「ため込み症」の人は物をため込むことで、何を求めているのか?
長年夫と一緒に暮らし、片付かない焦りと彼の物を溜め込む執着に不気味さを感じながら、「なぜためこむのか?」という疑問は、常に私の頭の中にありました。
このブログを始めた初期の頃に、その理由について私は6つ挙げました。
コンプレックスの裏返しなのか?
得をしたという満足感を得るためなのか?
何もない空間では落ち着けないからか?
夫と同じくためこみ行動のあった母からの遺伝なのか?
安心感を得るため物に囲まれたいのか?
「何もかも無くなってしまうかもしれない」という異常な危機感があるからか?
時が経ち、ため込み症の夫に対する見方や、私自身も変化してきました。
夫と離婚した今、「ため込み症の人は物を集めることで何を求めているのか?」改めて考えてみたいと思います。
ため込み症の家族との暮らしで、長年私は深く悩んできました。その全体像は、こちらのまとめ記事を是非ご覧ください↓
溜め込む理由を改めて考える
夫が大量に物を溜め込むのは何故か?
この不気味な疑問は、長年家族の生活に常に暗い影を落としてきました。
過去に挙げた6つの理由のうち、「コンプレックスの裏返し」「値下げのものを買って満足感を得ている」というのは、物を集めるための、彼の言い訳に過ぎないと今は考えています。
子ども時代に何も買ってもらえず、みじめな思いをしたと彼は言いますが、生活に支障が出るほどの量を溜め込むことには繋がらないと思います。
値下げのものを洗いざらい買ってくるのは、単純にお金をかけたくないからで、得をしたという満足感を得ること自体が目的ではないでしょう。
普通にお金をかけていたら破産するほどの量を買うのですから、家族にとってはまだ救いでした。
母親からの遺伝に関しては、物を溜め込むこと以外にも、人との関わり方や性格もとても似ているので、大きな要因だと思います。
先天的な脳の構造の遺伝なのか?後天的に母親の溜め込み行動を見て育ち引き継がれたのか?
…わかりませんが確かに母からの遺伝は確実にあると思います。
「世界恐慌が来て物がなくなるかもしれないから、物を溜めて備えているのだ」と、子どもたちに説いているのを聞き、唖然としたことがありました。
その考えは言い訳のようにも聞こえましたが、何も無くなることに対して、彼は脅迫的な不安を感じているのかもしれません。
譲らない自我の強さは「ため込み症」の人に共通?
そこで浮かぶ疑問ですが、例えば、溜め込む物が違うAさんとBさんがいたとしたら、二人は一緒に住めるでしょうか?
空間を埋めたいという欲求は二人とも同じかもしれませんが、きっとそれは無理だと思います。
もっと言うと、仮に溜め込む物が同じでも、二人は一緒に居られないのではないでしょうか?
自分自身で物を集め、並べ方や積み上げ方にも自分のやり方があり、他人が口出しすることを嫌がるはずだからです。
私は元夫しか「ため込み症」の人を知らないですが、この譲らない自我の強さは他のため込み症の方にも共通しているのではないか、と感じています。
何故なら、人に合わせようとする性質を持ち合わせていたら、生活に支障が出るほどの物をため込むことは無いと思うからです。
「ため込み症」の人が求める、安心できる環境(テリトリー)
「タコ足配線のまま物に埋もれたコンセントから、火事が起きるかもしれない」という不安を元夫に訴えた時、「火事になって全てが燃えても別に構わないじゃないか」との返事に、驚いたことがありました。
「それなら全部要らない物なのでは?」と私が返すと、それは違うようで「全部必要だ」と言うのです。
結局は全部燃えてしまっても良い、ただの「物」でしかないのです。
仮に全部燃えて無くなったとしても、彼は必ずまた同じ環境を作り出すでしょうけれど。
集めた物そのものに価値を感じているわけではなく、「自分が集めた物で空間を埋め、安心できるテリトリーを作る」ことが、「ため込み症」の人が物を溜め込む理由ではないかと、今の私は考えています。
そしてその性質、性格には遺伝性もあります。
重度のため込み症の元夫と長年一緒に暮らしてきた私たち家族は、彼の集めた物に埋もれるしかありませんでした。
異論を唱えるなら、そこから、彼のテリトリーから出ていくしかないのです。
安心できる環境が欲しいというのは、誰もが持つ欲求です。
一緒に住む家族が困ろうが悩もうが、「ため込み症」の人は物を溜め込み、空間を埋めることで欲求を満たそうとするでしょう。
家族や周囲への配慮はありません。
その自我の強さが、この病気の一番厄介なところかもしれません。
この環境は夫のテリトリー意識から生まれたのでは無いか?と考えた記事はこちらです。↓








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