ためこみ症

ため込み症の夫と27年間共に暮らし悩んだ日々と、その後の私

ため込み症の夫が集めた物で溢れるリビング ためこみ症

ため込み症の夫と27年間ともに暮らし悩んだ日々と、その後の私

ためこみ症の夫と27年間暮らし、悩みながら解決策を探し続けてきた私は、最終的に「離婚」を選択しました。

夫が多量に物を溜め込むことは、常に私の中で大きな悩みでしたが、一番辛かったのは同じ悩みを持つ人と気持ちを共有できないことだったように思います。

解決策が見つからなくても、似たような境遇の仲間と辛さを分かち合えたら、気持ちの持ち方が違っていたでしょう。

私の周りには同じ悩みを持つ方はいませんでしたし、我が家だけがこんな悲惨な状況なのだと、密かに悩み苦しんできたのです。

数年前インターネットで「ためこみ症」という病気があることを知り、どこかに私と同じような状況で悩む人がいるのだと知りました。

ため込み症の素質を持つ人は人口の3%とネットの記事で読んだことがありますが、本人には苦痛がないですから表には現れにくい悩みなのかもしれません。

私と同じく家族の「ため込み症」に悩んでいる方が少しでも楽になればと、私の27年の経験とその中で感じたことをこのブログで書いています。

ためこみ症の人と共に暮らすことは「闘い」

物を溜め込み、捨てることができない。

ため込み症の人がいると、人生の土台ともいえる家がめちゃくちゃになってしまいます。

その様子は、普通の生活をしている方の想像を絶するもので、床から天井まで散乱した物が積み上がり、窓を開けることすら難しいのです。

そんな家での暮らしは、「スペースが欲しいために片付けたい」家族と、「物をため込みたい」ため込み症本人の、空間を得るための「闘い」なのです。

そんな生活の中で私は3人の男の子を育て終え、離婚し家を出るという形でためこみ症の夫との生活にピリオドを打ちました。

子どもたちのおかげで私は幸せを感じることができましたが、その生活の土台は常に、夫のためこみ症に悩まされ続けてきたのです。

私が最終的に離婚を選んだことは、その家に住み続けるという点では、ため込み症の夫に「敗北」したのかもしれません。

ため込み症の夫の荷物で窓は塞がれている。

ため込み症の夫の荷物で窓は塞がれている。

はじめから大きな不安と違和感を感じた「ため込み症の夫」との結婚生活

30年ほど前に、思春期にさしかかる男の子を連れた夫と私は結婚しました。

それまで夫と息子は別々に暮らしていて、私との結婚と同時に家族3人での暮らしがスタートしたのです。

「お母さんになって欲しい」と婚前に夫に言われましたが、その言葉通り彼は息子の世話をする母親を求めていたのでしょう。

当時夫が一人で住んでいた2階建ての家に、息子と私が入ったのですが、既に玄関から2階までぎっしり物で埋め尽くされていました。

足の踏み場もないほどの靴で埋まる玄関、廊下には古い雑誌やカバンなどが所狭しと置かれ、壁にはフックに吊るされたカバンがびっしりとぶら下がっていました。

カバンが空で置かれていることは決してありません。それぞれに文具や財布、ネジや何かの配線に至るまで、様々な細かい雑貨がパンパンに詰め込まれ、最大限にふくらんでいる状態です。

居間に入るとテレビと座卓が置かれ、夫が座る場所以外はビデオテープやCDが天井近くまで積まれ、カバンや服などがいくつもの山となって高く積み上げられていました。

どこの壁や天井にもたくさんの物が吊り下げられ、のれんのようにぶら下がった物たちをくぐらなければなりませんでした。

「男性の一人暮らしだったのだからこんなに散らかったのだろう。片付ければ良いのだ。」と軽く考えていた私でしたが、なぜか片付けても片付けても物が減りません。

毎日朝夕に我が家に訪れる夫の母親にその悩みを伝えると、「物が多くて何が困るの?」と、夫とまるで同じ返事が返ってきたのでした。

その義母も同じくためこみ症だったのでした。

なぜか片付かない家、毎朝夕に訪れ長時間居座る義母、夫が全く無関心で協力してくれない継子との関係作り…。

その一つ一つが大きな悩みでした。

何より一番辛かったのは、夫がまるで他人事のようにこれらの私の悩みに無関心だったことだと思います。

「おまえは考え過ぎだ。」何でもその一言で片付けられてしまい、夫は外出するか自分の部屋にこもってしまうのでした。

子煩悩で子ども好きで優しい人だと思って結婚したのですが、私の予想とは全く違った結婚生活がスタートしてしまいました。

恋愛経験も少ない、自分のこともよくわからず傲慢で未熟な私が、夫の本質を全く見ずに自分の都合の良いように新生活を夢に描いたことが招いた悪夢のような生活。

大量に物を溜め込み、息子にも関心が無いうえに妻である私の悩みにも夫が全く関心を持たないことに、不安と違和感を感じる毎日が繰り返されました。

今のようにインターネットもなく情報のない中で、解らないことだらけでしたが、罪のない継子である息子と向き合いながら、前進するしかありませんでした。

ためこみ症の夫を変えようとしていた私の苦しみ

新築の家もすぐにため込み症の夫の荷物で埋まった

ためこみ症の家族がいる物で溢れる部屋

「片付いていることの気持ちよさ」を夫が知ってくれれば、事態は好転するのではないか?

義母がため込み症のために、夫の実家もまた大量の物が溢れていることから、片付いている気持ちよさを知らないのでは、と私は考えたのです。

綺麗好きの友人にこっそりお願いをして、夫婦で何度もお宅を訪問し、「スッキリして気持ち良いね。」と夫に伝えましたが、効果は全くありませんでした。

物だらけの夫の部屋の一部だけを徹底的に綺麗にして、おしゃれな雑貨を置いてみたりもしましたが、すぐにそれごと物に埋まってしまいました。

いろいろと試してみましたが、片付けることに口だけは同意しながらも、夫は物をため込み続け全く変わる気配がありません。

次男を妊娠し安静にしなければいけないという時になっても、私は独り大きなお腹を抱えて、家を片付けようと毎日必死でした。

片付けてほしいと泣いて訴えても、手紙で文章にして伝えても、夫が物を買い込んでくるペースは全く変わりません。

その頃は継子と向き合うことにも精一杯で、そこに毎日朝夕現れる義母の存在、やがて二人の息子たちが生まれても、何も助けてくれない夫…悩みが常に私を苦しめていました。

その頃の子どもたちを撮った写真はたくさんあるのですが、私の写真は数枚しかなく、そのどれもがやつれて暗い表情をしているのを見ると、しみじみ「辛く大変な日々だったなあ。」と思います。

環境を変えれば改善するはずだと、私は家の建て替えを夫に提案し、結婚して数年後に家を建て替えたのです。

家の鍵を勝手に開けて入ってくる義母には新居の鍵を渡さなかったので、突然部屋に義母が居る!という悩みは解消されました。

ですが夫が溜め込んだ大量の物を一気に処分できるという考えは甘かったのです。

人を変えることができると考えたのは、傲慢な私の浅はかな考えで、自分自身で変わろうと思わないかぎり、人は変わらないのでしょう。

まだ私にはわかりませんでした。

ため込み症の夫は、想像力が欠けているために人の心を察するのが難しいのではないかという、妻の推察の記事はこちらです。↓

ためこみ症の夫との生活に疲れ、諦め、現実逃避する日々

溜め込み続けられた不要なモノ

ためこみ続けられたモノで埋まる我が家

家は新築で綺麗になりましたが、古い家を壊した際に処分できなかった大量の荷物が段ボールに入ったまま、地下室や車庫に積み上げられました。

「そのうちに片付ける。」という夫の言葉をもはや私は信じませんでしたし、「これ以上、荷物を増やさないでください。」と何度も伝えるしかありませんでした。

初めの数年はまだ、お客様が来ても困らない程度に私は必死で片付けていました。

ですが私がパートで働き出した頃から、片付けることに気持ちも時間も割くことができなくなったのです。

子どもたちが中学、高校生になる頃には、家中に物が溢れ、6人がけのテーブルも物が山積み状態になっていて食事ができない状態でした。

壁には様々な物がびっしりとピンでとめられ、カーテンレールには服が何重にもかけられ、明るかった部屋も薄暗く不気味な光景に変化していきました。

「夫は生きている限り、物を溜め続けるだろう。」といつしか私は確信していました。

そんな絶望的な生活の中で私が身につけたのは「現実から目を逸らす。」ということでした。

見えている景色を意識の中には入れないという感じでしょうか。

夫への期待を捨て、常に現実逃避することで、私は心の平穏を得ました。

子育てに忙しく、体も気持ちもエネルギーを注がねばいけない時期に、私は大量の荷物にため息をつきながらも、そこに注力する余裕がありませんでした。




子育てが終わり、見えてきたのは私のこれからの人生

そんな現実逃避の日々が過ぎ、気づけば私は40代後半になっていました。

継子の思春期における様々な問題、意地悪な義母に対する悩み、次男の不登校の悩みなど、様々な悩みが順を入れ替えながら常に私を悩ませましたが、ひとつひとつなんとか乗り越えてきました。

特に子どもたちに関する問題からは現実逃避などできませんし、私は全力で向き合いました。

そんな私を横目に、夫は協力するどころかまるで関心がなく、ただただ物をためこみ続けていたのです。

夫が大量の物を溜め込むだけではなく、私や子どもたちに対して「全く無関心」なことは何があっても変わりませんでした。

時が経ち、子どもたちが成長してくれたことで、子育ての大きな悩みも徐々に薄らいでいきました。

その代わりに私の中であらわになってきたのは、悲しいかな私たち夫婦の冷たい関係性でした。

大量の物を溜め込むこと以上に、義母からの嫌がらせや、子育ての悩みを抱えて苦しむ私に、夫がまるで他人事のように無関心だった辛さが、問題が過ぎ去ってから余計に身に沁みるようでした。

そして何より私自身の心の中に、夫への思いやりの気持ちがひとかけらも残っていないことに気がつきました。

「夫が早く死んでくれまいか。」と考えてしまう私が、このまま夫と共に暮らせるだろうか。

夫の方が一回り以上年上だとはいえ、この後の共同生活が何年続くのかはわかりません。

それは我慢ができない気がします。

何年の何月何日にこの地獄のような生活が終わるとわかっていたら、まだ耐えられたかもしれませんが…。

息子たち3人が無事に社会に出た後で、見えてきたのは残された私の人生でした。

ため込み症の夫との離婚とその後

食卓はため込み症の夫のモノで埋め尽くされている

右上の少し空いているスペースがため込み症の夫の食事場所である

離婚のきっかけとなった恥ずかしいできごと

子育てがようやく落ち着きホッとする間も無く、私はそれまで現実逃避してきた、夫や家の悩みに目を向け始めました。

現実逃避する中でも心のどこかでは「この家を片付けてからでないと私は死ねない。」と、この家の始末を私の人生の最終目標としてきたのです。

夫と結婚したことに対する責任を感じ、それは課せられた任務のように思え、その考えに私は執着していました。

子どもたちのために、この家を片付けて残したい。

それは他の誰でもない、私だけが背負う責任なのだ。

そう思えば思うほど、物をためこみ続け家族に関心のない夫に対して、氷のように冷たい気持ちになってしまうのでした。

「夫が死ねばこの家を片付けられるのに。」

ストレートにいうと、この一言しかありませんでした。

朝起きて、夜寝るまで、常に「夫が早く死なないかな」と心のどこかで考えているのです。

趣味のスポーツに打ち込んだり、サイクリングで遠出するのは、自宅の悲惨な状態と自分の醜い気持ちを忘れるためでもありました。

そんなある日、何気ない次男の言葉が、私の今後の人生を深く考えさせるきっかけになったのです。

恥ずかしい話ですが、夫が居ない場所の片付けをしている時、私は自分の気持ちを吐き出さずにはいられず、「早く死んでくれたらいいのに。」と実際に小声で独り言を言っていたのです。

それは、誰にも知られてはいけない本音でしたし、そんな時の私は醜い顔をしていたに違いありません。

その日、次男が近くにいることに気づかず、誰も居ないと思っていつものように私は自分の気持ちを吐き出しながら、掃除をしていたのでした。

「おかあさん、気持ちは解かるけど僕は辛いよ。」次男に声をかけられ、私は申し訳なさと恥ずかしさで「ごめんね。」としか言えませんでした。

次男は私が夫や家の状態に深く悩んでいることを一番理解してくれている子です。

それでもやはり、彼にしたら血の繋がった父なのです。

いくら悩みの多い父親でも、子どもたちにとっては大事な存在なのだという感覚が、私から抜け落ちていました。

うっかり自分の本心が出てしまってはいけないのです。

自分たちの父親に「早く死ねばいい」などと母親が内心考えながら、夫婦の会話もない生活を続けていくことは、誰にとっても幸せではないのではないだろうか。

夫の立場で考えても、無表情な顔の下で「あなたが早く死ねばいい。」と、妻が口に出さずとも考えているのですから、気づかないとはいえ幸せであるはずがありません。

私さえ平気な顔で暮らせたら、みんな幸せなのだろうか。この生活を続けていくことが、私にできるだろうか。

この出来事をきっかけに、ずいぶん前から私の心の中に潜んでいた「離婚」という文字が、浮かび上がってきたのです。




その人はためこみ症なのか、片付けが苦手なだけなのか?長年重度のため込み症の夫と暮らした妻が考える4つのポイントについての記事はこちらです。↓

ため込み症の夫との離婚は、私自身の生き方や考え方を根底から変える事だった

離婚に踏み切ることは簡単ではありませんでした。

一番辛く感じたのは、私と愛する子どもたちの集う場が、私が我が家から出ることによって失われてしまうことでした。

凄まじい物まみれの我が家ですが、ここで私は3人の男の子を育て、楽しいこともたくさんあったのです。

たくさんの思い出のできた場所は、確かにこの物に埋もれた我が家で、ここから離れることを考えると、胸が締め付けられ痛みを感じるほど辛いのでした。

ですが、私はもうこれ以上夫と夫婦でいることはできないと限界を感じ、夫との離婚を決心したのです。

夫のため込み症のことも離婚の理由ですが、何よりも残念だったのは、夫婦として積み上げた信頼関係が一つも無いことなのです。

大変な時期にお互いに協力し乗り越えることで、人との信頼関係が築かれるのではないでしょうか。

大変だった子育ての時期、継子との関係性作り…振り返れば、最初から悩みの多かった生活の中で、私はいつも孤独でした。

夫を責める気持ちが無いと言えば嘘になりますが、それが夫という人間であり、私が変えることのできない人格です。

人格、性質は人から指摘されて変わることはありません。

誰もがそうだと思いますが、自ら変わろうと思わなければ、人は変われないのでしょう。

他人に関心がないということも変われないことに起因しているかもしれません。

そばにいる家族の苦しみの原因が自分にあるなら、多くの人は自分を顧みると思うのです。

考えてみると、夫にも辛いことがあったかもしれませんが、それを私は知りません。

逆に言えば私も夫を助けてあげたことがないのでしょう。

共通の思い出も少なく、お互いを助け合った経験もない私たち夫婦に、信頼関係など築けなかったのは当然の結果だと言えます。

「夫が死ぬまで面倒を見なければならないし、彼が死んだ後はこの家を片付けねばならない。」

自分に課した「〜ねばならない。」という考えを捨てて、離婚を選択することは、今までの自分の生き方を根底から見直すことでした。

私が勝手に感じている夫に対する責任感は愛情ではなく、私の性質による「こだわり」なのです。

「ため込み症」との闘いは私が放棄することで終わった。続いていく家族それぞれの人生

離婚して私がこの家を出たとしても、夫は今と変わりなく、自分の欲求を追求し続けることで満足なのだろうと、悩んだ末に「離婚しよう」と決意しました。

継子を含む最愛の息子たちも、もう大人。私自身の自由や幸せを優先させて生じる問題があるならば、その都度向き合っていくしかない。

そんな葛藤の日々を乗り越えて離婚に踏み切ってから、もうすぐ2年が経とうとしています。

どうやら夫は私の予想通りに…いえ、以前よりも活動的になったようで、元気に楽しく暮らせているようです。

夫にとっても、会話もできない妻が離れたことでホッとした面もあるのでしょう。

夫が変わりなく元気でいることを心から良かったと、離婚した今だから思えるのです。

物は相変わらずのペースで増え続け、私が死守していたエリアも埋まってしまったらしいのですが…。

自宅から通勤している三男が気がかりですが、連絡を取りながら様子を見ています。

限りなく増え続ける物との闘い…ため込み症との闘いは、私が放棄することで終わりました。

今はもう、物が増えていくことに不気味な不安を抱えることもありませんし、夫に対して「早く死ねばいい。」と朝から晩まで願わなくても良いのです。

夫と生活していた頃は、「この人のおかげで大変」と不満を持ち、挙げ句の果てには「早く死んでほしい。」と願うまでに至ったのですが、私にも多くの欠点があることに気づきました。

ためこみ症という性質を持った夫との27年に渡る結婚生活を終えて、新たに独りの生活を始めたことで、改めて私という人間を見つめ直す余裕ができました。

人生の中で起きる問題には、時が解決してくれるものもあれば、そうでない場合もあります。

そして、自分が解決できるもの、できないものの判断もせねばなりません。

自分が努力さえすれば全ての問題は解決するのだ、という傲慢な私の考え方を見事に打ち砕いてくれた「ため込み症」の夫との結婚生活。

夫は全く変わらない、絶対に動かせない人でした。

それは私にとって、良い経験でもあったのでしょう。
何事にも良い面と悪い面はありますもの。

あるいは、腹をくくって一生をあの家で過ごす事も、辛抱強い私はできただろうと思います。

ですがそれは、現実から常に逃避し、自分をごまかし続けることでした。

離婚して、長年付き合った悩みを手放し、今確かに自分から逃げる事なく、しっかり生きていることを感じています。

過ぎ去った日々を振り返って感じるのは、後悔ではありません。

新しい自分に、この歳になって生まれ変わったような、そんな清々しい気持ちです。

そして何より願うのは子どもたちの幸せです。

遅ればせながらしっかり自分の生活を立て直し、残りの人生を生きていきたいと考えています。




ためこみ症の夫との離婚後、これまでと違う立場から改めてためこみ症について考え、書いた記事はこちらです。↓

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