日々思うこと

GIVEのひと|実はわたしが最強のTEKARである

日々思うこと
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GIVEのひと

ためこみ症の夫と暮らすモノであふれる過酷な部屋には悩みも多い

GIVEの人である私はこの状況に耐え続けている

私は長年この過酷な状態になっている我が家で耐え続けています。

夫がためこみ症で本人には全く自覚はなく苦痛もないのですが生活を共にしている私たち家族にとっては深刻な問題です。

考えてみると私はもうすぐ53歳を迎えるのですから、人生の半分近く夫のこの困った病気に付き合っていることになります。

もちろん子ども達も自分の部屋があるとはいえ、いろんな意味で試練を乗り越えてきたと思います。

その子ども達のうち次男である息子との会話でのこと。

「お母さん、人にはGIVE=人に何かをやってあげたり与える側の人と、TAKE=人に何かをやってもらったり受け取る側に分けられるらしいよ。大半の人はこのふたつの性質が混じっていてコミュニケーションバランスをとっているけど、極端にどちらかの傾向の強い人が何%かいるらしい。」次男は言います。

どうやらその両極端に位置する人同士はお互い自然に引き合ってしまうようです。

私はまだ読んではいないのですが最近流行りの本があるらしいですね。

完全なTAKEとGIVE両極端の夫婦

次男は子ども達の中では一番父親のためこみ行動について悩み、私と一緒にこれまでいろいろな分析もしてきました。

息子は「お父さんは完全なTAKERだ」という意見です。なぜなら自分の願望や考えがあれば周りの家族がそれによって困るとしても決して妥協もしませんし周りが自分に合わせるのが当然だと思っているからです。

自分と違う考え方や感じ方があることすら気づいていないのかもしれません。

私は即座に「お母さんは反対に完全なGIVERだから組み合わせ的には合ってるとも言えるね。」と言い、二人で笑いました。

後で考えてみるとそれは的をついた考えでした。
(私は本を読んでないので作者さんの意図とは違うかも知れませんが。)

表現が難しいのですが、確かに私は人から何かをしてもらったり受け取るのが苦手です。照れくさいというのとは少し違います。

歳を重ね経験を積むことで、人から何かしてもらったら遠慮などしないで可愛く「ありがとう。」と受け取るのが心地よい事なのだと学習してきました。ですがやっぱり今だに内心はモジモジとしてしまうことが多いのです。

それに対して夫は人に与えるという事は全くと言っていいほどありません。多分そんな概念すらありません。いつも「なぜ俺はもっと良い目にあわないのか。」という不満を持っているように見えます。

悪いことが起きれば自分以外に原因があると考えますし、仕方のないことが存在すれば努力することなくそこから手を引いてしまいます。

良いことがあっても相手に感謝することよりもそれを当たり前のことだと受け止めます。

ですから人との関係においては、自分が受け取り側に立てない相手、つまりTAKERが相手だとなんの未練もなくさっさと離れてしまいます。

以前は私が夫に合わせようと「GIVE」を重ねに重ねてきたわけですが、ここ2年ほどで夫のことがほとほと嫌になってしまい私はできる限り夫と精神的な距離を置くようになりました。

私にはもう夫に与えられるものが尽きてしまいました。

すると夫もそれを察したのかどうかは分かりませんがさっさと態度を変え、今や私たちは道ですれ違う他人よりも遠い存在です。

こうして両極端な性質を持つ私たち夫婦は未だ一緒に生活しているとはいえ、長い月日を経てもお互いの気持ちを近づける事はできません。

夫と私の生育環境

どんな人にも幼い頃があり、幼少期に周りにどんな人がいたのか、特に親にどのように育てられたかという事はその人の人生を左右するほど重大なのではないかと思います。

夫の幼少期については、その頃を知る人から聞いたことから推測するしかないのですが、孤独な子どもだったと思われます。

母親はうつ病だったためほとんど彼の面倒は見ず、そのくせ交際相手などのことにはかなり介入してくる厄介な存在だったようです。

数年前に義母は他界しているのですが、夫が母親に感謝の気持ちを表したり、母親が息子に対して心をかけるということが少なく愛情の乏しい親子関係に見えました。

TAKERである夫はきっと誰かの愛情を感じたり、感謝をするという事が少なかったのではないかと思います。

GIVERである私の幼少期については、兄と弟の真ん中でいつも甘えてはいけないというプレッシャーを感じていたように思います。

母は人を頼ったり甘えたりはできない性格で常に周りに迷惑をかけてはいけないと神経を尖らせ小さな子どもだった私にもそれを強要していたと思います。

母は「TAKER」ではありませんでしたが強制欲が強く私はそれに逆らう事ができませんでした。

実はわたしが最強のTAKERである

冒頭の写真のように悲惨な自宅の状態が本当に辛いならそこから逃げても良いはずですが私はそうはせずに向き合い続けてきました。

それはなぜだろう。

困難な中に身を置き私なりにいろいろ悩み考えることが辛くはありますが私の性に合っているのでしょう。

「旦那さんにちやほや大切にされて優雅に過ごすあなたは想像できない。大変な旦那さんで苦労している方が似合っている。」と、ある友人に言われました。

確かにその通り。目からウロコです。

楽な道と苦難の道のどちらを選ぶかと言えば後者を選んでしまう私です。

困った夫と暮らし続けるうちに私は何かを学んできた事は確かです。その都度考え、悩み、試し、失敗し。。。辛いながらも何かを得ることで私はこの家を出ていかないのでしょう。

悩みを糧にして成長してきた私。

もしかしたら最後に笑うのは私かも知れません。

そうなると実はわたしが最強の「TAKER」になるのかも知れませんね。笑



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