深い悩みを抱えながら変化し続ける私
重度のため込み症の夫と暮らし約25年が経ち、深い悩みを抱え生活する中で私の内面は大きく変化してきました。
問題の解決は難しく、いつしか私は現実から目を逸らして過ごすようになり、そのおかげで心身ともに病気になることなく生きてきました。
ですがふと自分を振り返ると、長期間そんな生き方をしているうちに本来の私と随分違った私になってしまったように感じるのです。
私は本来どんな人だったのか。
このブログを書いていなかったら日々の暮らしに流されて、本来の私についてなど考えることもなかったのかもしれません。
解決の難しい悩みを抱え続けるということ

ため込み症の夫のモノであふれる自宅ではありのままの私ではいられなかった
人は誰でも多かれ少なかれ悩みを抱えているでしょうし、その悩みを解決するためにお互いに歩み寄ったり、妥協したりしながら人間関係を作っていくのだと思います。
私の場合、夫が重度のため込み症であることや、なかなか気持ちが通じ合わないなどの深い悩みを抱え続けてきました。
思いつく限りの策を練り夫に歩み寄ろうと試みましたが、夫は悩んでもいませんし私に歩み寄る気もありませんから、全く状況は変わりませんでした。
離婚も考えたこともありましたが実行する決断力も勇気も足りず、友人に相談しても、ため込み症という病気の認知度が低いために、相手になかなか実情が伝わらないのです。

この悩みを打ち明けたために疎遠になってしまった友もいる
部屋を見てもらうのが一番手っ取り早いのですが、悩みを打ち明けた途端に何となくぎこちない間柄になり、言わなければよかったと後悔したことが何度かありました。
何でもかんでも人に相談できるわけではないのだと知ったのです。
理解を超えてしまう相談をされても相手が困るかもしれないと、徐々に私は思うようになりました。
相手には理解してもらえないだろうという諦めの気持ちから、私はこの悩みを自分の中に閉じ込めるようになりました。
その結果、悩みもなく自分の楽しみを最優先させている人だと私は受け取られているようですが、それで構わないと思うようになりました。
気ままに生きている自分を演じることで私は正気を保ってきましたし、実際悩みを抱えながらも楽しく過ごして来れたのですから、その方が都合良いのです。
また、そのような状況から抜け出せないのは、私の内面にも大きな問題があるのだと感じています。苦しいから抜け出すという素直な行動がとれません。
深い悩みを自ら放棄し、手放すことが私には難しいのです。
諦めることで変わっていく私
長い時間をかけて私は深い悩みを覆い隠すため、強い私、明るい私、または冷たい私などいくつもの顔を作り上げてきました。
夫に対して諦め、誰かに理解してもらうことを諦め…諦めることで私は変わっていったように思うのです。
それは解決不可能な悩みを抱え、それらを手放す勇気もない私が無意識にあみだした生きていくための術でした。
徐々に夫に対して諦め、優しくできなくなったのは、演技をやめて真の姿を見せたともいえます。
明るく優しさを装っていた以前の私も、今こうして夫と一言も話すことなく暗い顔で家事をしている私も、本来の私ではない気がします。
本来の私なら、諦めることなく夫に話し合いを望んだのではないかと思います。ですが話し合うことは無理だという諦めの気持ちが、私を変化させたのでしょう。
家事を最低限にこなし、仕事に出るか趣味のために外に出かけ、私だけの逃げ場である納戸にこもる…。我が家の状態からも逃げています。
この生活の中で自分を誤魔化すのをやめたらどうなるだろう、と最近の私は考えています。
なんだか…こうして書いてみると自分で思っていたより心配になってきました。笑
造り出されるいくつもの人格
現在の仕事は私が今まで経験した中で、一番私に合っていると思えるのが大きな救いです。
気力も体力も根気も必要な仕事ですが、一緒に働く仲間とともに乗り切っていく事に満足できています。
ただ…私は職場の仲間にはプライベートな面を一切見せていません。家族の話題になるとさりげなくその場を離れるか黙ってしまいますし、もちろん夫の話などは避けまくっています。笑
そうすることで私と仲間達の間に適度な距離を保てている様な気がします。
仲良くなってくるとどうしても家族の話などになってくるのが普通なのでしょうけれど、家と職場での人格が変わるので私的にはきっちり分けておきたい、職場で家のことを思い出すのは嫌なのです。
もし私が悩みを打ち明けても今の職場のメンバーは親身に耳を傾けてくれる方ばかりだと思いますが、そうすると私は職場と家を完全に切り離して過ごせなくなります。
この切り替えがもしできなかったら、私はズブズブと悩みの沼にハマってしまうことでしょう。恐ろしや…。
自宅に帰り夫の姿を見た瞬間、私は感情を消して家事ロボットに変身します。
職場の元気な私と、夫の前での家事ロボットは真逆の人格ですが、どちらも本当の私です。
飲み会にも出ず、「情報の無い謎だらけの人」だと周囲からは思われているでしょう。
そういう場ではどうしてもプライベートな話になりがちですし、極力私はそのような場を避けています。陰でどう言われても構わないので、ストレスを増やしたく無いのです。
職場での私は自宅と全く違う人格ですし、プライベートな話をすることで人格の使い分けが難しくなるのが怖いということでしょう。
ああ、私って何重人格なのかしら…。笑
自分のメンタルを維持するためには仕方がありません。
本来の私がすっかり現れる日まで
長年現実から目をそらしてきた私は、きっと自分からも目を逸らしてきたのでしょう。自分がどのような性格だったのか分かりません。
元々、明るく天真爛漫だった様な気もしますし、陰鬱な悩みを引きずっていた気もします。
そういえば昔は、人からの言動をいちいち気にしていましたっけ。
大きな悩みを抱えていても、いなくても、人は変わるのかもしれません。私自身が自分に対して感じるのは、大きな悩みを抱え続けたことで、自分にも周囲にも本当の気持ちを隠すようになったということでしょうか。
なかなかディープな推察になってしまいましたが、本来の私は多分…諦めの悪い、どこまでも一生懸命やってしまう人間です。
険しい道と優しい道の分かれ道があれば私は険しい道を選ぶ人種です。
M気質なのでしょうか…。笑
先日遠方の友人と久々に電話で話し、この記事を書くヒントを得ました。
どんな悩みも隠さずに言える古くからの友人で、私の話を神妙に聞いています。
寝る場所もなく押し入れで寝ていることや、狭い納戸で過ごしていること、休みの日は家にいるのが辛く自転車で遠くまで出掛けていること…私は正直に話しました。

昔からサイクリングが好きだった私
すると「昔とちっとも変わらないね。」と、電話の向こうで友人が笑い出しました。
そういえば私は10代の頃からあちこち自転車で遠出していましたし、バックパッカー旅もしていました。
出向いた海外では部屋がないので、階段の下の狭い物置スペースに住んでいました。
ああ、本当に同じだ。すっかり忘れていたわ。笑
彼女がいうには「その頃もあなたは楽しそうだったよ。」
もう大笑いです。笑
「人の本質って変わらないんだね〜」
という彼女の言葉に私は妙に納得したのです。
若い頃からチャレンジャーであった私は、今もある意味、解決不可能に思える難題にチャレンジし続けているのです。
休みの度に家に居たくなくて自転車で遠出しているつもりでしたが、家の環境関係なく同じことをしていたかもしれません。
そして、階段下や押し入れで暮らすのも好きなのかもしれません。笑
小心者ですからどこに居ても狭い隅っこが大好きなのであります。
その変わらない本質の上に、私の経験で変化した人格が被さっているのでしょう。
こうして考えてみると、誰しも悩みながら色々な経験を積み、いろんな人格を自分に被せているのでしょう。決して誰かを欺いて偽っているわけではありません。
それを全部ひっくるめてその人のパーソナリティーとなるのでしょうし、生きている限りそれは変化し続けるのです。
やれやれ、そう思うとため込み症の夫との暮らしは、少しばかりは私に良い影響を与えたともいえそうです。
我慢強くなったことだけは確かですし。
夫の「ためこみ症」の悩みが解決できる日が来れば、忘れていた本来の私がすっかり姿を現すのかもしれません。


コメント