究極のワンオペ育児
子育てにも家事にも関心が無い夫と結婚し、今でいうワンオペ育児時代を送った私。
父親が不参加でもたくさん思い出を作ってあげたい。
開き直った私はキャッチボールや虫捕りなど、自分が幼い頃に経験しなかったことをたくさん楽しむ事ができました。
中でも印象に残っている思い出のひとつに『富士山登山』があります。
それは母である私にとっても息子たちにとっても今だに話題に登る思い出となっています。
子どもたちと富士山登山
当時10歳の次男と8歳の三男を連れて富士山に登りたいとわたしは思い立ち、ツアーに申し込むことにしました。
もともと私自身冒険好きなのですが息子たちにはたくましく育ってほしいと一緒に楽しめることを計画したのです。
夫は「富士山は眺めて楽しむ対象であり登ろうとは思わない。」と予想通りの不参加宣言。
当時私はパート勤めでしたので仕事が終わった日の夜出発、翌日富士山の8合目まで登り、その翌朝4時から山頂を目指すという日程。
8月のツアーに申し込んでから、二人の息子を連れ近所の山を登ったり長距離を歩いたりして当日に備えて2ヶ月ほどは練習を重ねました。
部屋のクーラーの設定温度を一番低く設定したりして、このくらい寒いのかなとかワーワー盛り上がっていました。
いよいよ本番の日。
夜行バスで出発し、慣れない座席でもすやすやと眠る息子たちの横で私は緊張して眠れませんでした。
私一人で子どもたち二人を見ながら初めての富士山に挑もうとしているのですからそりゃそうですね。笑
水やら食料、着替などできるだけ各自で持たせましたがそれでもやはり母である私のリュックは10キロはあったかなと思いますから心理的にも体力的にも未知の領域です。
その荷物を担いで1日目に8合目まで登りました。
子どもたちは時々座り込みながらも何とかついてきてくれました。
いろいろ調べて事前に準備をしたのですが、一番驚いたのはミストで何もかもが濡れてしまう事でした。
汗とミストで体は濡れているのに標高が高くなるにつれ気温はどんどん下がっていきます。
8合目の山小屋で仮眠をとる前に子どもたちを着替えさせた後、自分の着替えがないことに気づきました。
ガーン(T-T) びしょ濡れなのに…。泣
子どものことばかりに気を取られて自分のことを忘れてしまう、ママのあるある現象ですね。笑
寒すぎて仮眠どころではありません。
けれど子どもたちがすやすや眠れているならOK。笑
翌朝3時だったか4時だったか…さて真っ暗の中山頂を目指しましょうという時になって、三男が「気持ち悪い」と言い出しました。どうやら高山病に近い症状です。
次男も私も登る気満々ですし、三男も「僕も行く」と泣きそうな顔で言い張ったのですがガイドさんからストップがかかりました。
この先でもし具合がもっと悪くなっても降りる事はできないから諦めてくださいとのこと。
どうしようかと困っていると「私がこの子を見ていますからお兄ちゃんとお母さんは登ってきたら?」と女性から声をかけていただきました。
何回も登頂されていて今回は頭痛がするので8合目で待機するというその方のお言葉に甘えて三男を預け、私と次男は山頂を目指すことにしました。
今思えばよくそんな見ず知らずの方に具合の悪い三男をお任せしたなあと苦笑いしてしまいますが。笑
8合目から山頂まではとにかく「根性」でした。
8月だということを忘れてしまうほど気温は低いうえ道は険しく激しい雨と風が体に叩きつけてきます。
時折次男が「もう疲れた」としゃがみ込んでしまいます。
「立って。あと少し頑張ろう。」と声をかけ続ける私も本当はしゃがみ込みたいほど疲労困憊していました。
次男を振り返りすぎて岩肌が突き出た部分に頭を強打したり、強風に煽られて「しゃがんで!!」と叫びあったりしながら登り続けました。
ようやく山頂に着き山小屋で食べたラーメンの美味しいこと。
ほっとしたのも束の間、三男が8合目で待っていることを思い出しまだ夜明け前の暗い中でしたが下山をはじめました。
8合目で元気を取り戻した三男と合流し、日の出を見ながら果てしなく続く道を降り続けました。
絶景ではありましたが、降りても降りても雲の上…。
太陽は遠慮なく照りつけていますから、ノーメイク、日焼け止めも塗らずの顔はすでにヒリヒリしてちょっとキツかったですね。
暑い暑いと子どもたちは服を脱ぎまくるので荷物は増え続けますし、身軽になったからか子どもたちはものすごいスピードで降りていきます。
かくいう私…母はその時40歳手前だったと思いますがもう足がガクガクで経験した事がないくらい疲れていました。
どうにか下山し、ツアーの締めくくりで近くの温泉に行きましたがそこで三男の面倒を見てくれていた女性の方の背中一面に刺青が入っていることに気づきました。
初めて見たので驚きましたが、刺青が入っていようがいまいがその方のおかげで次男も私も山頂まで行けたので優しさに感謝です。
冒険で得たもの
道中のところどころで「お母さん一人なの?」と通りがかる方にいろいろ助けてもらいました。
まあ普通お父さんが家でゴロゴロしているのにお母さんだけで小学生の子二人連れて富士山に登らないでしょうからね。
もしこのシチュエーションでなければ私にとってこの登山がもっと厳しいものだっただろうと思います。
息子たちを守らなくてはいけないという気持ちが張っている状態だったからこそ途中でくたばらずに登り切れたのかもしれません。
ほとんど座りませんでしたね。子どもたちの横で一緒に座ってしまったら立てないかもしれないと怖かったのです。笑
母は強しです。でもこの強さは子どもたちへの愛情なのですね。
さいごに心に残るガイドさんの言葉を書いておきますね。
その方は見た感じすでに70歳は超えておられたであろう男性のガイドさんでしたが、上り道が緩やかな時についついペースを上げた私たち親子に向けて静かに言葉をかけてくださいました。
「道が楽な時もキツイ時もペースは一定に保った方が良いよ。休むのは座っていいけれど5分以内だよ。せっかくかかった体のエンジンが止まってしまうからね。」
このガイドさんは私たちを山頂まで導いた後、すぐに次の客のために下山していかれました。
ホントかっこよかったですね…。
『楽な時に飛ばしすぎず、苦しい時も止まらず歩み続け、座ってしまったなら休みすぎるな』
この言葉は今でも時々思い出しますし当時子どもだった息子たちもしっかり覚えているようです。
これは山登りに限らず人生に通用する名言ではないかと私は思います。
この名言と、息子たちと一生心に残る思い出を共有できたという事がこの冒険で私が得たものです。
振り返ると私はいつも一人で育児をしてきましたが夫が不参加だということにそんなに不満を感じたことがないのは、子どもたちと過ごす時間を心から楽しめたからです。
もちろん夫婦で楽しめる事が一番だとは思いますがそうなれない場合もありますものね。
今ワンオペ育児を頑張っておられるパパもママも、お子さんと素敵な思い出をたくさん共有できるといいですね。
コメント
前にも、コメントさせていただきました。
ワンオペ育児、家事、私もです。
富士登山とはすごいです。そこまでは無理です。
我が家、相変わらずゴミ屋敷ですが、大喧嘩の末、台所だけは奇麗にしました!
家事をいっさいしないくせに、台所まで侵食するのは絶対おかしいと感じたからです。
1週間以内に撤去しなければすべて捨てると宣言し、しなかったものは捨てに捨てました。怒鳴りあいの喧嘩、押し問答しながらですから、かなり疲れました。
まあ、おかげで、家事の動線はかなり良くなりました。
でも、それ以外はゴミの山。
もう、辛いしこの理不尽な状況におかしくなっています。
ゆーさん こんばんは。いつも読んでくださりありがとうございます。
台所を一掃され動線が良くなられたとのこと、良かったですね。何が素晴らしいって大喧嘩しながらでも片付けを遂行できたことですね。それができるのとできないのでは雲泥の差があると思います。今回のゆーさんの行動は尊敬するに値します。私は随分昔に心療内科で精神安定剤を出してもらっていたのですが、先生には「波風を立てないように我慢ばかりしていては状況は良くならない。どうなってもいいという覚悟で洗いざらい自分の気持ちを吐き出すことも時には必要だ」と言われました。それがなかなか私には難しい課題なのです。ゆーさんのように時には怒りを一つの手段として使う事ができるのなら希望はあると思います。ただし書かれているように非常に疲弊されることとは思いますが…。いろんな大変さに流されがちな毎日ですがやはり何より大切なのは子育てだと思います。ワンオペ育児とのことで大変だと思います。同じ経験をした者として応援していますね。