熟年離婚を選んだ私の「初めての自立」
現実から逃げる日々
ちょうど1年ほど前に熟年離婚をした私ですが、30年近く続いた結婚生活にピリオドを打ち離婚の決断をすることは、50年あまり生きてきた中で最も自分と正面から向き合わなければならない作業でした。
今思えば私は、実家から出て一人暮らしをすることもなく、自分の責任で生きたことがなかったように思うのです。
実家にいた頃は親に守られていましたし、結婚生活は初めからうまくいきませんでしたが、それでもやはり私は夫に守られている立場だったのです。
夫婦仲良く暮らしたいと望んでいましたから、いろいろな方法で夫に歩み寄ろうと試みましたが状況は変わりませんでした。
ストレスの多い日々の中で私が身につけたのは、目の前の現実から目を背け「問題を直視しない。」というやり方でした。
その現実から逃避するやり方はかなりの効果を発揮しました。一時は心を病んだ私がみるみる元気を取り戻し、子育てや趣味も楽しむことができたのです。
なんだかんだ不満を持ちながらも、自分の気持ちにフタをして見ないようにしましたし、うっかりフタが開いてしまいそうな時には注意深く自分をなだめ、悩みの底に落ちてしまわないようにしてきたのです。
そうするしかできませんでしたし、今でも後悔することはありません。
自分自身に責任を持って自立した経験のない私は、うまくいかない結婚生活を「やめる」よりは、苦しみ悩みながらでも「続ける」方が楽だったのです。
「〜べきである」を捨てる
良く言えば自分の選んだ結婚に責任を感じていたのですが、結局のところ私はそこから抜け出す勇気もなければ解決の糸口を見出すこともできず、妻であるという立場に甘んじていたのです。
「このまま結婚生活を続け、夫が最期を迎えるまでは現実から逃避し続けるしかない」と、長年私は思い込んできました。
それは決意に近いもので、それ以外の選択肢は無いように私には思えましたし、自ら苦しい道を選ぶという私の性分に合っているとさえ思えたのです。
そんな私でしたが子どもたちが大人になり自立し残された半分の人生を思う時、今までなんの疑いもなく「結婚生活を続けていくべき」と考えてきた自分を変えてみても良いじゃないかという、開き直りにも似た感情が湧いてきたのです。
このまま現実から逃避しながら暮らし続けることもできると思いましたが、心のどこかから…たぶん開けてはいけない心のフタの奥からの「本当にそれで良いのか」という声が徐々に大きくなってきたのでした。
もともと世間体などはどうでも良かったですし、それよりはむしろ自分の中の「こうあるべきである」という枠を取り払うことの方が難しいように思いました。
私はどうしたいのか?シンプルに問いかける
幼い頃から私は自分の欲求よりも「〜べきである」という形に囚われ、なかなか素直に行動に移すことができなかった上に、結婚後は現実から逃避し続けてきたため自分が本当は何を望んでいるのかという事すらわからなくなっていたのです。
これからどう生きていけばいいだろうと考える時、私は避けてきた現実と向き合い、自分の本当の気持ちを直視せねばなりませんでした。
…私はどうしたいのか?
「離婚して子どもたちに迷惑をかけるべきではない」「夫と最期まで添い遂げるべき」など、すぐに私が考えることを邪魔してくる色々な「〜べきである」という観念を捨てて、純粋に「私はどうしたいのか?」と自分に問いかける苦しい日々が続きました。
いろいろなことを天秤にかけ、何度も何度も考えを巡らせた結果、私は自分でも選ぶことはないだろうと考えていた離婚の決断をすることにしたのです。
それは私の中に大きく陣取っている「〜べきである」「〜ねばならない」という考えを全て打ち崩すような大きな決断であり、勇気を必要とするものでした。
初めての自立「人生は選択の連続」
形にばかり囚われ、なんとなく人に自分の人生の流れを委ねてきた私は、離婚を決意したこと…自分の欲求に素直に従ったことで、初めて「思うように生きて良いのだ」と感じました。
いろんな決断と選択する機会が次々に訪れ、「自分はどうしたいのか?」というシンプルな質問を自分に投げかけることにも慣れてきたようです。
熟年になってようやく私は人生とは選択の連続なのだということに気づきました。
その選択によって幸せになればそれで良いですし、不満を感じればまた次の選択に移れば良いのです。自分で選択した結果が悪かったとしても、誰を責めることもできません。
もしあのまま結婚生活を続けていたら…それも悪くはなかったかもしれません。ですが私はなんの選択をすることもできず、ただただ現実逃避することしかできず、不満を夫のせいにしたことでしょう。覚悟も勇気も必要なく、ただただ忍耐が必要な日々を送ったでしょう。
この歳になって初めて大きく自分の大きな部分を変えようと覚悟を決めたことに不安を感じることもありますが、責任にはつきものの感情なのでしょう。
誰にも寄りかからずに生きているという実感は離婚しなければ得られなかったと思います。まあ夫婦仲が良ければ存分にお互いに寄り掛かり合える幸せがあるのでしょうけれど。
人生のどんでん返しともいえる熟年離婚を選んだ私は、誰に委ねることもできない「離婚」を決行することで、初めて自立できたのかもしれません。
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