ためこみ症

離婚するのかしないのか?苦渋の決断|ためこみ症の夫

食卓の上に並べられた夫のモノ ためこみ症
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離婚するのかしないのか?苦渋の決断

咋年末大きな決意をした私でしたが、これまで生きてきた中で一番辛い年末年始を迎える事となりました。

大きな決意とは重度のためこみ症であり、感情のやりとりが難しい夫とついに離婚しようという決意です。

99%離婚して家出を決行する勢いだったのですが…。

結論を先に申し上げますと、離婚は今回は見送りとなりました。

それは離婚を決意した時と同じほどの苦渋の決断でした。

ようやく気持ちが落ち着きつつある今、離婚の決意がどのような経緯を辿ったかをお話しします。

際限なく増え続けるリビングルームに溜め込まれたモノ

夫のためこみは止まらずついに私は離婚を決意

賽は投げられたが…

重度のためこみ症の夫と暮らして30年近く悩み続けることに疲れ、ついにピリオドを打とうと強く決意した私。

子どもたちも社会に出た今、そろそろ自分のこれからを優先して考えても良いのではないかと私は考えました。

昨年秋頃から決意を固め、年末に次男が帰省した際に3人の息子たちにまずはその件を伝えようと決めていました。

息子たちのことを簡単に説明しておきます。

長男は夫の連れ子、つまり私にとっては継子ですが兄弟の中でも一番私や家族のことを考えてくれ今は独身で近所に住んでいます。

次男は一昨年前の春、就職のために遠方で自立。私の悩みに一番寄り添ってくれ、一緒に食べ歩いたりサイクリングに出かけるなど何でも話し合える友達に近い感覚の子です。

三男はとにかく私が可愛がった末息子で3年前から自宅通勤しており無口であまり感情を表に出しません。

父親である夫は子育てには全く関心がなく、3人とも幼い頃からやりとりがほとんどありません。

たまに実家に顔を出してくれる長男だけが父親に積極的に話しかけてくれ、家族を何とか形にしてくれています。

年末に子どもたちに離婚宣言をした後、新年が明けたら本格的に準備を始め、3月中には私の住む家の準備を整え4月には夫に離婚の申し出をしようと具体的に考えていました。

きっと「今すぐ出て行け!!」と夫が言うでしょうからそれまでに準備万端に用意しておいた新居に出向く算段です。

その「離婚宣言」食事会の前日に賽は投げられました。

帰省した次男を長男と迎えに出た車中でひとまず先に二人に離婚計画を話してしまいました。

二人は私がひとまず決意を話し終えるまで黙って聞いてくれたうえでまずは三男の心配をしました。

次男は「オレはあの父親と二人で住むことは絶対にできない。それなら一人暮らしの方が何倍も楽だ。弟は大丈夫か心配だ。」と言うのです。

次男はまだ家にいた頃よく「お母さんはこの家にいて良いのか?」とよく問いかけてくれていたので手放しで喜んでくれるのではないかと楽観的に考えていた私ですが、そうではありませんでした。

もちろん三男の心配は私もずいぶんしましたが一人暮らしの練習だと思えば良いと都合よく考えたのです。

…が、確かに感情のやりとりもできずモノをためこみ続けている父親と二人で暮らすことは一人暮らしよりも遥かに大変なことに間違いありません。

ずいぶん決意を固めていたはずなのですが、その気持ちに早くもヒビが入り崩れていくのを感じました。

でも「離婚するなら今しかないのだ」とも思います。

多少のリスクはあるでしょうが良いこともあるはずです。

長男と次男の「お母さんが選択する道なら応援するけれど弟の気持ちをきちんと聞いてみよう」という言葉を受けて翌日食事会の時を迎えました。

揺らぐ決意

普段から口数の少ない三男は兄弟が集まる機会があってもいつもは皆の話に頷くだけなのですが、今回は実は主役です。

長男と次男が見守る中、私は三男に離婚の話を切り出しました。

話を聞いた三男はしばらく考え込んでから唸るように「それはキッツイなー」と小さな声で言いました。

三男も優しい子なので初めの一言目はつい本心が出たのでしょうけれど、その後は一切ネガティブな発言はせず「仕方のないことだ」と受け入れようと頭の中をめぐらせている様子でした。

そのまま正月を過ごしましたが私は自分の決心がグラグラと揺らいでいることを感じました。

子どもがいなければきっととうの昔に離婚していたのは間違いありません。

離婚するのかしないのか?

自分の中でも刻々と変化する気持ちを吐き気に耐えながら私は冷静に見ていました。

もう一つ今更ながら深刻に感じたのは13歳年上の夫の体の状態でした。

久々に夫も一緒に床に広げたお節料理を囲んで話をしたのですが…。(長男がうまく夫に会話を投げてくれますので)

子どもたちが気づいたのは「お父さんの記憶力が怪しくなりつつある」ということでした。

普段は話さないので私は気づかないのですが確かに去年のお正月の話は夫の記憶にないようです。

普段人と全く関わりが無いために軽い痴呆症状が出ているのかもしれません。その上糖尿病がかなり進んでいるにもかかわらず生活習慣を改善する気が全くないので身体はガリガリに痩せています。

ですが人の寿命など分かりませんしそのまま長い間生き続ける可能性だってあるのです。

これ以上夫と暮らしていくことは無理だ…。でも。

介護が必要になるのはすぐかもしれない。そうなったら誰が世話をするのか?

ためこみが進むことは間違いないと考えていた私ですが、夫がそう遠く無い未来に誰かの世話が必要だということが急に大きな問題に思えてきました。

まだ独身で近くに住んでいる長男にその役割を押し付けるのか?

同居している三男がそれを担うのか?

もし結婚したいと思える相手が息子たちに現れたとしても、この夫の介護がもれなく付いてくるとしたら…。

まずは別居して私が介護に通うという案も考えましたが、プライドの高い夫のことですから「出て行け!」と私との縁を一切断ち切るに違いありません。

折り合うための話し合いなど夫にはできません。

離婚するのかしないのか?

99%の離婚の決意がグラグラし始めた私は「2週間は思い切り悩もう」と心に決めて眠れぬ夜を過ごしました。

苦渋の決断

「これからお父さんの体は悪くなるだろうけど僕が病院に入れるなり施設に入れるなりなんとかするし、家の状態もも悪くなるだろうけど、離婚したらお母さんは一切家の心配しなくて良いからね。家に残る弟は僕がサポートするし大丈夫だから。」

これは長男が精一杯の笑顔で私に言った言葉です。

「お母さんがあの家にいないならオレはもう帰ってくるつもりはないけどお母さんがオレのところにたまには来てくれよ。大変だけど頑張って。」と次男は笑顔で言い、帰っていきました。

無口な三男には、離婚時期を遅らせればお母さんより先に家を出る気はあるかと尋ねましたが、オレはこの家がどうなるかを見届けると言って家を出る気はなさそうです。

この家を出たら私は長男が言う通り、一切のことを心から切り離して私は暮らせるだろうか?

遠くないこの先に何かしら糖尿病の合併症が現れるであろう夫の世話を子どもたちに任せて、私は別の家に一人住みながら幸せを感じられるだろうか?

子どもたちのことを思い、結局今以上に苦しむことになるのではないだろうか?

悩みに悩んで、約2週間が経った頃私は今回は離婚を見送ろうという苦渋の決断をしました。

これが10年前で、夫がまだまだ元気な頃なら違う決断もできたのかもしれません。

私は自分が考えていたよりも遥かに思い切りの悪い人間でした。

きっと決行したらしたでなんとかなったでしょうけれど子どもたちに負担をかけることで私は耐えられないほどの後悔をしてしまうであろうと賽を投げた後で気づいたのです。

一歩前進

不要なモノと食料が雑多に置かれている

これからも増え続けるであろう不要なモノと食料。

まずは同居している三男に「計画中止」を伝えました。

三男はホッとした様子で「お父さんもあまり先は長くないだろうし」と言いました。(あまりこんな期待はよくないのかもしれませんが…)

離れた次男とビデオ通話でその旨話すとやはりホッとした様子で「これでオレの帰る家はまだある。今度帰ったらサイクリングに一緒に行こう」と嬉しそうでした。

長男は「どの選択をしたとしてもその道は常に最善だと思う。また気持ちは変わるかもしれないけどその時はその時で考えよう」と言いました。

そして長男は「今回のことで僕たちは1歩前進した」とも言いました。

それはきっとこの先どんな事が起きるかわからないのだと私を含め子どもたち3人が意識する事ができたということは有意義だったと言う事でしょう。

もし3人が「離婚してお母さんが出て行ったら誰があの父親の面倒を見るの?大量のモノはどうするの?」と私を責めていたなら逆に私は開き直っていたかもしれません。

1歩前進。

次に私がこの件に関して決断する時が来たならその時は本当に離婚するでしょう。

離婚を決行しようという決断もかなりしんどかったのですが、それに対して子どもたちが皆、自分の気持ちはさておき母である私を気遣い、応援してくれようとした事を私は一生忘れないと思います。

母がしっかりしなければと弱みを見せないように生きてきた私ですが今回思い切り子どもたちに心のうちをさらけ出せたことは確かに私にとって1歩前進です。

ひとりで抱え込まず子どもたちに頼りながらこれから起きてくるであろう我が家や夫の問題に向き合っていこうと思えるようになりました。

優しい大人に育ってくれた息子たち3人に感謝です。

家族の中で夫だけが何が起きたかも知らずに溜め込まれたモノに埋もれて貧乏ゆすりをしながら今日もテレビを観ています。

それにしても

一人暮らしの家をネットで検索する事がこんなに楽しかったとは…。いくらの予算でこのくらいの部屋…ということは今回しっかり頭に入りました。笑

いろんな間取りを見ては快適なスペースを想像するのは楽しいですね。クセになりそうです。笑

ということで「ものびと」記事はまだ続きそうです。

これからも茨の道が続くと思うのですが…しっかりと生きていきたいと考えています。



コメント

  1. 4月に投函したものです。 より:

    世阿弥の「風姿花伝」では人間の本質は本質的に現状を変更することに強い抵抗感があり
    変えるかどうかの決断は自分でしなけばならないといっています。
    仮に変えていい結果が出れば問題ありませんが悪い結果となればそれは変えた自分の責任になってしまいます。
    一方変えなかった場合に悪くなったとしても、それは環境のせいにできます。
    実際は変えるべきときに変えなかった自分のせいですが、人間というものはなかなかそうは考えません。変化を好まないことにも理由があるわけです。

    • tikutaku tikutaku より:

      こんばんは。いつも読んでくださりありがとうございます。本当にそうですね…。現状を変えるのはとても勇気が要ります。今の苦境に耐え続ける事は忍耐しかないと分かっているので今回私が迷った挙句に選択しきれなかったのは現状を変える勇気が足りなかったのです。何とかなるようになっていくのだと思うのですが…。私は思い切りが悪い人間なので家を出たとしても結局残してきた子どもや世話が必要になってくる夫を気にせずにはいられないと思うのです。でも私が出る事で良いこともあるはずだとは思うのですが…。(こんな感じで考えがぐるぐるまわってしまいます。)ですが、きっぱり割り切れる勇気が持てる時がこの先に来るかもしれません。世阿弥さんの「風姿花伝」また読ませていただきますね。コメントありがとうございます。