スマホ時代とアナログな私
スマホやパソコンが普及したのは皆さんいくつくらいの頃でしたでしょうか?
私がスマホを手にしたのは40代になろうかという頃だったと思います。
インターネットも何もなかった時代に育ち大人になった私はスマホのいろんな機能にお世話になりながらもやっぱりアナログ人間だなあと思います。
スマホの登場でアナログ人間の私が何を感じているかを書いてみたいと思います。
音楽を持ち歩けること
手軽にいつでも音楽が聴けて、持ち歩けるようになったこと。これがスマホ使用歴10年アナログ人間の私が一番感動したことです。
朝目覚めてまず一番にすることは爽やかな音楽を選曲し眠気を取ること。こうして1日が始まり外出時はイヤホンに、料理中もお風呂でもBluetoothでスピーカーに繋いで家の中を持ち歩いています。
母から「あなたはよちよち歩きの頃から何か音の出るものを常に持ち歩いていたのでどこにいるのかがすぐにわかる子だった。」と言われたことがありますが、なるほど…人間というものは幼い頃から基本的には変わらないですね。笑
作業中でも手元で音量調整も選曲もできるスマホを手にしてからはさらに私にとって音楽が無くてはならないものになっています。
元々洋楽好きの私ですが未開のジャンルも気軽に聴けるので新しい発見があったり楽しみ方も広がりました。
ほとんど音楽中毒。笑
音楽は私をリラックスさせてくれたり、現実逃避させてくれたり、流れていることで作業に集中できたりします。
私のスマホは音楽を聴くためにあると言っても過言では無いほどです。
写真の用途の変化
思えば昔フィルムで写真を撮っていた頃、写真を撮るという作業はちょっと特別なものでした。
お出かけした時や特別な記念日、カメラにフィルムを仕込んでいそいそと出かけるのです。
12枚、24枚、36枚…どのフィルムを入れようか考えて用意するのですが、「お、これは!!」というシーンを撮ろうとするともうフィルムが無くなっていたり(´Д` )笑
おっちょこちょいな私はカメラのレンズの蓋を着けたままシャッターを切り真っ黒な写真ができたこともありましたっけ…。
それはそれで面白くもありましたが、スマホが登場してからは「写真を撮る」という作業が信じられないほど身近になりました。
いくら撮ってもフィルムが切れることはありませんし、今撮った写真をその場で確認することもできます。
撮りたいと思った時すぐに手元にあるスマホで撮れるということは何より写真を撮る上で大きな利点だと思います。
日常の中で何かを記憶するためだったり誰かに何かを伝える手段であったりと昔と比べると写真の用途自体が変化していると思います。
コミュニケーションの取り方の変化
ガラケー時代には通話よりも気軽に連絡を取り合えるメールが私の主な連絡手段でした。
そういえば私は何かに縛られるような気がしてガラケーを持つことも周りの人より遅れました。
もともと電話で誰かと話すのはあまり得意ではありませんでしたし、お財布以外に「いつも身につけて持ち歩き、無くしてはいけないもの」が増えることが面倒だと思っていたのです。
子どもの親同士の連絡手段としてメールが一般的になってきたので必要に迫られてガラケーを購入しました。
そしてスマホに変えてからは「LINE」というツールが周りの人たちとの主な連絡手段になりました。
この「LINE」に関しては文字やスタンプだけのやりとりなので便利な反面微妙なニュアンスが伝わりにくく、誤解も生じやすいのかなと感じています。
簡単なやりとりなら問題ないのですが重大な問題や感情のやりとりが必要な場面ではうまく使うのは難しいと感じています。
今の若い子達の方がきっとその辺りは上手なのでしょうか。
個人同士のやりとりは良しとして、グループで対話できるグループLINEとなると一気に苦手意識が出てきてしまいます。
同じ時間に感じ方も価値観も違う何人もがリアルタイムで会話を進めるのですからなかなか大変です。
気軽に繋がることのできる「LINE」ですが私は「友だち」を増やす事には慎重です。
相手から求められれば交換しますが私から交換しましょうということはあまり無いです。実は人見知りということもありますが。
その後やりとりも全く無いのに友だちアカウントだけがどんどん増えていく事が、なんとなく出会いが大事にされていないような気がしてしまうのです。
会話の中で言葉はもちろん相手の表情から多くを読み取っている部分が大きいと私は感じているからかもしれません。
そんなこんなで私のスマホはコミュニケーションツールとしての機能は控えめです。
どハマりしたこと
そうそう、スマホを手に入れて間もなく私はあるゲームにどハマりしてしまいました。
家事の合間や少しの時間も惜しんでゲームに集中、そんな毎日が1年あまりは続いたでしょうか。
後にも先にもゲームにどハマりしたのはその1度だけです。
そのおかげで子ども達に「いい加減にやめなさい!」などの小言よりは「やめるの辛いよねえ。」という感じで親子で共感できたかなと思います。
やりだすとなかなかやめられないように上手く出来ているんですよね…。
意外に共感した方が子どもも素直にゲームから離れることができたのではないかなと思います。
夫婦や家族でゲームを楽しんでいる方もおられますし一緒に楽しめるなんて素敵なことではないでしょうか。
広がる行動範囲
極度の方向音痴のくせに知らないところに行ってみたい私は地図アプリにも助けられています。
この機能のおかげで私の行動範囲はかなり広がりました。
自分の居場所がすぐに解りますし、その周辺の情報も得ることができるのですからぶっつけ本番的に出かけたとしてもまず困ることはありません。
若い頃は時刻表を抱えて一人旅を楽しんでいた私ですが、何かの予約をすること一つをとっても今よりは遥かに面倒な作業や手続きが必要でした。
ですがそれがまた良さでもありましたし、不思議なもので何か大変な思いをしたりちょっとしたハプニングがあった旅の方が結局は記憶に残っていたりするのです。
重たい地図帳や時刻表を持ち歩いたりすることなく気軽に出かけられるのですから本当に楽ですね。
やっぱりアナログな私
先日電車に乗る機会がありドアの横に立って人々の様子を見ていると、駅にいる人や車両の中の多くの人はスマホに視線を向けていて何だか不思議な光景です。
ですがこれが今は当たり前なのですね。
いつもながら私の耳にはイヤホンが入っていましたが、久々に電車から見る外の風景に見惚れて立っていました。
するとある駅で若い男の子が単行本を手に車両に乗り込んできたのです。
その新鮮さにハッとして懐かしいような嬉しいような気持ちになりました。
今はスマホでも電子本を読むことができますが私はやっぱり紙をめくる感触や音が好きです。
まあ本を持ち歩くとなると確実に荷物が増えますけどね。
何かを調べるにしても空想好きな私は解らないで済むものはそのままにすることもあります。
先日もどんぐりの中にいる小さな幼虫が一体どんな成虫になるのかちらりと気になったのですが…解らないままにしていますね。笑
なんでもかんでもすぐに答えがわかってしまうよりはいろいろ想像してみたいといいますか…。
まあ面倒くさがりということもありますね。笑
もちろん、なんでも調べることができるツールがいつもそばにあるということはとても心強いことです。
でも自分で何も想像しないまますぐに調べて答えが出てしまうのも何か勿体なさを感じます。
写真にしてもやっぱりフィルム時代の写真には特別な思いが込められています。何せ「今日は何枚撮れるフィルムが入っている」と残量を確認しながら写真を撮るのですから無駄にしたくなかったのです。笑
アルバムの写真からはその一瞬一瞬のことが生き生きと記憶に蘇らせる暖かさがある気がします。
そしてスマホがそばにあることでいつでも誰かと繋がっていられるという安心感もありますが正直煩わしさもあります。
だいたい家の電話しか無かった頃は21時を過ぎると電話ですら急用以外は控えましたからどんな仲良しの人とのやりとりも一旦休憩できました。
今は24時間365日パソコンやスマホで繋がっていますから人間関係の休憩時間がありません。
皆さんはどうされているか解らないのですが私は勝手に22時を過ぎてからの連絡はもう明日の朝に返信する事にしています。
勝手に閉店してますね。笑
周囲に気を遣い過ぎて疲れてしまうよりは、自分なりのルールを決めていいと思います。
それで離れていってしまう関係の方は元々その程度の付き合いしかできなかったと思いますし割り切ってしまいます。
個々に違う価値観の人同士が顔も合わせずにコミュニケーションを取ろうとするのですから相手の気持ちや対応の仕方を尊重し合える必要が対面して話す時よりも大きいかもしれませんね。
それにしても何にもないまま40代まで生きてきたことを思うと、何だかこの手のひらに収まるサイズの機器にすっかり甘え頼り切っているような気が時々します。
会社のロッカーにスマホを忘れて帰宅した日なんかは特に感じますね…。笑
え?会社まで取りに戻らないの?って言われてしまいますが…ええ、ええ、戻りませんとも。笑
たまには、スマホ無しの時間があるのもいいかな。
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