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ためこみ症

[私の体験談]ため込み症の夫と暮らす中で僅かなスペースと引き換えに失ったもの

リビングの窓もモノでいっぱい ためこみ症
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スペースを得るために処分した私のもの

溜め込み症の夫と暮らす中で少しづつ処分されたのは夫が溜め込んだ大量のモノではなく少量しかない私のものでした。

ちょっとの空間があればモノで埋めなければ気が済まない「ためこみ症」の夫との暮らしの中で、僅かなスペースを得るために私はいろいろな物や思いを処分しなければなりませんでした。

どんなエピソードがあったかを振り返りたいと思います。

スペースを得るために私の思い出の物も処分

我が家は不要なモノで溢れ私のものはスペースを得るために処分された

私のものはスペースを得るために処分されたが不要なモノで溢れかえる我が家

我が家はため込み症の夫のためこんだモノでいっぱいになっています。

貴重なスペースを得るために私は色々な物を手放してきました。

私の持ち物のほとんどが処分されたのは、大量にある不要な物を夫が片付けたり処分する事ができないためでした。

もともと私の持ち物も少なかったのですが今では化粧品や洋服などの身の回りのものが少しあるだけです。

夫は普段はどちらかといえば大人しいのに物を処分するとなるととても怒ることがありました。

それを知っている私はストレートに片付けの話はしないようにしていたのですが、ある日モノの処分のことで珍しく夫と私は言い合いになりました。

結婚前に少しの期間外国で暮らした事があった私はその頃の思い出の物をスーツケースに入れて保管していたのですが、やり取りの中で夫は逆上し「オマエのこの荷物を先に捨てろ」と夫はそのスーツケースを指さして怒鳴りました。

心残りがないと言ったら嘘になりますが思い出はちゃんと心の中にもありますし私は迷いもなくそれらを処分しました。

夫が玄関のドアから私の荷物を外の道路に向かって激しく放り投げていたのを覚えています。

私が数少ない思い出のものを処分した事で夫が少しで譲歩して自分のモノを処分してくれるかなと期待しましたが結局夫は自分のモノは何も捨てられませんでした。

初めて読んでくださる方はコチラも是非ご覧ください⇩⇩

再び手に入れた趣味の楽器も手放した

手放した私の趣味

私は小さな頃からエレクトーンを習っていましたが、中学生になる頃には部活動などで忙しくエレクトーンを手放し、それ以来楽器を弾く楽しみを忘れていました。

子どもたちが幼稚園に行く頃私はパートに出るようになり同時に無性にエレクトーンが恋しくなってしまったのです。少しずつ貯金を貯めて中古ですが再びエレクトーンを手に入れることができたのです。

子どもたちのリクエスト曲を弾いたり、時間を忘れて難しい曲に挑戦したりと楽しんでいましたがその間も夫のモノは着実に増え続け、リビングを埋め続けていました。

リビングでも子どもが勉強できるように学習机を置く場所が欲しかったのですが夫が集めた大量の物が置かれていてそんな場所はありません。

仕方がないのだと割り切って、学習机を置く場所を得るために私はエレクトーンを手放すことにしました。

せっかくの趣味が無くなってしまい残念でしたが私の気持ちが夫に通じることはありません。

エレクトーンを引き取りに来た業者の方は我が家のリビングの状態を見て言葉にはされなかったものの目を丸くして驚いている様子でした。

こうして私は再び手に入れた趣味であるエレクトーンも手放しましたが、同時に心の一部分も手放してしまったように感じました。

小山の中から1袋のゴミしか出せない夫

夫の機嫌の良いタイミングを見てモノを処分して欲しいと強く訴えたことも何度かありました。

そんなある日、私の要求に夫はあまり怒りもせずに、自分の部屋からたくさんのカバンと服を玄関から外に出していったので「今回は少しは処分してくれそうだ」と見て見ぬふりをして様子を見守っていました。

みるみるうちに 我が家の前に高さ1メートルほどの小山ができました。それでも夫の部屋の荷物のごく一部のモノです。

電柱のそばにできた大量の物の山に驚いて、通りがかりの人が何だろう?と訝しげに見ていきます。

恥ずかしいから早く片付けて欲しいと願いながら、全部捨ててくれるのだろうかと少しだけ期待しながらこっそり横目で窺っていました。

夕方暗くなり、夫は夕飯作りをしている私のところに来て「ゴミはこれだけだった」言うのです。

その手には小さな袋に入れたゴミがひとつだけしか無く私はあまりにも驚いてしまい言葉もありませんでした。

小山の様に外に積んであった荷物は元通り夫の部屋に戻されたそのとき私は悟りました。

彼が生きている限りこの荷物は全て捨てられないモノなのだと。

目に見えない本当に大切な物のために

もとから私は物に執着する方ではありませんでしたし、それほど手元に残したいというものもありません。

思い出の写真の様なお金で買えない物は大切にしたいのですが、それすらもほとんど自分のものは処分してしまいました。

「ほんの少しでもスペースが欲しい」

僅かなスペースを得るために私はいろいろなものを処分してきました。

ですがせっかく空いたスペースにすぐさま夫が不要なモノでいっぱいにしてしまうのです。

子ども達への愛情や友人達に対する友情などもそうですが、本当に大切にするべきものは形もなく目に見えない、お金で買えないものだと思います。

それらは色々な物を手放そうと私が生きている限り心の中にあり、失われる事はありません。

夫は目に見えているものやお金ばかりに価値があると考え「自分が損をするか得をするか」という秤にかけてしか行動することがないように思います。

可哀想な人だと時々思ってしまいます。

目に見えない大切なものが夫の中に欠けているために形あるモノに異常に執着するのでしょうか?

いろんな物を手放し、殆ど物を持たない私ですが目に見えない大切なものを心にしまってこれからも前を向いて生きていきたいと思っています。

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