ためこみ症

物に埋もれる家を出よう|ためこみ症の夫

ダイニングテーブルもモノで埋め尽くされている ためこみ症

物に埋もれる家を出よう|ためこみ症の夫

ため込み症の夫のダイニングテーブルもモノで埋め尽くされている

ダイニングテーブルも夫が溜め込んだモノで溢れている

ここのところ、ずっと揺れ動いていた私の気持ちですが、

ついに私はこの物に埋もれた我が家を出ていこう、と決心するに至りました。

もう30年近くも夫婦の在り方に悩まされ続けながら、はっきりとした手立ても判断もできずに、自分をごまかし生きてきた私の総括が始まるのです。

このままここで「この家を片付ける」ことだけを目標にして生きていくのも、私らしいといえばその通りなのです。

ですが、そうでない生き方を私の本心が望んでいるのなら、もたもたしている場合ではありません。

なにせ、とっくに人生の半分を過ぎているのですから。

約半年前、私は離婚しようか深く悩んだ末に踏みとどまりました。

3人の息子達…特にまだ自宅に残る気でいる末の息子が、私が出ていくことで大変な苦労をするのではないかと私は恐れました。

ためこみ症の夫がモノで埋め尽くした我が家は、人が健全に生活できる状態ではないうえに、夫は相手の感情を汲み取ることが苦手なのです。

子ども達のことを考えると、このまま家を出ても私は幸せにはなれないと一旦は離婚を諦めたのです。

ですが私はやはり、このまま一生を終えたくはありませんでした。毎日毎日ふと気付くと私はどう生きていくべきか?と悩んでいるのです。

ある出来事を機に、夫と離婚したいという思いが改めて私の心に強く芽生えました。

それはつい先日、法事に参加するため遠方まで夫と出かけた時に、お互いの心がバラバラであることを再認識し、夫婦を続けていくことに限界を感じたからでした。

夫婦であることの限界と諦めた夢

全く会話もなく私たち夫婦の日々が過ぎています。

そんな夫婦が法事のために、片道3時間近く新幹線に乗って出向くのです。旅の期日が近づくにつれ、私はとても憂鬱な気分になりました。

長い道のりを隣同士で座り、法事の間も柔和な表情でいられるかしら…。どうにか穏便に済ませなければ。

いくら考えても行き帰りの新幹線で夫と隣同士では座れないと考えて、スマホのアプリで自分の席だけ予約し、「何時何分の○○号の席を私は取ったからね」と夫に伝えました。

結局当日は夫婦バラバラに家を出て、同じ新幹線の違う車両に乗り出かけたのでした。

法事の間は何とか同じ席に着きましたが、私たち夫婦が話すことはありませんでした。

帰る時間が近づき、私はまたもや帰りの新幹線チケットをとるためにアプリを開きながら「夫は帰りはどうするつもりだろう」と密かに悩み始めました。

ギリギリの時間まで席を取らずにいたのですが、夫は早々と帰りの席を取っていたようで「久しぶりにあちこち寄り道して帰りたい。今日は晩御飯はいらないから。」と言われました。

いやいや、こんな日に私も晩御飯作る気はありませんが…。笑

夫も私と一緒に居たくないのでしょう。それを聞いてホッとして私は先に帰路についたのでした。私たち夫婦は終わっているなと1日を通して感じ、それと同時にこんな夫婦を続けていくわけにはいかないという覚悟の気持ちが大きくなったのです。

帰りの新幹線にひとり乗り込み、具体的にどうやって離婚を進めていけばいいのか?と考えつつ窓から夕方の景色を眺めていました。

ぼんやりしていると、どこからかネコのなき声がきこえます。

どこにネコがいるのだろうと見回すと、通路を挟んで斜め前の方の足元にカゴがあり、その小さな窓から可愛らしいネコが私の方を見ながらミャアミャアないているのです。

不意に私は「家を片付けてネコと暮らすことが私の長年の夢」だったことを思い出しました。

私はその夢を設定することで自分を慰め納得させてきたのです。

でもその日の私の気持ちは変わっていました。

ミャアミャアと可愛い顔をのぞかせているネコを見ながら、「私は家を出ていくべきなのだ。もうあの家でネコと暮らすことはないだろう」と思い、涙が止まりませんでした。

こんなタイミングでネコと出会うなんて、何かお告げを受けたような気がしました。

何も組み立ててこれなかった夫婦の関係に悲しさを感じるのですが、夫はその点あまり何も感じていないのかもしれません。モノの山に埋もれて1日過ごしている彼は、物に囲まれてさえいれば安心しているようです。

そしてこの先も、私たちはお互いの間に何も組み立てられないことを私は知っているのです。

可愛いネコが先に降りていくのを見ながら、「さよなら、さよなら」と涙を堪えていました。

テレビボードの下の空間にもため込み症の夫のモノが詰め込まれた

ためこみ症の夫はテレビボードの下のスペースもすぐにモノで埋めてしまった

 

物に埋もれる家を出よう

新幹線を降りてから自分の住む街まで帰る道中、私はある決心をしていました。

これまでインターネットでただ眺めてきた、一人暮らしのための物件の問い合わせボタンを今日こそは押そう。

夫はゆっくり帰ってくるはずですから、先にお風呂に入りスッキリしてからパソコンに向かいました。

いいなと思った物件の問い合わせボタンを押そうとするのですが、勇気が出ずに指が何度も空中で止まってしまいます。

このボタンを押せば私は新しい人生に踏み出すことになるだろう。押さなければ今まで通りの苦しい人生が続くけど、何の変化もない代わりに経済的な心配は無い…。どちらを私は求めるのか?

「今日は疲れているから明日にしよう。」と一旦パソコンから離れそうになったのですが、「いやいや明日になったら私はまた迷いだすに違いない。」と椅子に座り直しました。

そしてついに、いくつかの物件の問い合わせボタンを一気に押して行きました。

こうして私はためこみ症の夫がモノで埋めてしまった家から、出ていく準備として具体的な行動に出たのでした。

ここから出ることで私の人生がどう変わっていくのだろう。希望よりも遥かに大きな不安。

夫が生きている限りは片付けに手をつけることができないのですから、この先ここに住んでいても私は苦しみ続けるはず。

物件の内見申込ボタンを押し、1歩踏み出したことで何だかスッキリとした気持ちになり、これからしっかりしなければと身が引き締まる思いがしました。

このまま夫婦関係を続けていくことをこの歳になって辞めようと決心したのです。もう少し早ければ今と違った人生があったでしょうか。

まあ過ぎたことはいくら考えてみても後の祭りですね。笑

残りの人生の中では今日の私が一番若いのですし、大きな不安を抱えながらも前を向いて生きていくしかありません。

他の誰にも決められない、私だけの人生。私が決断していかねば。

夫を憎むのでなく、お互いに労りの気持ちを持ってお別れすることができれば理想的だと考えています。

やれやれ私はどうなるのやら、生きていくのは大変ですね…。笑

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