息子の不登校から学ぶ
子育てを終えようとしている今、振り返って最も大きな出来事のひとつは次男が高校不登校になった事でした。
ですがその後思いもしなかった展開で息子は大学へ進学し無事に卒業する事ができました。
その出来事の後押しとなったのは「やりたい事をやりなさい」というある医師の言葉でした。
その医師とは不登校になった高校のカウンセラーの先生に勧められた精神科の個人病院の先生です。
今ではその病院の場所さえはっきりと思い出す事ができないのですが、その言葉のおかげで今の息子があり母である私も救っていただいたのだと感謝しています。
息子が不登校になったことは辛いことでしたが、たくさんのことを考え学ぶことのできた貴重な経験でした。
今回の記事では息子が不登校になり心療内科を訪れた事、またその後どのように生活が変わっていったのかを書いています。
不登校の原因はわからないまま
息子は公立高校に入学し、5月には完全に不登校になってしまいました。
中学校までは活発に勉強にも部活動にも励んでいた息子でしたから、「なぜ学校に行けないのか?」という難題が突然私の前に現れたのでした。
不思議なことにほんの少しの間に良いお友達が数人できていて不登校の間にも交流がありいじめの問題ではなさそうです。
「何かわからないけど行きたくない。うまく説明できない。」という息子。
私の推測では、一言で言えば「校風が合わなかった」ということでしょうか。
校則も厳しくオシャレやアルバイトなどはできません。
それでも息子は髪を茶色に染めてしまいましたから当然厳しい指導を受けた様でした。
私個人的には本人の個性としてそのくらいは良いのではないかと思いましたが校則ですからそうはいきません。
髪を黒染めにするために使った染料の領収書の提出を求められたりしました。
それでもまた茶色に染めてしまう息子。
学校の指導室に親子で呼び出され、髪の毛を黒色にするためのスプレーを買って急いで染め、親子で出向いたこともありました。
高校の校風などのことを調べずに学力ランクだけで本人が決めての受験でしたから仕方がなかったのかもしれません。
校則の厳しさに対しての反抗心や処罰に対しての疑念などが息子の頭にはあったのではないかと思われます。
明確にこれがイヤだというポイントがはっきりしないので私は心の中でどうして良いのか途方に暮れていました。
そして私は息子が無気力症候群とでもいうような何かよくわからない心の病気なのではないかとすら疑い始めていました。
勧められるまま心療内科へ
私の両親はいわゆる「根性論」を地で行くタイプでしたからその親に育てられた私もそれが基本の生き方だと思ってきました。
何事も根性で乗り切る事ができると信じていましたし、諦めるという選択が私にはなかなかできないのでした。
そして学校は「行かなければならない」という「〜ねばならない」ことの一つであり、例外はいけないことなのだと潜在的に考えていました。
そんな私はただただ「普通に学校に行って欲しい」という願いから毎朝何とか息子を学校の門まで連れて行かなくてはならないと必死でした。
そして必死過ぎて息子の暗い表情にも気づかないのでした。
いえ、気づいていても気づかないふりで明るくふるまい通そうとしていたという方が正確でしょうか。
とにかく学校に行き、慣れさえすれば後は徐々に問題は解決されるのではないかと。
校則や厳しい指導なども、後3年経って卒業したら関係無くなるのだし、その時は金髪でも緑色にでもすれば良いと何度となく息子に言いましたが納得はしてくれませんでした。
そんなある日、学校のカウンセラーの先生からある心療内科を紹介されます。
ちょうど私の心にも「無気力症候群」というワードがちらついていましたから、これは一度診てもらった方が良いのではと思いました。
何かが解るかもしれない。でも心療内科に息子が素直に出向いてくれるだろうか?
息子にどう伝えればいいだろうと悩みましたが、結局ストレートに「行って楽になるかもしれないから一度心療内科に行ってみようか」と明るく声をかけました。
意外にも息子は素直に診察に出向いてくれました。
君は学校には行かなくてよろしい
ドキドキしながら受付を済ませると、はじめは親子で診察室に通され、先生との話があったと思います。
私は親子別々で話を聞いてもらえるものと思い込んでいて、私だけになったらたくさん聞いていただきたい相談事があると意気込んでいました。
息子は別室に移され、よく話に聞く「りんごの木の絵」を描いた後、待合室で先生の診断結果のお話を待ちました。
予想外に親子同時に先生の元に呼ばれました。
そこできっと「君、そろそろ学校に行ったほうが良いよ」と先生がおっしゃるはずだと信じていた私。
そこでまさかの展開が起きました。
息子がその頃夢中になっていたパソコンで音楽を作るソフトのことを先生もご存知で、その話題で盛り上がっているではありませんか。
学校の話なんてちっとも出ないのです。
私はあっけにとられました。
そして先生はキッパリとおっしゃいました。
「お母さん、この子は大丈夫です。」
「この子には音楽を存分にさせてあげなさい。やりたい事がある事が一番大事なのです。学校なんかは行かなくてよろしい。」と。
私は耳を疑いました。
てっきり息子に学校に行く様に勧めてくれるものと思い込んでいたのに学校に行かなくて良いなどと息子の前で断言するなんて。
「でも先生。私は学校で勉強以外の人との関係やその他の教科書に載っていない勉強や経験もするべきだと思うのですが。」
焦りつつ、内心来るところを間違えたと感じた私。
「お母さん、学校、特に日本の学校というのは非常に特殊なんですよ。あそこで何かを学べなかったと言ってどうということはないのです。そんなものは社会に出てからでも学べます。」
「この子はやりたい事があるのだから今はそれを精一杯やらせてあげなさい。もちろん精神薬も要りません。大丈夫です。」
息子もキョトンとしていましたし、私などはなかば憤慨して病院を出たのです。
私への一喝と貴重な教え
その後、紹介してくださった学校のカウンセラーの先生にに私は「どうしてあんな医師を紹介してくれたのだ、学校へはいかなくていいなんて!!」と苦情めいた事をお伝えしたと思います。
なんてその頃の私はつまらない母親だったでしょう。
学校は行かなくてはならないという固定観念に囚われて息子の心を見ようとはしていませんでした。
ずいぶん後になって「俺もついにこんな病院へ来なくてはならなくなったのか。」と息子はその時複雑な心境になったと話してくれました。
そして今では懐かしく「それにしても面白い先生だったね。」と二人で笑い合うこともあります。
きっと先生は息子よりも「ねばならない症候群」とでもいうべき強い固定観念を持った私に一喝をくださったのだと思います。
その後も変わらず不登校は続きましたが、息子は楽しげに音楽作りに励み、「たとえ学校に行けなくてもこんなに生き生きとした息子でいてくれる方がうんと良いではないか」と私も徐々に思える様になりました。
そのうち、せっかく息子が家にいるのだから一緒に楽しんでみようと考えられるようになり、私の苦しみも和らいでいきました。
それは今まで何の心配もなく大きくなってきた息子と初めてじっくり向き合う時間でもあり、一緒に過ごすことのできた貴重な時間でもありました。
そして自分の育てた子なのだから私と同じ考え方だと思うのは大きな勘違いであり、考え方の違いや価値観の違いを今まで押し付けていたと気づくきっかけにもなりました。
やりたい事があるということは素晴らしい。
今となっては、あの先生はなんて貴重な事を私に教えてくださったのだろうと感謝の気持ちでいっぱいになります。
やりたい事をやってみよう
この後、紆余曲折を経て息子は大学卒業まで辿り着くわけですが、私は学歴主義者では有りませんから仕向けたわけではありません。
やりたい事を楽しみながら実行する事で色々な意欲や希望が持てたのだと思います。
勉強に限らず息子がアルバイトがしたいとなれば一緒にあれこれ求人情報を見ましたし、二輪の免許が欲しいと言えば全面的に協力し念願のバイクにも乗れたことなどをそばで見守ってきました。
あんなに「〜ねばならない」に縛られていた私も、おかげで「人それぞれいろいろな考えがあっても良いじゃないか」と柔らかな考え方を得る事ができました。
「やりたい事がある事が一番」
あの一見風変わりな先生がおっしゃっていた事は私たちを救ってくれたと言っても過言でない気がします。
もしかしたら『やりたいこと』にひたむきに頑張ること以前に『やりたいこと』を見つけることすら難しい時代なのかも知れません。
やりたい事がすでにあるとしたらそれはラッキーな事です。
何かに一生懸命取り組むことで得られる経験がさらに次の挑戦を産むとでもいえばいいでしょうか。
もし今苦しんで立ち止まっているお子さんがいるなら、学校なんか行かなくて良いからとりあえずやりたい事をやってごらんなさいとお伝えしたいです。
もし何をやったら良いのか解らない、もしくは何もないなら、学校に行くことよりも何か興味のある事を見つけることの方が大切です。
何でも良いのです。植物などを育てたり本を読んだりでも良いと思いますし、何か小さなことでも始めてみると良いと思います。
学校のことや先のことはこの際横に置いておきましょう。
そしてこれらの出来事は息子ではなく私の問題が大きく反省する点が多かったと感じます。
無意識に「息子の理想像」を押し付けていなかっただろうか。息子は私とは全く別の人格をもっているのにまるで私と同じ考えや価値観をもっていると勘違いしていたのではないか。
これはもし息子が不登校にならなかったら見過ごしていたであろう問題であり、心優しい息子にとって重たい問題であり続けただろうと思われます。
もちろん息子は母に優しいのでそんなことは口に出しませんし意識もしていないのかも知れませんが私にはそう感じられるのです。
あの医師がもし「君、学校に行かなくてはならんだろう!」などと息子に一喝していたとしたら。
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