夫との離婚は、私の中のこだわりに近い責任感との別れでもありました。
夫は私との結婚以前から重度のためこみ症で、我が家は…正確にいうと元我が家になりますが、不要なモノが大量に置かれていて普通に生活することが困難な状態でした。
写真は夫の物置となっていたリビングのテーブルの様子です。
家を離れて約9ヶ月ほど経って今、異常な状態のあの家で気持ちが通じない夫とともに30年近くも暮らし、よく正気でいられたなあという思いがします。
継子をはじめ子どもたちがいたことで必死で毎日を過ごし気が張っていたことが良かったのでしょう。
数年前に就職のために次男が遠く離れて一人暮らしを始めた頃、「離れて解ったけど家の状態は異常だよ。お母さんも早く出たほうが良いよ。」とよく言ってくれましたが「そうだねえ。」とあいまいな返事を繰り返しながら私は常に現実逃避をしてきたのでした。
現実と真正面から向き合うと気が狂いかねないと感じていましたし、かといってそこから抜け出すことにも抵抗があったのです。
事情を知る数人の友人からは「早く家を出たほうが良い」とアドバイスをもらいましたが私はその行動をとりませんでした。
普通の人なら逃げ出してしまうような状況に身を置くことは私の使命なのだとすら感じていたのです。
この結婚生活は私自身の性質から生まれた状況だったと思います。
若かった頃は「夫がモノをためこむのは理解のできないし悪いことだ。」とか「相手の気持ちを理解しようとしない夫が悪いのだ。」などと相手の非ばかりを責めたい気持ちが確かにありました。
ですが、その夫を選んだのは間違いなく私ですからね。
そんなふうに客観的に自分を振り返ることは離婚への道を進んだ第一歩だったのかもしれません。
このブログの中で夫や夫のためこみ症に関する事をたくさん書いてきましたが決して夫が悪い訳ではなく、彼の特性を見抜けなかったことや自分の気持ちを省みることなくいい加減にしていたために悩み苦しむことになったのです。
「割れ鍋に綴じ蓋」という言葉がありますが、文字通りに夫と私はお互いにどこか歪んでいた部分がかみ合っていたからこそこんなに長く結婚生活が続いたのでしょう。
その歪んだ部分は何だったのかと自らを振り返ると、こだわりに近い責任感…自分の気持ちや望みよりも「〜しなければならない。」「〜であるべき。」のような誰にも強制されたわけではないのに自分の中で生まれた強迫観念に縛られていたところではないかなと思うのです。
「この結婚を全うしなければならない。」と私は自分を縛りつけ、そんな自分の生き方を肯定するために思い込みはさらに強いものとなっていった気がします。
かなり迷った末の昨年の離婚でしたが、その選択をせずにこれまでどおりに現実逃避しながら夫とこの先の年月を共に過ごすこともできたとは思います。
もしかしたらそれは一番私らしい生き方だったのかもしれません。
私にとって離婚という出来事は、心の底に沈澱している本当の気持ちをさらい出すという殆ど経験のない作業を要しました。
自分が楽をしたいだけではないのか?子どもたちに負担をかける最悪な母親になりはしないか?という罪悪感に毎日苛まされました。
正直にいうと私は『悪者』になることを恐れていたのです。ですが歳を重ねたせいなのか、『悪者』でも構わないではないかという一種の開き直りのような気持ちが自分の中に生まれていることを私は素直に認めることにしたのです。
子どもたち3人とも無事に社会人になり私の決断に理解を示してくれていましたから、あとは自分に課した責任感を棄てて私自身が本当にどう生きていきたいのか決断するだけでした。
出口の見えないトンネルを手探りで進んできたような結婚生活でしたが、突然壁を破壊して外に出てきたような気持ちがしています。
どんな出来事にも意味があると思うのですが、長期にわたり悩み続けた結婚生活、そして離婚することで私は自分自身が抱える問題点について気づくことができました。
夫は私との結婚、離婚を通してとばっちりを受けたように感じているのかもしれないと思いましたが、最近「オレは長生きしそうだな。」と笑いながら言っていたと子どもから聞きました。
私が心配したダメージも無く夫は変わりない生活を送っているようでホッとしました。
悩みの多かった状況から解放され初めての一人暮らしを楽しんでいますが、快適であると同時に慣れ親しんだ考え方や悩みから解放された自分を持て余しているとも感じます。
そんなこんなで忙しく日々が過ぎていく中でこれからの私も変化していくのでしょう。
心の中に沈澱したままになっている気持ちがないか、歳を重ねても時々自分を振り返ってみることが大切なのかもしれません。
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