日々思うこと

高校を中退してから大学卒業まで|不登校だった息子

日々思うこと
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次男の高校中退

先日、テレビからの声にふと手を止めることがありました。

その番組の中では『高校中退者を増やさないためにはどうすればよいのか』というテーマでの話し合いが行われ、様々な意見が交わされているようです。

そこでは高校の中退は選択肢の一つではなく、絶対に避けなくてはならない事のように話されていました。

それらを聞きながら私は今から約9年前、次男が入学したばかりの高校へ突然行けなくなってしまった日々を思い出していました。

実際に息子が高校を中退した経験し、本人はもちろん母である私にとっても苦悩の日々が続きました。

今となっては貴重な経験だったと言えます。

この記事では息子が高校を中退してから大学進学を目指し最終的に大学卒業した経験を書いています。

まさかうちの子が「登校拒否」

中学校まで特に何の心配もなく、どちらかというと優等生タイプだった次男。

勉強もスポーツも得意で友達も多く、中学校では生徒会活動にも参加しながら、スポーツクラブに入り毎日一生懸命な日々を送っていました。

それまで学校を休みたいと言った事は一度もありませんでした。

中学3年生の夏には部活動を引退し、冬には受験を迎え公立の高校へと進学したのでした。

受験のための勉強はあまり熱心ではなく、自分の学力で無理のない学校に入った感じです。

高校入学式で新しいクラスの列が体育館に入場してきた時、何となくその場の雰囲気から息子が『浮いている』気がしましたが、その時は見慣れていないせいだろう、ぐらいにしか考えませんでした。

先生が校則の話に触れた際に、息子の表情が微妙に歪んだような気がしました。息子は高校に入ったらおしゃれなども楽しみたいと考えていたようで特に髪型や色を変えたかった事を私は知っていました。

入学式を終え数日のうちに、息子は髪の色を茶色に染めました。私個人的にはそのくらい良いのではと思いましたが校則ですから許されません。

すぐさま生徒指導の先生から注意を受けました。

私が手伝って髪色を黒に戻すのですが、なんとなく学校に気持ちが向きません。そのうちに遅刻をするようになりまた厳しい指導が入ります。

「高校生活の3年間が終われば好きな色に染めたら良いじゃない」となるべく明るく息子に接し、楽しい気分になってくれないものかと内心気を揉んでいました。

またその他にもプレッシャーになったと思われるのが、中学時代に活躍していた息子の名前が先生を通して高校のクラブに知れていて『ぜひクラブに入ってほしい』と熱心に誘われていた事です。

どうやら息子にとっては重荷だったようです。

息子は中学時代までのような部活動に励むことではなく、オシャレや自由な時間を楽しむことを望んでいたのです。

早くも4月中旬から何となく元気がない日が続き、5月の下旬には息子は完全に学校に行かなくなってしまいました。

本人に理由を尋ねても曖昧な返事しか返ってこず、本当のところは解らないまま毎日が過ぎます。

心の中に黒い雲が立ち込めるような不安を私は感じました。今まで何の心配もなかった次男。「まさかこんな展開になるなんて。」と、どう対応して良いのか分かりませんでした。

その頃私は朝早いパートの仕事に就いていて息子よりも早くに家を出なくてはならなかったので、息子が学校に出るのを見届ける事ができません。

「今日は頑張って行ってごらん。」と息子に声をかけて先に家を出るのですが、仕事を終え家に帰ると息子が部屋着のままでいたり、家にいない日は学校から「今日も登校していません。」と電話がかかってきます。家を出てからどこかで時間を潰しているのです。

やっとのことで校門をくぐっても、授業が始まる前に抜け出し市街のゲームセンターで時間をつぶしている息子を担任の先生が見つけて連絡をくれたことも度々ありました。

何の心配も要らなかった息子が不登校になり予想外に突然に苦悩の日々が始まったのでした。

登校できない「葛藤の日々」

息子が何故か登校できないという暗い気持ちの日々が続きました。

「何故学校に行きたくないのか?将来のためには何とかして高校へ行かせなくては。」などなどの思いが常に私の心に渦巻き、葛藤していました。

それは息子にとっても辛い日々だったでしょう。

パートの時間を遅めにずらしてもらい、息子を高校の門の前まで車で連れて行く日がしばらく続きます。

なるべく明るく送り出そうとするのですが、ふとした言葉がきっかけになり取っ組み合いになった事も何度かありました。

朝、家から息子を連れ出せない日もありましたし、学校の門まで何とか送って行ってもどこかで時間を潰すか留守の自宅に帰ってきてしまうのです。

救いだったのは担任の先生はとても親切で、息子の気持ちを汲み取りながら私の気持ちへの配慮もして下さった事です。

そんなことになるとは全く予想もせずPTA役員を引き受けていたので、息子が学校に来ていなくても私はしょっちゅう学校に行かなくてはなりません。

そのおかげで先生ともお話ができたので良かったのですが。

『普通に』学校に行き、『普通に』卒業して欲しいという気持ちでいっぱいでした。

外を歩いている時も、笑顔で自転車に乗る高校生たちとすれ違う度に「なぜ、息子はあんな風に楽しく高校生活を送ることができないのか?」と涙が溢れるのでした。

「腹を割って話そうよ!」と明るく息子にアプローチをかけたり、煮詰まらないように気を配りながら話し合いをしようとかけ合いましたがなかなかうまくいきません。

誰もいない教室

何故息子は普通に学校へ行けないのか悩む日々が続く

登校は無理だと悟った雨の日

そんな日が続いた6月か、7月の頃でしょうか。

ある雨の降る朝、何とか制服に着替えた息子を車に乗せ学校へと向かいました。

気持ちを引き立たせようと明るい話題を投げかけますが息子の表情はさえません。

門の近くで息子を降ろしその先で車をUターンさせて引き返しながら、我が子の姿を探します。たくさんの生徒が傘をさして門に向かっている中で暗い顔をした息子の姿が見えました。

暗く惨めな表情をした息子の顔が傘の下からちらっと見えた瞬間、私は悟りました。

「登校することは無理なのだ」

「これ以上こんなことを続けると息子がつぶれてしまう」

私はここで180度考え方をひっくり返す事になりましたが何の躊躇もありませんでした。

その日の息子の姿は今でも忘れることができないほど目に焼き付いています。

留年、そして高校中退

もう学校に無理やり連れて行くことはやめよう。

とにかく明るい笑顔を取り戻すことをだけを考えよう。

これからどうすればよいのか?という不安はありましたが、学校に行かないという選択で息子の笑顔が戻るならそれで良いのではないかと思うようになりました。

その頃息子はパソコンを使っての音作り、曲を作る事に一生懸命になっていたので家にいても夢中になれる楽しみはありました。

嬉しそうに自分で作った曲を聴かせてくれたり、ソフトの操作方法を教えてくれたり。

平日の昼間にゲームセンターに一緒に行き二人でゲームを楽しんだこともありました。

とにかく今は学校のことは忘れて、親子一緒に楽しもうと私は考えました。

小さな頃から活発でしっかりしていた息子は私に頼ることが少なかったので、私もかまってあげる事が少なかったのかも知れません。

私が学校、学校と言わなくなったからか息子はどんどん元気になりました。

「出席日数の関係で、これ以上欠席が続くと2年生に上がれなくなります。」先生からの連絡が何度も入りました。

息子はそれでも学校へ行く気はありませんでしたし、私もその気持ちを尊重しました。

そんなある日私はふと思い立って、音楽作りに夢中になっている息子を連れ出しハローワークへ行きました。

「ちょっと社会見学に行こう!」というノリで。

そこで実際に仕事を探している人々の張り詰めた雰囲気を感じ取りながら、どんな仕事があるのかパソコンに向かい二人で見てみました。

あえて私は将来の話などはその時しなかったのですが、息子はその時に初めて将来の事を現実的に感じたと、後になって話してくれました。

そうして1年生の必要な出席日数が満たせない日を迎え、この先どうするかの話し合いが息子と私と何人かの先生を交えて話されました。

「留年するということは思っているより大変で、実際に卒業まで辿り着ける生徒はほとんどいない」という先生のお話しでした。

息子は初めから行く気はなかったのかも知れませんが、私や先生方に気を遣ったのか留年をすると決めました。

春が来てもう一度1年生になったのですが、1週間しか行くことができませんでした。

ですがそれは想定内のことでした。

そのことで私も息子ももう落ち込むことはなく、かえって前向きに進路を探してみようという気持ちになれました。

取得単位ゼロで通信制高校へ転校

どうやらハローワークでの求人を見たことから、漠然と高校卒業の資格は必要だと次男は思ったようです。

夫と前妻の子である次男より14歳年上の長男が、近くにある通信制の高校を出ていたこともあり、そこなら通えそうだという本人の希望で手続きが進められました。

その6月、息子は公立高校から通信制の高校へと転校しました。公立高校では取得単位がゼロでしたので、1年遅れのゼロからの出発です。

その通信制の高校は、全日制、週3日程度の登校、月に1度の登校から選ぶ事ができ、息子は週に3日を選びました。確かレポートを提出しながら単位を取っていったと思います。

いろんな事情で来られている生徒の方が多く、年齢層も幅広いようでした。

クラスなどはなく、(全日制はあるのかもしれません)行事なども特になく、息子にとっては気楽に通えたようでした。

大学への希望|受験から卒業まで

そうして通信制の高校に通いながらアルバイトや趣味にも没頭する毎日を送ります。

あれほど憂鬱な顔をしていた不登校の日々が嘘のように息子は楽しそうです。

小、中学校からの友達に加えて、ほとんど通えず辞めた高校でも友達ができていて、友人たちと会う時間も息子は大切にしていました。

この期間に私は息子のことをちっとも解っていなかったのだと痛感します。

例えばそれまでは私が息子の服を買っていたのですが、一緒に買い物に行くと洋服の好みですら全く思い違いをしていたことに気付くのでした。

それはそうですよね、いつまでも親の好み通りではいてくれません。

長い間息子に対して私の価値観を洋服に限らず性格的なことに対してまで無意識に押し付けていたのかも知れません。

社会問題などについて話をすると息子の方がしっかりとした考えを持っていると感じることがたくさんありました。

一緒に過ごす時間がたくさんできたことで私の知らなかった息子の一面や人間性を知ることができました。そして私自信を振り返り、色々な点で反省し見直す事ができたのです。

それは私たち親子にとって貴重な時間でした。

大学合格へ

通信制の高校に転校して2年が経った頃、同学年の子たちが大学生になった年のことです。

たしか6月ごろだったと思います。

友人たちより1年遅れて通信制の高校を卒業する予定の息子が突然「大学に行こうかな」と言い出したのです。

大学に進学した友人たちと度々会っていましたから影響されたのでしょうか。私は驚きましたがもちろん賛成し、早速二人でどうやって勉強して行くか話し合い考えました。

何しろ、普段そんなに勉強していたわけではありませんし、とりあえずは高校卒業できれば良いと考えていましたから大学受験となると何をどうしていったら良いのか全く見当がつきません。

いくつかの大手の通信学習講座の会社に電話し、高校3年分の学習セットをまとめて欲しいと問い合わせましたが、ひとまとめでは購入できないと断られました。

結局インターネットで息子が調べてここが良いという塾に通うことにしました。

息子の中では志望校はただひとつ、某有名私学大でした。

塾の懇談でも、滑り止めにどこか受けた方が良いとアドバイスを受けても頑として「その大学にしか行く気がないし落ちたら別の道を考える」と、他の大学を受験する事は考えませんでした。

勉強を頑張る息子の姿を見て、「もし受験に失敗したとしてもそれは意味のあることだ」と考え、見守りました。

そして約半年ほどの勉強の日々を経て、ついに希望していた大学に合格したのです。

合格発表の後、中退した高校でお世話になった当時の担任の先生のところへ息子は友人たちと一緒に報告へ行くと大喜びしてくださったそうです。

私からも電話でお礼の気持ちを伝えたのですが、久しぶりに聞く先生の声は涙声でした。

不登校になった期間も丁寧に接してくださって、通信制高校への転校の手続きなどお世話になったことを思うと感謝の気持ちでいっぱいです。

後になり息子と何が要因で合格したのかという話をしました。

普通の高校よりも通信制の高校にいたことで自由な時間が有り、自分の受験に必要な科目だけに時間を割き集中して勉強ができたことが一番の要因だとのことでした。

また、志望校が「ここ以外には行く気はない」と言い切るくらいにはっきりしていて、その大学だけの過去問題を解き対策を練ったことが大きいと言います。

滑り止めにもう一校受けるとなるとその大学の出題傾向への対策も必要となり受験勉強に費やする時間が足りず、息子がいうには両方落ちる可能性が高かったのとのことです。

ですが重要なのはチャレンジしたということで、たとえもし不合格でもその経験を基に何かに挑戦できただろうと思います。

どんな時も応援できる親でありたい

プロセスとしての中退はアリだと思う

あの時、傘の下の表情に気づかずに私が学校に行かせることを諦めなかったら、息子との信頼関係も崩れてしまっていたでしょう。

それどころか息子の性格までねじ曲げてしまったに違いありません。

大学を希望し、挑戦することもなかったかも知れません。

息子の場合、何が高校中退の原因だったのかと考えると、ひとつは型にはめられる事が苦手な性格であるという事でしょうか。

クラブへの勧誘と期待を受けた事が本意ではなかったことや、厳しい校則への反発もあったのかなと思います。

そして私自身の反省から、私が息子に求めるイメージを押し付けてしまっていたことが彼にとって大きなプレッシャーにもなっていたのかもしれません。

優しい息子はそんな事は口にはしませんが。

「みんなと違う道を選んだことで自分は他の友人が悩まないような事で悩んだから老けてしまった。」と冗談まじりに息子は言います。

このプロセスの中で息子は多くのことを考え、悩み、これから活かすことの出来る経験をしたに違いありません。

冒頭の『高校中退をどう防ぐか』という番組の中の意見をちらっと聞いて私が感じたのは、子ども達の生き方にもっと多様性があっても良いのではないかという事でした。

まだまだ若いですし、もしそれがうまく行かなければ修正をかければ良いのですから。

もちろん、学校を中退せずに再び登校できるようになることは一番良い事かもしれません。

ですが本人の個性や考え方までねじ曲げることになるなら他の道を選択することもできるゆとりのある環境であって欲しいと思います。

親子の関係まで崩してしまったり、子どもが心を閉ざしてしまったら何の話し合いもできません。

自信を持って自分の道を

大学生活も楽しんでいた息子ですが、やはり途中で2度ほど勉強が難しいらしく「辞めようかな」という時期がありました。

私にとってはそれも十分「想定内」にある事でしたし、その都度本人の気持ちに寄り添ってきたつもりです。

辞めることになるならそのことにも意味があるのだろうと思い見守り続けました。

内心心配はしましたが本来の卒業の時期から半年遅れてようやく単位を取る事ができ無事に卒業する事ができました。

高校も途中で辞め転校しているので大学は辞めずに卒業したいという必死の思いだったのでしょう。

これからもきっと、息子はいわゆる「ふつう」ではないルートを選ぶのかも知れません。

自分に合った道を見つけ、勉強に限らずいろんなことを学ぶ事ができれば素晴らしいのではないでしょうか。

この先もどんな状況にあったとしても「決めたことに自信を持って自分の道を生きていきなさい」と応援できる母親でいたいと思っています。


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