ため込み症の夫と離婚するのかしないのか?苦渋の決断
離婚するのかしないのか?自分に問いかける日々が続いています。
咋年末に自分の中で離婚決意をし、3人の息子たちに家を出ていくつもりだと打ち明けました。
離婚を考えるに際して、何よりも重大だったのは最愛の子ども達にどう説明し、なるべく痛みを軽減できるかと悩んできました。
私たち夫婦があまり円満ではないことを子ども達はすでに知っていましたが、離婚をするとしないではまったく違います。
気持ちを打ち明けた時、3人の子ども達はそれぞれに理解してくれたようでしたが、私にとっては心底辛い年末年始となりました。
そんな機会を経て99%離婚決行する勢いだったのですが…。
結論を先に申し上げますと、離婚は今回は見送りという苦渋の決断をすることとなりました。

ため込み症の夫のためこみは止まらずついに私は離婚を決意
子どもたちに離婚の決意を伝える
重度のためこみ症の夫と暮らして30年近く悩み続け、ついにこの結婚生活にピリオドを打とうと決意した私。
子どもたちも社会に出た今、そろそろ自分のこれからの人生を優先して考えても良いのではないかと私は考えるようになったのです。
それまでは離婚自体、意識したことはあるものの、自分は到底実行できそうにない、と諦めていたのでした。
数ヶ月前から決意を固め、次男が帰省した際に3人の息子たちにまずは私の気持ちを伝えようと決めていました。
長男は兄弟の中でも一番私や家族のことを考えてくれます。次男は就職のために遠方にいますが、私の悩みに一番寄り添ってくれ、何でも話し合える友達に近い感覚の子です。三男はとにかく私が可愛がった末息子。
ため込み症の夫は子育てには関心がなく、子ども達3人とも関わりは薄かったのですが、今では長男だけが父親に積極的に話しかけてくれ、家族をまとめてくれています。
子どもたちに離婚宣言をした後、新年が明けたら本格的に準備を始め、3月中には住む家の準備を整え、4月に夫に離婚の申し出をしようと具体的に考えていました。
離婚話しを切り出した私に、「今すぐ出ていけ!!」と、夫が言う想定で、準備万端に用意しておいた新居に出向く算段です。
離婚するのは初体験ですが、子どもたちにどう離婚のことを伝えようかというプレッシャーの大きさは想像以上に苦しいものでした。
「お母さんは一生この家にいて良いの?」と言ってた次男は、離婚話しを喜んでくれるのではないかと楽観的に考えていた私ですが、実際はそうではありませんでした。
私が出ていく意志があることを伝えると、自立している長男、次男は自宅に残っている弟のことを心配しました。
感情のやりとりもほとんどできず、モノをためこみ続けている父親と二人で暮らすことは、一人暮らしよりも遥かに大変なのではないだろうか。
それを聞いて、ずいぶん離婚の決意を固めていたはずの私でしたが、その気持ちに早くもヒビが入り崩れていくのを感じました。
でも「離婚するなら今しかないのだ」とも思い、気持ちは激しく揺れていました。
揺らぐ離婚する決意
普段から口数の少ない三男はいつもは皆の話に頷くだけなのですが、今回は大事な話し合いなのです。
三男はしばらく考え込んでから唸るように「それはキツイな」と小さな声で言いました。
三男も優しい子なので私の気持ちを汲んだのでしょう、その後は一切ネガティブな発言はせず、受け入れようと頭の中をめぐらせている様子でした。
そんな話し合いの後私の気持ちはグラグラと揺れ、堅く決意したはずの離婚計画が、早くも崩れていくのを感じました。
子どもがいなければ、きっととうの昔に離婚していたのは間違いありません。
私は離婚するのかしないのか?
自分の中でも刻々と変化する気持ちを鎮めることもできず、吐き気に耐えながら私は冷静に自分の気持ちを考えました。
もう一つ深刻に感じたのは13歳年上の夫の体の状態でした。
久々に全員集まった子どもたちが家で集まった時に気づいたのは「お父さんの記憶力が怪しくなりつつある」ということでした。
普段は人と全く関わりが無いために、軽い痴呆症状が出ているのかもしれません。その上糖尿病がかなり進んでいるにもかかわらず、生活習慣を改善する気がないので身体はガリガリに痩せています。
ですが人の寿命など分かりませんし、そのまま長い間生き続ける可能性だってあります。
これ以上、「この人はいつまで生きるのだろう」とウンザリした気持ちで夫と暮らしていくことは無理だ…。
夫の介護が必要になるのは近い未来かもしれない。そうなったら私は世話をすることができるのか?
ためこみが進むことは間違いないと考えていた私ですが、夫はもうすぐ誰かに世話をしてもらうことが必要だということが急に大きな問題に思えてきました。
長男にその役割を押し付けるのか?同居している三男がそれを担うのか?
もし結婚したいと思える相手が息子たちに現れたとしても、この夫の介護がもれなく付いてくるとしたら…。
いろいろ考えるうちにますます離婚するタイミングでは無いのではないだろうか?と思えてきます。
離婚するのかしないのか?
離婚の決意がグラグラし始めた私は「2週間は思い切り悩もう」と期限を決めて眠れぬ夜を過ごしました。
離婚するのかしないのか…苦渋の決断
「お父さんの病気が悪くなれば僕が病院か施設に入れるなりなんとかするよ。ゴミ屋敷状態もさらに悪くなるだろうけれど、離婚したらお母さんは一切家の心配しなくて良いからね。家に残る弟は僕がサポートするし大丈夫だから。」
長男は迷う私に言ってくれます。
「お母さんがあの家にいないならオレはもう帰らない。たまにはお母さんがオレのところに来てくれよ。大変だけど頑張って。」と次男は言ってくれました。
無口な三男はこの家がどうなるかを見届ける、と言って家を出る気はなさそうです。
離婚してこの家を出たら長男が言う通り、一切のことを心から切り離して私は暮らせるだろうか?
遠くないこの先に持病が悪くなるであろう夫の世話を子どもたちに任せて、私は別の家に一人住み幸せだろうか?
子どもたちのことを思い、結局今以上に苦しむことになるのではないだろうか?
悩みに悩んで、結局私は今回は離婚を見送ろうという苦渋の決断をしました。
夫がまだまだ元気な頃なら違う決断もできたのかもしれません。
自分が考えていたよりも遥かに思い切りの悪い人間だと、自分にがっかりした気もしました。
子どもたちに負担をかけるということで、きっと私は後悔をするだろうと、ついに今回は離婚を諦めることにしたのです。
違う生き方を考えたことは一歩前進

これからも増え続けるであろう不要なモノと食料。
吐きそうなくらい悩んだ末に、子どもたちに「離婚計画は中止」と伝えました。
三男はホッとした様子で「お父さんもあまり先は長くないだろうし」と言いました。(あまりこんな期待はよくないのかもしれませんが…)
離れた次男とビデオ通話でその旨話すとやはりホッとした様子で「これでオレの帰る家はまだあるね。」と嬉しそうでした。
長男は「どの選択をしたとしてもその道は常に最善だと思う。また気持ちは変わるかもしれないけどその時はその時で考えよう。」「今回のことで僕たちは1歩前進した」と言いました。
この先どんな事が起きるかわからないのだと私を含め子どもたち3人が意識する事ができたということは有意義だったと言う事でしょうか。
もし子どもたち3人が「離婚してお母さんが出て行ったら誰があの父親の面倒を見るの?大量のモノはどうするの?」と私を責めていたなら逆に私は開き直っていたかもしれません。
1歩前進。
次に私がこの件に関して決断する時が来たならその時は本当に離婚するでしょう。
離婚を決行しようという決断もかなりしんどかったのですが、それに対して子どもたちが皆、自分の気持ちはさておき母である私を気遣い、応援してくれようとした事を私は一生忘れないと思います。
母が弱みを見せてはいけないと生きてきた私ですが、今回子どもたちに心のうちをさらけ出せたことは、確かに私にとって1歩前進です。
ひとりで抱え込まず子どもたちに頼りながら、これから起きてくるであろう我が家や夫の問題に向き合っていこうと思えるようになりました。
優しい大人に育ってくれた息子たち3人に感謝です。
家族の中で夫だけが私と子どもたちの心境に何が起きたかも知らずに、溜め込まれたモノに埋もれてテレビを観ています。
それにしても
一人暮らしの家をネットで検索する事がこんなに楽しかったとは…。いくらの予算でこのくらいの部屋…ということは今回しっかり頭に入りました。笑
いろんな間取りを見ては快適なスペースを想像するのは楽しいですね。クセになりそうです。
ということで「ものびと」記事はまだ続きそうです。
これからも茨の道が続くと思うのですが…しっかりと地に足つけて生きていきたいと考えています。


コメント
世阿弥の「風姿花伝」では人間の本質は本質的に現状を変更することに強い抵抗感があり
変えるかどうかの決断は自分でしなけばならないといっています。
仮に変えていい結果が出れば問題ありませんが悪い結果となればそれは変えた自分の責任になってしまいます。
一方変えなかった場合に悪くなったとしても、それは環境のせいにできます。
実際は変えるべきときに変えなかった自分のせいですが、人間というものはなかなかそうは考えません。変化を好まないことにも理由があるわけです。
こんばんは。いつも読んでくださりありがとうございます。本当にそうですね…。現状を変えるのはとても勇気が要ります。今の苦境に耐え続ける事は忍耐しかないと分かっているので今回私が迷った挙句に選択しきれなかったのは現状を変える勇気が足りなかったのです。何とかなるようになっていくのだと思うのですが…。私は思い切りが悪い人間なので家を出たとしても結局残してきた子どもや世話が必要になってくる夫を気にせずにはいられないと思うのです。でも私が出る事で良いこともあるはずだとは思うのですが…。(こんな感じで考えがぐるぐるまわってしまいます。)ですが、きっぱり割り切れる勇気が持てる時がこの先に来るかもしれません。世阿弥さんの「風姿花伝」また読ませていただきますね。コメントありがとうございます。