離婚

熟年離婚した私は「人生の起承転結」どの部分を生きているのか?

人生最期までどうなるかわからない 離婚

熟年離婚した私は「人生の起承転結」どの部分を生きているのか?

ためこみ症の夫とともに長年暮らし、熟年離婚するに至った経緯は、こちらのまとめ記事をご覧ください。↓

人生に起承転結があるとしたら、今どの部分を生きているだろう?

私は1年前に熟年離婚をして以来、人生どうなるか最後までわからない、としみじみ思います。

人生の「結」にいたつもりが、突然に「転」いえ、「起」にさえ戻ったのですから。

長年、家庭内の解決できない悩みを抱えていた私は、このまま一生を終えるだろうと疑いもしませんでした。

熟年になって離婚に踏み切るには相当な覚悟と勇気が必要でしたが、それは若い頃の私には持ち得ないものでした。

すべてのことにはタイミングがあると思いますが、離婚するにも同じことが言えるのでしょうね。

このブログを書くため自分の心を掘り下げ、自分の考えや気持ちに整理がついた、ということも大きかったと思います。もしこのブログを始めていなければ、以前と変わることなく「結」の部分を生き、一生を終えたのかもしれません。




臆病な性格の私は、自分の行動や発言で周囲に大きな波風が立つことを恐れてきましたし、「自分が我慢して平穏が保てるならそれが一番良い」という考えを持っていました。

自分の気持ちに蓋をして現実から逃避し、毎日を楽しむことはできましたが、いつも心の奥深くは曇っていました。

そんな生活をばっさり捨てて熟年離婚したことは、それまでの自分の生き方を根底からひっくり返す出来事でした。

「波風を全く立てることなく抱える問題を解決することは難しい」と、30代の時に通った心療内科の先生に言われましたが、今やっとその意味がわかった気がしています。

何かをやろうとすれば、小石を池に投げるように必ず波が立つのです。それが大きくても小さくても、その波を恐れて石を投げないのなら何も状況は変わりません。

解決できない悩みを抱えたまま、最期まで生き抜くのも選択肢の中にはありましたが、勇気を出して「転」あるいは「起」の部分まで戻れたことは、私にとっては遅ればせながら人生をやり直すチャンスなのでしょう。

ですが、思い切って行動したことで良かったことばかりではありません。

離婚を選び決行したことにより、私はたくさんの物や人間関係から遠ざかることにもなりました。

それはとても悲しく残念なことですが、あまりにも私を取り巻く状況が一変してしまったこと、悩みに支配されがちだった毎日から解放されたことで、私自身もすっかり変わったのです。

何かを得れば、何かを手放さなければならないのでしょうね。

もしご縁があるなら、離れてしまった方といつか再び交流する機会が訪れればいいなと今は考え、何事も自然に任せようという、おおらかな気持ちでいます。

人生の「起承転結」のどの部分を生きているのか?それは結局この世を去る間際にならなければわかりません。

もしかしたら、「転」のまま、最期を迎えるということもあるかもしれません。それはきっと「結」まで到達できなかった無念さを伴うでしょう。

面白い人生だった、幸せだったと人生の最期に思いたい。

いつでも「起」の部分に戻れる勇気を持ちつつ、「承」では粘り強く自分を鍛え、「転」では柔軟に物事を受け止め、「結」ではしっかりそれまでの経験を生かし、充実した日々を過ごせれば理想的です。

離婚後の生活にもようやく慣れてきた私は今、「承」あたりを過ごしているのかなと感じています。

これから先も、静かな池に石を投げなければいけない場面があるかと思うのですが、勇気を持ってその場に向き合い、自分の気持ちに正直でいたいと思っています。

だけど、また「起」に戻るのは、勘弁してほしい…かな。笑

熟年になり離婚を選択した私の自立については、こちらの記事をご覧ください。↓




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