挨拶さえできない無言の夫婦の関係をこの先も続けていくことは私にはこれ以上できないこと。
土台のない夫婦関係にひとくぎりつけたいと考えていること。
決して恨みがましくならないように私は淡々と話し、それを夫は逆上する事もなく静かに聞いていました。
激怒するのではないかという予想に反して夫は穏やかな笑みさえ浮かべていたほどで、予想以上の穏やかさに私は今まで思ったり感じた事を遠慮せずに言えた気がします。
リビングの座椅子に夫は座りその横に私が突っ立って1時間程でしょうか?私には座る場所も無いので仕方ないのですが、夫はその事にはまるで気がつきません。
話し合いを通して感じたのは、モノがいっぱいで私が困り続けてきたことに関してはやはり夫には理解ができない事でした。
私が玄関前で昼寝している光景を見ても何も思わないのです。夜は押し入れで眠るしかなく、食事はキッチンの椅子で味見用のお椀を手に手早く食べるという毎日を私は過ごしてきましたが、私がどのように食事を摂っていたかも関心がない夫は知らないのです。
もちろん私はこれまでに至るまでにいろんな手段を使って夫に片付けて欲しいと訴えましたが全く夫の心には響かず、何が困るのだ?と理解できないのです。
そして離婚話を切り出した段階でもそれは変わらず、何故か夫には大量のモノについては私や子どもたちの感覚を受け入れられない様でした。
その他のことに関しては少しは身に覚えがあるのか「そうだなあ…」と反省する様子もみられました。
私は離婚したいと強く希望したのですが夫はそれにはどうしても賛成できない、少し時間をくれとのことでした。
もちろん、切り出したその日のことですから時間が必要なのは当たり前です。
突然のことで夫は困るだろうとその日の夕食用にスーパーでお弁当を買ってきていたので、それを夫に手渡して私は新居に向かいました。
損か得かの価値観
その後、週末ごとに家に戻り夫と話しました。
私は別居は考えておらず、離婚したいという思いで夫との話し合いに臨みました。
一旦家を出たらきっと私は戻ることはないでしょう。何より私と夫の間に精神的なつながりが何ひとつないまま何年続くかわからない別居生活を夫婦という形のまま長引かせることは苦痛だと感じたのです。
夫は熟年離婚は「損」だと力説し、自分が死んだ後お前は遺族年金をもらう事ができ「得」なのだから別居で良いではないかと。
けれどもそれは5年後かもしれないし20年後かもしれない…。
「財産は何も要らないから年金分割の手続きだけしてほしい」と希望したのですが、今現在すでに夫は年金を受けており、手続きすれば即もらう額が減るので「損だ」とのこと。
お金の話になりますが、夫は5年ほど前から私の年収と変わらないほどの年金をもらいながら家にお金は入れずに投資に回してきたのです。
私と離婚すれば生活費も自分で払わなければいけませんし、その上年金分割で年金が減るのですから実際「損」という言葉になってしまうのでしょう。
私と離婚するかどうかの時になってやっぱり一番にくるのが損か得かという事なのです。
損か得か?
まあお金はもちろん大事ですから綺麗事ばかりは言えません。
ですが、結婚当初から一番に損か得かを考える夫には何度も違和感を感じたことがあったなあと私は思い返していました。
夫は何かを考える時、目に見えない人の感情や気持ちよりも損得などの金額…つまり数字で表せるものを重視するのです。人の感情を理解する事が苦手ですから自然とわかりやすい「損か、得か?」という判断基準で物事を見ているのだと思います。
それはお金に限らず人間関係でも同じように思えます。
モノを無限に溜め込んでいるのもそのためでしょう。ガレージセールなどで買ってきたモノに対して夫は「得」だと感じているのです。使う使わないは関係ありません。
空間を空けておくことは「損」つまり不安だと感じ、モノを詰め込むことで「得」つまり満足を得ているのだと思います。
夫には本能に近い感覚だと思うので周りの家族が困っている事が彼には理解できません。
今回の件でも夫からすれば、なぜお前は離婚という損をする道を選ぶのだ?という疑問でいっぱいです。
逆に私は何か決断する時、「損か得か?」という問題の優先順位はかなり下です。
そりゃお金はあった方が良いに決まっていますが。笑
だからと言って自分らしくない決断を「得するから」という理由では選ばないということです。
これは価値観の違いですし、私が正しくて夫が間違っているとは思いません。
「得」の方に何の抵抗もなく進んで行けたら私はもっと苦労せずに生きていけたのかもしれません。
本心からの感謝を
3度目の週末に話し合いに出向いた時には夫はとても穏やかな顔で待っていました。
何やらYouTubeで「熟年離婚」に関する動画をたくさん見たらしく、多くの人がその問題に直面し離婚に踏み切っている事を知ったからか、自分だけではないとある種の安心感を得た様でした。
離婚届にも署名をし、年金分割を拒否されたら私は老後に生活できない事を伝えるとあっさりそれも承諾しました。
この離婚話になって久々に夫婦お互いに顔を見ながら言葉を交わし、最後は雑談も交えながら話す事ができたことに私は感動すら覚えました。
近々一緒に年金事務所に出向く約束し、さて帰ろうとした時夫がもぞもぞと座椅子の上で私の方に体の向きを変えて
「今までありがとう。体に気をつけてな。」と言ってくれたのです。
私もしっかり夫の顔を見ながら
「こちらこそ、今までほんとにありがとう。お互いに残りの人生楽しみましょう。」
笑顔で別れる事ができました。
こんな感情のこもった言葉を夫から聞いたことはなかったと言っても過言ではありません。そして反省すべきはそれに甘んじて私も夫に対して…数年前から話す事をやめてしまった頃から夫に対して優しい言葉かけをしてこなかったのです。
夫婦がうまくいかなくなるというのはやはり両方に反省すべき点が同じくらいにあるという事です。
この何度かの話し合いを経て夫なりに彼の価値観の中で私を大事にしてくれていたのだと感じました。
これを機にもう一度やり直せるか?と最後の話し合いを終え数日は考えたほどでしたが…たくさん考えましたがやはりここで思い切らないと、きっとまた同じことで悩み続けるだろうと私は思いました。
何より恨んだり憎みあって別れることにならなくて私は本当に幸せだと思います。
これまでの生活は大変ではありましたが私はその期間にたくさん悩み考え、成長できた部分が大きいと思います。
夫が無関心だったためにワンオペの家事育児にはなりましたが、考えようによっては私が思う様に好きなことをして子どもたちと過ごす事ができたのです。
やはり感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。
夫はこれからも変わらないとは思いますが、私へ感謝の気持ちを口にできたということは少しずつ何かが良い方向に変化してくれたらいいなと思っています。
激動の、家を出たいと子どもたちにカミングアウトしてからおよそ9ヶ月間の期間をしみじみ振り返りこれからのことを考えました。
この決断で私を含め夫や子どもたちが今は心に傷を負うかもしれませんが、結果これで良かったのだといつの日か思える様に私は努力していくつもりです。
もちろん離婚したとはいえ、この先いつか夫が亡くなった時にはため込んだ大量のモノの処分や掃除などは子どもたちと一緒にするつもりです。それはそこで長年暮らしを共にした私の責任もあると思うからです。
ためこみ症に関しては私はこれからも考え続けるでしょう。夫とも今までとは違う形で一歩引いて客観的に見る事ができると思います。何より愛する三男はまだ自宅からの通勤を続ける気でいますから私は離れていますが彼を全力でサポートしていくつもりです。
今回の私の決断は子どもたちをはじめ私の母や兄弟、友人たちにも支えていただきました。その辺りのことやためこみ症に関してもこれからも書かせて頂こうと考えています。
離婚届を手にして今、残りの人生をしっかり生きていこうと思っています。
コメント
こんにちは、ため込み症のこころの襞をよく分析されていますね。
あらためて妻の症状にあてはめてみるとなるほどなぁと思います。
自分は、別居という形をとり13年ほどになりますが
同居のままでは争いが絶えず気が狂いそうでした。
家族は苦しんでいても本人はものに囲まれていることが快適なのでしょうね。
ため込み症の情報が少なく相手を変えようとして苦しんでいる方の
参考になるとおもいますので引き続きブログ頑張ってください。
残りの人生を有意義に過ごしていきましょう。
風姿花伝さん、こんにちは。
13年間奥様と別居されているのですね。そこに至るまで苦しまれた事は我が身の様に感じます。今回私は離婚という決断をしました。一生を全て夫や家の状況に振り回されて良いのだろうかと改めて考え、他人になった方が夫に対して優しい気持ちになれるのではという私自身の問題解決のためでした。ですが夫は身内とも連絡を取らず友人もなく、子どもたちとも関係性ができていません。これからは「妻ではない立場」で夫と関わり、この「ためこみ症」という病気……私は本能や習性に近いものではないかと考えているのですが、以前より客観的に見る事ができるのではないかなと思います。また考えがまとまる毎にためこみ症について書かせていただきます。自分の心を整えながら残りの人生をしっかり生きていきますね。ありがとうございます。