日々思うこと

夫婦はどこへ向かう|子育てを終えた今思う事

透き通る水晶球 日々思うこと
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夫婦って何だろう

50歳を過ぎ、子ども達も無事に成人した今日この頃。

慌ただしかった子育て時代を終え、ようやく自分自身のことをじっくり見つめ直す時間と心の余裕ができてきたように思います。

私たち夫婦は、今や会話どころか挨拶も交わせないような間になってしまいました。

そんな私たち夫婦のことについて少しだけここで考えてみようと思います。

同じ時間を共有できなかった私たち

私たち夫婦は初めから夫婦としての心のつながりを持てないまま今に至ります。

夫の連れ子であった長男を筆頭に私たちの間に二人の男の子たちをもうけましたが、夫は私にも子どもたちにも無関心でした。

子どもに関する悩みやその他の相談事にも全く関心が無く、心のない返事しか返ってきません。

せっかく子どもに恵まれながら、その成長を一緒に楽しめないなんて本当にもったいない話です。

夫婦で子育ての方針が違うと揉めてよく喧嘩になると夫婦仲の良い友人は言います。

その点では、手伝いもしないのに中途半端に口出しするなどという事もなかったので、楽だったと言えるのかもしれません。

けれども悩みも楽しみも感動もたくさん詰まった子育てという大イベントを一緒に楽しめる相手だったらどんな感じだったのだろうと思います。

「あの時にこんな事で大変だったね」とか「あの時は楽しかったね」などと思い出話が尽きないのではないでしょうか。

私たち夫婦は初めからばらばらでしたし、共有した時間というのもわずかです。

私は子育てに追われる大変な日々と格闘していましたし、夫も仕事などでのストレスを抱えていたはずなのです。

今日はこんな事があったとお互いにその日を労ったり、会話をし、励まし合えたらどんなに良かったでしょう。

慌ただしい若い時期をどれだけ夫婦で協力し同じ時間を共有できたかということが、その後の長い夫婦生活を大きく左右することは間違いないと思います。

子どもさんがいないご夫婦も私の周りに何組かいますが、それぞれに夫婦二人で楽しめる趣味などがあり、仲良く過ごされています。

何年も後になってからそのように一緒に過ごした時間が共通の話題になり心を温めるのでしょう。

子育てを中心に辛いことも楽しかったこともたくさんあったこれまでの生活。

それは私の中で失われることのない、大切な宝物であることには違いありません。

それでも思い出を共有できる相手がいないことに寂しさを感じてしまうのも事実です。

あたりまえの家族の光景

スーパーへ買い物に行くといつも、見知らぬご夫婦たちのお互いを思いやる優しさを目にして心が温まる気がします。

例えば、奥様の重たい荷物をご主人が持ってあげたり、今日の夜はどんなメニューにしようかなどとご夫婦で相談されていたり。

「柔らかいものの上に重たいもの入れたらダメよ」などと奥様に言われながらご主人が袋に入れていたり。

私にとっては経験のないことで、夫婦でああでもないこうでもないと話しながら買い物するのは楽しそうだなと思います。

日曜日などの家族連れでお買い物をする光景も我が家にはなかったもので、ベンチに座ってぼーっと眺めてしまう事もあります。

私にとってはほのぼのと心温まる光景も、きっとその方達にとってはあたりまえの日常の一コマなのでしょう。

喧嘩ができない夫婦

私たち夫婦は喧嘩もした事がありません。

なぜなら「無関心」は喧嘩も引き起こす事がないからです。

正確に言えば、1度だけ私が大声をあげながら泣き叫んだことはあります。

しかしそれは一方的な私の訴えに終わり、意見をぶつけ合うという喧嘩には至りませんでした。

お互いに関心があり、問題を解決しようという気持ちがあるからこそ喧嘩になるのではないでしょうか。

「喧嘩をするほど仲が良い」という言葉がありますがそれは本当だと思います。

とても夫婦仲の良い私の友人の夫婦喧嘩の話がとても面白く、ユーモアにとんでいて聞いているうちにも笑ってしまいます。

お笑いのネタにも負けないほどなのです。

ユーモアを交えながら問題解決している友人夫婦は、そのように小さな喧嘩も大きな喧嘩も繰り返すことでお互いを理解し、仲を深めたのでしょう。

喧嘩にもならないほど会話や接点がないのですから、私たちは仲の深めようがありませんでした。

夫婦で一緒に笑うこと

結婚後にパートに出た職場でのこと。

しばらく一緒に働いていた同じ歳ほどの男性が転職されることになりました。

それまでその方とお話しした事がなかったのですが、偶然帰りに駐輪場で顔を合わせたので、お別れの挨拶がてらに初めてお話ししました。

仕事の愚痴を冗談混じりに私が話すとその方がお腹を抱えて笑うのです。

それは作り笑いでは無く本当に楽しそうに笑うのでした。

ほんの10分ほどの会話でしたが、お互いの言葉に頷き笑い合えた事がとても新鮮でした。

もしもあんな人と結婚していたら、さぞ笑いの絶えない楽しい夫婦になれただろうなと今でも思います。

夫と一緒にゲラゲラ笑い合えた事あったかなあ。

思い返しても1度もなかった気がします。

価値観が一致している事が結婚相手に望まれるとよく聞きます。

若かった私は、ひとりよがりに夫を理想化して実際の夫の心や人柄を見ようとしなかったのだと思います。

私たちのこれから

結婚したらお互いの人生のレールは、だんだん近くに寄り添いながら同じ方向に伸びていくイメージを持っていました。

それは単なる私のファンタジーだったのでしょうか。

もっと夫を理解したい、悩みなどを理解したいと歩み寄ろうとしましたが、面倒そうに返事をされただけでした。

夫にとって悩みは自分で解決するものであり、妻や家族にですら話す必要はないと考えているのです。

そして私にも同じように心のモヤモヤは自分で処理して欲しいと思っているのです。

一緒に悩み、苦しい時期を共有することは、もしかしたら楽しい時間を共有することよりも絆を深めるのかもしれないと思うのです。

私たち夫婦のレールは初めから2つの方向に分かれ、今では相手がどこをどちらに向かっているのか、全く解らないほど心が離れてしまいました。

二人の心の間に何も築いてこられなかった事が残念です。

それでも、何よりも大切でかけがえのない子ども達を授かったという事だけで、私はこの結婚に対して感謝してもしきれない気持ちでいます。

このままずっと夫と一緒に暮らしていくのか。

お互いの理解を深め合おうと思う時が来るのか。

それともいつかお別れを決意することになるのか。

それは今の時点では考えても全く分かりません。

漠然とした不安を抱えながらも、明るく、日々の自分の気持ちを大切にしながら成り行きに任せましょうか。

心がすり減ってしまわないように。

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