継母になるということ
まさか自分が子連れの人と結婚する事になるとは考えもしませんでした。
当時はステップファミリーという言葉も知られていませんでしたし今よりも少なかったのだと思います。
いろいろな事がありましたが結婚前から現在までのことをこの記事で書いています。
結婚までの不安な日々
約25年ほど前に13歳年上の夫と結婚したのですが、夫には前妻との子である男の子がいました。
前妻は亡くなっていて私との面識はありません。
職場で知り合った私とのお付き合いが始まりまったのは子どもが10歳の頃で、すぐに顔合わせをしました。
色白で顔つきも可愛らしく、まるで白うさぎのようなイメージで「なんて純粋で可愛らしい子だろう。」と思ったのを覚えています。
子ども好きだった私は相手に子どもがいるという現実を受け入れるのに時間はかかりませんでした。
それでも「この子のお母さんになれるのか」という不安が強く、夫との付き合いが進んでくると逃げ出したくなる時もありました。
先の事をあまり考えない性格の私でしたが、とにかく不安でした。
マリッジブルーという言葉もありますから、子どもがいなくても不安になる時期なのでしょうし、私が不安になったのも無理のないことだったのでしょう。
一番の不安のもとになったのは、夫が子どもに対して「お父さんはこの人と結婚するのだよ」ときちんと説明してくれなかった事でした。
子どももこれから一緒に暮らしていく家族なのですから分かりやすく説明をしてあげるべきだと私は考え、夫にそのように伝えました。
夫は面倒くさそうに簡単に「この人と結婚するからな。」という説明で終わってしまいました。
私も不安でしたが継子はもっと不安だったに違いありません。
母親役が務まるだろうかという不安ばかりが私の中で膨らみましたが、それでも継子のあどけない笑顔を見ると何とかやっていくしかないと自分に言い聞かせていました。
そんなふうに結婚までの日々は不安が募るばかりでした。
「良い母に」というプレッシャー
継母というとどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。
物語の中では、感じの良い継母はあまりいないように思います。
たいていは自分の産んだ子を可愛がり継子をイジメる意地悪な役目と決まっています。
そんなイメージを持っている継母という立場に自分が立つ事になろうとは予測もせずに生きてきましたから大きな戸惑いがありました。
今のようにインターネットでの情報もなく、近しい人に似たような環境の人もおらず、私は日々継子に対してどう接したら良いかを模索していました。
頼りにしていた夫は自分の子に関わらず全くと言っていいほど関心もなくコミュニケーションすらとろうとしないのです。
私は物語の中にいるような意地悪な継母にはなりたくありませんでしたし、周りからそう思われることを恐れてもいました。
暗闇の中をひとり手探りで進むような毎日でしたが、間もなく妊娠し体調も悪い日が続きました。
そんな中でも妙に継子に気を遣ってしまうのでした。
つわりのきつい時期なども継子の前では平気を装い我慢したり、一緒にいる時はいつも笑っていなければならないなど、常に優しい母にならねばと良い母の仮面をかぶっているような日が続きました。
赤ちゃんが産まれた時継子は13歳でした。感受性の強い頃です。
世話に追われて継子に寂しい思いをさせないだろうかと私は気を揉み、変に気疲れしていました。
子どもたちへの愛情は平等にかけなければいけない、継子の良い母にならねばならないという大きなプレッシャー。
今でも忘れられないのは、ある日私との何気ない会話の中で、継子が笑顔で言った言葉です。
「僕のお母さんは死んでしまったからね。」
当時は気付きませんでしたが、「無理してボクのお母さんを演じなくていいんだよ。」と、私のプレッシャーを和らげようとしてくれたのだと思います。
3歳のころに亡くした母の葬儀ではずっと泣き続けていたという継子。彼は私よりもずっと達観していて大人だったのかもしれません。
「母親は死んだ」という現実を継子はとっくに理解していたのに、私は「この子の良いお母さんにならなくてはいけない。」という考えにがんじがらめになり一人で焦っていました。
だいたい何の経験も無いのに初めから立派な母になれるわけがありませんし、彼を産んだ母には決してなれないのです。
その頃の私は、やはり子どもの事よりも自分のことばかりに意識が向いていたのでしょう。
「良い母ならここでこうするだろう、こう言うだろう。」という頭で考えてから継子に接していた私。
精一杯頑張ってはいたのですが、さぞ窮屈な継母だっただろうなと反省することがたくさんあります。
ありのままの私で接することができたらお互いにもっと楽だったのかもしれません。
継子とのご縁
残念ながら私たち夫婦は長い年月を経ても感情豊かな関係を作る事はできない夫婦のまま今に至っています。
夫は病的に感情の通じない相手であり、ためこみ症という病癖で家族を悩ませ続けています。
夫には夫の言い分があるのだと思いますし、私にも反省するべき点がたくさんあるのでしょう。
夫とはそのように温かい関係を築いてこれなかった私ですが、ひょっとしたら継子とご縁でこの結婚があったのかも知れないと考える事があります。
次男が生まれ、三男が生まれ、思春期にあたる頃の長男には複雑な思いをさせていたと思います。
それはいくら私が気遣ってもカバーできるものではありませんでした。
しばらく引きこもりのような期間が続き私は子育てと継子である長男のことで数年間にわたり気を揉み続けました。
ですが長いトンネルを抜けるようにその悩みたちは去っていきました。
いろいろな事がありましたが、継子をはじめ3人の息子達のおかげで私は心の幅を広げてこられたように思えます。
子育てを終えて今
そして20数年の月日が経ち、成人した子どもたち3人が仲良く並んで話している様子を見ると感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
3人ともそれぞれに個性豊かに育ってくれました。
歳の離れた兄弟達は名前で呼び合う「友達」のような関係であり、その子ども達と私もまた、色々な事を乗り越えてきた同志であり仲間のような関係といえばよいでしょうか。
あまり母親らしくない母親なのかもしれませんが私はこれがベストな関係だと思っています。
あんなに不安を感じ関係作りに悩んできた継子である長男が今では我が子たちの一人としていないことは考えられない存在です。ありがたいことです。
カタチに囚われずに、お互いを認め合い尊重できるような家族関係。そこには継子や継母というワードはありません。
一言で継母といっても、お互い子連れのケースもあるでしょうし、前妻との関係なども絡んでくるでしょう。継子の年齢や性別、人数などでも悩みは変わってきますから難しい問題もあるでしょう。
継父になる方も多いでしょうし、いろいろなケースの家族が無数にあるのだと思います。
今慣れない継母や継父の役目に疲れ悩んでいる方に、心からエールを送りたいです。
カタチに囚われずありのままで頑張ってくださいと。
きっと神様が下さったご縁に感謝される日がやってくるでしょう。
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