日々思うこと

毒親の子として考える|埋められた記憶

日々思うこと
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「毒親」の与える影響

最近「毒親」という言葉を偶然知って、とても深く考えさせられています。

世間ではすでに知られている言葉なのでしょうか?

最近あることに悩まされ調べているうちにこのワードに辿り着いたのですが、一目見て「これは自分の抱える問題に深く関わる内容に違いない」と感じました。

この言葉をご存知ない方のために簡単に申し上げると、毒親とは子どもに悪影響を与える親のことだそうです。

生活面において過剰に自分の考えを押し付けたり子どもを褒めることなく批判ばかりするなど、子どもを尊重することなく過干渉な言動が多い親。

生活面などの面倒を見なかったり、自分の事でいっぱいで子どもに無関心なネグレクトな親。

暴力を振るったり暴言を浴びせかける親。

などなどの「毒」を子どもに与えている親です。

また、毒親に育てられた子については、

自分に自信が持てない、自己肯定感が低い、精神疾患を患いやすい、パートナー選びに失敗しやすいなどの特徴があるようです。

私の両親、特に母親については「毒親」の特徴にかなり当てはまり、私もまた毒親に育てられた子として多くの特徴があてはまることに大きなショックを受けました。

ですが同時に心のどこかで「やっぱりそうなのか」という思いがよぎったのも事実です。

子どもにとって親は絶対的な存在であり、どんなに傷つけられたとしても自分のせいだと感じてしまうのではないでしょうか。

親が悪いなどとは子どもは思わないのです。

そしてその辛い出来事は記憶の奥底に埋められてしまいます。

忘れているわけではなく思い出したくないのです。

大切な親を「毒親」と呼ぶのにはかなりの抵抗がありますがそこは目をつぶってあえてこの言葉を使わせていただきます。

そして重度の「ためこみ症」で長年私を悩ませ続ける夫もまた「毒親」と無関係ではなさそうです。

今回は「毒親」について50歳を過ぎた私が、冷静に考えてみたいと思います。

夫の場合

夫の母親はもう7年ほど前に亡くなられましたが生前はずいぶんこの方に嫁の立場の私は悩まされました。

夫の母は育児時代間違いなくネグレストタイプだったと思われます。

夫を産んだ後自称「うつ病」になったとかで夫が成人した後まで食事などもろくに作らず、お金で解決していたらしいのです。

自称とつけたのは、本人の話を聞いていた限りでは義母はかなり自己中心的な考えの持ち主で様々な煩わしい付き合いや面倒ごとに関わりたくなかったので「うつ病だ」と思い込んで逃避していたのではないかと思うからです。

夫からは母親はいつも「うつ病」のため部屋の隅で寝ているか入退院を繰り返していたと聞きました。

その反面、大きくなってから夫に彼女ができるといちいち「あの子はやめなさい」など干渉してきたらしいですから相当面倒な母親だったと思います。

夫は母親の言うことを聞いて彼女と別れたらしいですからそれも驚きです。そうせざるを得ないほど義母はヒステリックな方だったようです。

息子である夫が母親のことをどう感じて大きくなったかは分かりませんが母の愛情を感じながら育ってきたのではなさそうです。ですが不思議とそこに苦痛のようなものは感じられません。

義母と性質がそっくりな夫は自分の子ども達に全く関心を持たなかったですし自分以外の人全般に関心が薄いのですからもしかしたら特に何も感じていないのかもしれません。

本人が自覚しているかどうかは分かりませんが愛情の行き来のない親子だったと思われます。

私の場合

今回「毒親」というワードでずいぶん動揺したのは夫のことではなく私の親子関係について考えた時でした。

夫の方は初めから普通の親子ではないと考えていましたが私の場合も同じくそれは愛に溢れた親子関係だとは言えないものでした。

それはきっと私の深い部分では承知していたけれども認めたくないという気持ちからいつしか心にフタをしてしまった部分なのです。

あえて忘れ去っていた事に向き合うべき時が来たのかもしれません。

思えば私はなんとなくですが「周りの子と私は何かが違う」と感じてきました。

小学生の頃から母が決めた何種類かの習い事で週のほとんどは忙しく、近所の子たちが好きなおやつをお店に買いに行く中、添加物が心配だと母が用意した決まったおやつしかもらえませんでした。

テレビは目が悪いからと1日30分しか見られませんでしたし、どんなに暑い日も寒い日も子どもは外で遊ぶべきだと追い出されました。

辛かったのは容姿のことについて「あなたはどうして私に似て足が太いのだ。毛深いのだ。肌が綺麗じゃないのだ。」などしょっちゅう私に嘆くのです。

これらは素直にコンプレックスとなり、私は「自分は美しくないのだ。」とすっかり自信の無いまま大人になりました。

兄と弟も同じく容姿に関して、「あの子の歩き方は」だとか「体型が」などと日常の中で母に言われ続けました。

何より辛かったのは、いえ、今も胸が痛むのは何をしても「褒めてもらえなかった」ということです。

いくつもの習い事で賞を取ったり級が上がったり、発表会で演奏しても「良かったよ。頑張ったね。」などとは言ってくれませんでした。

私は親に一緒に喜んでもらいたかったと思うシーンを幾つでも思い出す事ができるのです。

そして密かに「褒めてくれるかな」と期待して母の顔を見上げる切ない瞬間は今でも鮮明に覚えています。

そして私が子どもらしい夢や希望を口にすれば「そんな事は無理だ、何を言っているの」というように殆どが否定されたように思います。

父は子育てに関してはほとんど母に任せていたようで、時々母からの愚痴を聞いてか私の言い分も聞かずに怒り出す事もありました。

子育ては「規則」「義務」「正義」それもほとんど母親の基準で決められたもので常に縛られていたと言っても過言では無いと思います。

精神力が足りないなどとはよく言われましたが「楽しむ」事にどことなく罪悪感を持ってしまったり、辛いことから逃げる事ができないのはこのように常に言われて育ってきたからかもしれません。

やがて私は反抗期を迎え、母とも意見をぶつけ合う事が多くなりました。けれども私は「母は頑固で絶対に自分の意見を曲げることはない」と知っていたので徐々に上手くかわすコツを得ていきました。

それでも不完全燃焼した後の燃えカスのようなものがずっと心の奥底に溜まっているままなのです。

こうして書いている時ですら母に対して申し訳のなさを感じそのような記憶はどこかに埋めて忘れ去りたいと思うのです。

埋められた記憶とともに

そうやって色々と考えていると、重度のためこみ症である夫の抱える問題に目が行きがちだった私ですが、私自身も大きな問題を知らず知らずのうちに抱えながら生きてきたのだと気付かされました。

もしかしたら私のように、愛情に満たされないまま大人になり大きな問題を抱えたパートナーを選び、悩みの深い毎日を過ごされている方がたくさんいらっしゃるのかもしれません。

親の愛情を感じながら育つ事ができなかった。

それは漠然と私の中で幼少時代から悲しみとともに心の奥深くに埋めてきた認めたくない事実です。

いまだに神経症的なことに悩まされたり、重大な問題を抱えた結婚相手から逃れずに葛藤し続けているという点はその影響なのでしょう。

たとえ今の夫と違う人と結婚していたとしても、きっと私は何か手に負えない問題を抱えた相手を選んだと思います。そして一緒に育った兄と弟は未だ独身でいる事も納得できる気がします。

ですが私は両親を恨んでいるかと言えば決してそうではありません。

孫ができてからの両親の変化

特に私が結婚して子どもが産まれてからは、たまに子どもを預かってくれたり一緒に面倒をみてもらったりととても助けてもらいました。両親がいなければ私はきっと行き詰まってしまったでしょう。

多少細かな事もうるさく言われはしましたが、やっぱり孫は可愛いのでしょう。

私は自分が子どもの時に全く見えなかった両親の「子どもを可愛がる」姿を見ましたし、笑顔もたくさん見る事ができました。それは私が子どもだった時には無かった事でした。

そして何より驚いたのは「子どもは褒めてあげなくてはならない」と父が私に言った事でした。母も顔を笑顔で崩しながら孫たちの事を褒めるのでした。

孫は自分に責任がないから可愛いと母が言った事があります。

考えてみると高度成長期の真っ只中で毎日毎日父は遅くまで働き、母は子ども3人を一人で育てていたのですからさぞ大変だったのでしょう。子どもに優しく接する余裕がなかったのかもしれません。

私の望む愛情の形ではなかったかもしれませんが、両親なりの精一杯の想いで私たちを育て上げてくれたことに対して感謝しています。

親としての願い

母の頑なな性格は丸くなったとはいえまだ健在だというエピソード。

先日母と一緒に出かけ楽しく演劇を観た帰りに、募金活動をしているところに通りがかりました。

私は少しでも入れてあげようかと財布を出したのですが、母が「あなたは自分の会社の募金活動にお金を出すべきでそんな知らないところに入れてはいけない」と反対するのです。

「私の自由よ。」とお金を入れようとするのですが母が大きな声で「あなたの会社か父の勤めていた会社に募金しなさい。」とあまりにも強く反対するので私は財布をしまうしかありませんでした。

募金箱を持っていた方もさぞ困ったでしょう。

小銭の募金のことまで50を過ぎた娘に頑なに指示する母に改めて驚きましたが、もう私にとっては笑い話です。

「やれやれ。」と苦笑いしながら、背中も丸くなってきた母には降参するしかありません。

いろんな想いもありますがやっぱり私は母を愛しているのです。

これからも自分の心の深いところに埋められた記憶とともに、私は両親に感謝しつつ生きていくでしょう。

それはさておき…自分の身を振り返り

ふと、私も子ども達にとって毒になる部分がたくさんあっただろうと思い反省しまくる日々です。

我が家の場合夫のためこみ症のおかげで実際に住み辛い状態ですし、その他目に見えないことでも子ども達を悩ませたに違いありません。

自分が嫌だった事は子どもに言ったりしないように気をつけてきたつもりですが、無意識に親を手本にしている部分もありますから自信がありません。

思い当たる事があれば生きているうちに素直に伝えて謝らないといけませんね。

そしていつか子を持った時には私たち親を反面教師として自分の子ども達に曇りのない愛情を注いでほしいと願っています。

…それにしても親とは勝手なものですね。



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