日々思うこと

やりたい事をやった結果|不登校の10年後

日々思うこと
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不登校の10年後

次男が高校に入学してまもなく不登校になった日々からあっという間に10年が過ぎました。

「君は大丈夫だ。学校など行かなくてよろしい。やりたい事をやりなさい。」とその時期にかかった心療内科の先生は笑顔で、しかも自信たっぷりに息子に言いました。

その後息子は予想もしなかったほど変わっていきました。

そして同時に私の生き方も改めて考え直すことになったのです。

今回の記事は高校不登校だった息子がやりたい事をやり続けた結果と近況をお伝えします。

やりたい事をやろう

詳しくは他の記事で書いていますのでここではさらっとお伝えしますが、次男である息子は高校に入って1ヶ月もしないうちに学校に行かなくなりました。

「やりたい事をやりなさい。」と心療内科の医師が息子に言葉をかけた時、どうして学校に行くべきだと助言してくれないのかと私は心の中で憤慨しました。

ですが私は数日のうちに自分の考え方を改めなければいけないと猛省することになるのです。

というのも目に見えて彼の表情が生き生きと輝きだし笑顔が増えてきたからです。

はじめに彼はその頃ハマっていたパソコンで音楽を作るという趣味に没頭しました。

もう学校に行った方が良いなどと私から言われることもありません。

親の私にしても医師からのお墨付きなのですから内心不安はありつつも何とかして学校へ行かせねばというプレッシャーからも解放されたのです。

そうなって初めて私は息子がどのように音楽を作っているのか?ということに興味を持ち知りたくなりました。

一緒にパソコンを覗き込む私に息子が嬉しそうにいろいろ説明してくれました。

自然に会話も弾み、親子でそんな時間を過ごせることが大切なのだとだんだん私も元気になっていきました。

よし、息子と一緒に過ごせる事を楽しもうと決め込みました。

考えてみたらそんな年頃の息子と一緒に過ごす時間はもし学校に行っていればなかなか取れないのですから貴重だと気づいたのです。

一緒にゲームセンターでゲームを楽しんだり服を選んだりランチを食べに行ったり。

耳にピアスを開けたり髪の色を染めたりとそれまで学校では禁止されていたオシャレも楽しみました。

また学校では禁止されていたアルバイトを始め稼いだお金を遣う楽しみもでき、同時に働く中でのいろんな出来事を私に聞かせてくれたりもしました。

しばらくそんな生活が続き、不登校になったままの高校は親子で考え直し息子の希望で単位制の高校に転入することにしました。

中型2輪バイクの免許を取り、自分の稼いだお金でバイクを買い行動範囲がぐんと広がりました。

一からパソコンを組み立てたいというので部品を購入し朝から夜中までかかって組み立てた事もありました。

映画や読書なども楽しみ、私と感想を交換しあったりそれまでとは違った会話が増えていたように思います。

また不思議なことにすぐに辞めた高校にもお友達が数人居て友達と一緒に楽しく過ごす時間も十分持てていました。彼女もしっかり作っていました。

思春期の時期は親や先生より友達の影響は大きいと思いますからいいお友達に恵まれていたことはとてもラッキーなことでした。

周りの同級生が大学に進学した影響なのか自分も大学へ行きたいという気持ちが自然に芽生え、受験に向けて勉強を始めたのです。

不安はそのままに腹をくくること

取得単位ゼロのまま単位制の学校に転入していた息子はまず勉強の仕方から考えねばなりませんでした。

受験したい大学を息子が明確に決めていたためどの学科が受験に必要かを自分で調べてそれからどの学習塾に通うかも自分で考えました。

私は大手の学習塾に通う事を提案しましたが、息子は私の財布を気にしてくれて塾代の安いところをネットで調べ、そこに週2回通うことに決めました。

ほぼ自宅で自主勉強することと合わせて複雑な受験の手続きや準備なども全て自分でしなければなりません。

私が一番懸念していたことは受験の勉強そのものよりも「期限を守ることが苦手」な彼のルーズな一面でした。

提出物や宿題などの期限のあるものが滞ったり失くしてしまうこともしばしばで、時間を守らなければいけないところで遅れてしまうなど何かとルーズな息子が一人で大学受験に向けて準備するのです。

当然ながら金銭面での不安も出てきます。

うまく行っても行かなくても息子には必ずプラスになる事ですからお金のことはこの際何とか工面するしかありません。

いろんな心配が内心よぎりましたがそれらを一切顔に出さず私は応援に徹することに決めました。

不登校の日々から成長し自分の意思で受験を考えるようになったことは進歩ですし、万が一息子のルーズな面が災いしてつまずいたり失敗する事になってもそれはまた良い経験になるだろうと不安はそのままに腹をくくったのです。

やりたい事をやった結果

私の内心の心配をよそに着々と息子はやるべき手続きを自分で進め、模試を何度も受け自分の学習度を測りつつ学力をつけていきました。

結果息子は晴れて希望していた大学に合格したのですが、私が何よりも感動したのは自分一人の力で書類の手続きやさまざまな準備ができた事でした。

遅刻せずに間に合うように準備する事、忘れ物をしない事、ものを無くさない事など考えなくとも身についている人からは当たり前のことかもしれませんが、息子にはそれまで難しかったのです。

小学生の頃からその点で母である私を悩ませ続けたのですが今の彼は自分で全てをやり終え、見事に希望した学校に合格したのです。

これはやはり自分から「行きたい」と思える学校があったからだと思います。

やりたい事を小さいものから積み重ねていくうちにたどり着いた結果なのでしょう。

社会に出てから

いろいろありましたが何とか大学卒業まで漕ぎ着け、就職先も兼ねてから決めていた遠く離れた都会で希望する職業に決まりました。

これまた初めて親元を離れて一人暮らしをしながら初めて会社勤めするのですから「大丈夫かしら」と内心私は思いましたが、いろいろと超えてきた息子なのだからきっと大丈夫だと信じることにしました。

失敗したならそこから学ぶことがあるはずなのだからやりたい事をやればいいのです。

私の心配をよそに朝の7時には満員電車に揺られ遅刻する事なく出勤し、節約のため自分で弁当を詰めていると言うではありませんか。

一時はこの子はどうなるのだろうと悩みまくった日々が嘘のようです。

やりたい事をやる→できた→次にできたやりたい事をやる→できた…こんな繰り返しで息子はどんどん自信をつけたという事なのでしょう。

まさにやりたい事の雪だるま方式です。

母の反省

そして何より母の私には反省すべき点が多くあります。

「この子は手もかからず心配のいらない子」として幼い頃から肝心なところで関わろうとしないくせに余計なところに干渉してきたのかもしれないと反省しています。

今思えば息子のルーズな面に関して私が先回りしていろいろ言葉をかけ過ぎたり、自分の価値観を押し付けていたと思います。

それが彼の「やりたい事をやる」という事を知らない間に邪魔していたのかもしれません。

息子が不登校になるという状況にならなければ私は自分を振り返る事もなかったでしょうから、ちゃんと神様は問題に気づかせてくれるチャンスをくれたということですね。

失敗したならそこから学ぶことが必ずありますし、余計な心配や口出しはせず本人を信頼し任せてみるということが大事だと実感しました。

やりたい事をやり続けるということは、そこについてくるリスクにも腹をくくらなければならないということです。

なので繰り返すうちに自然と度胸もつきますね。笑

息子の場合、大学に進学しようという気になりそこから就職することになりましたが、私個人的には学歴を重んじているわけではありません。

自分で考え、やりたい事をやる事でなんらかの次への道が見えてくるはずです。

やりたい事をやるということは生きたいように生きるということです。

小さな「やりたい事」が次にやりたい事を生み、雪だるま式に膨らんで成長していけたら理想的ですね。

今日はこんな料理を作ったんだよと息子から写真が送られてくると、我が息子ながら賞賛の気持ちでいっぱいになります。

私に多くの気づきをくれたことにも感謝しています。

さて、私も息子のことばかりに気を揉んでいないで自分の事も考えてみなければいけませんね。笑

前向きに生きている限り年齢を重ねているとしても手遅れではないでしょうから。

最後に もし今不登校のお子様のことで悩み苦しまれている親御様が読んでくださっているなら「子どもを信頼し全てを任せてみる事、不安に感じても口出しはしない事」この二つが大事かなと思います。

この際開き直ってお子様と一緒に貴重な時間を心から楽しみ笑顔で過ごされる事を願っています。



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