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黒電話のころ|アナログな私の独り言

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黒電話のころ

若い方は「黒電話」と言ってもご存知ないでしょうね。

今ではもう姿を見る事がなくなりましたが、それは各家庭の家のどこか…台所の隅や、廊下でひっそりと台の上に置かれていました。

真っ黒で埃が目立つからか可愛いカバーをかけられているのもよく見ましたね。

今思い出せばなんて愛嬌のある姿だったことでしょう。笑

一家に一台しかないために誰かが話中だと順番を待たなければいけませんでしたし、電話の相手が誰かということを家族に隠すこともなかなかムズカシイ。

思春期のころなんてイヤでしたね…恋人の存在も家族にバレバレで。笑

家族の誰がどんな友達と交流しているのか?誰と繋がっているのかということも自然に把握しあっていました。

今では個人で繋がっていますから家族ですらその交流関係は分かり辛いものになっています。

大人はともかく、今子どもを育てている方々はお子さんがどのようにスマホを通じて他の人や世界と繋がっているのか把握しにくく不安な面もたくさんあるのではないでしょうか。

直接会って話すか、家の中にあるこの黒電話を使うか、外の公衆電話まで走るか、手紙を出すか…という手段で人とのコミュニケーションをとっていた頃は面倒ではありましたが隠しようのないシンプルさがありました。

人との関わり方もホンワリ温かかったとでも言いますか、優しかったと感じます。

なぜだろ。

今は通話よりも文字や絵文字、スタンプなどを使って目から入る情報でやりとりをすることの方が多くなっています。

私個人の感覚としては相手の顔も見えず声色から察することもできず、画面上の文字からのみ得られる相手の情報から感情を読み取る事がどうも苦手なのです。

この文で相手が勘違いしたり傷ついたりしないだろうか、失礼に当たらないだろうか…ととても考えてしまいます。

逆に相手の文面からも真意を汲み取らねばならず「ん??どういう意味だろ」と首を傾げてしまうこともあります。

ですのでなるべく会う機会のある方には直接顔を見ながら伝えるようにしていますし、文字で伝えるのは要件が中心になっています。

緊急の時は本当に助かりますが24時間繋がっていることもちょっと煩わしいと感じてしまう。

その点黒電話は呼び出し音の音量調節ができない上に夜中であろうと遠慮なく大音量で鳴りますので、暗黙の了解で夜の21時や22時になると他の方への連絡は控えたものです。

人とのやりとりが夜の間は「休み時間」になるので余計なあれこれを考えずに済んだ気がします。

誰かと気まずくなったり喧嘩したとしても、夜は休戦中になるのですからひとまず冷静になることもできましたしね。

居留守が使えないのも残念なところ。笑

こう考えると黒電話が台に鎮座していた頃はやっぱり人とのコミュニケーションものんびりしていたなあと感じます。

「電話以外の用事でオレを頼るなよ」的な存在感のあった黒電話。

ジーコ…ジーコってまどろっこしいダイヤルの音も今は懐かしいな。

いろいろ何でもできちゃうスマホを片手に時々人との距離感なんかに悩んでしまう私です。



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