日々思うこと

怒りの感情について|怒りの反対にあるもの

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怒りの感情について

人に対してや何かの物事に対して「怒る」という感情が私には欠けているのではないかと最近気づきました。

周りの人たちを見ていると何かと腹立たしさを多く抱えているように見えます。

怒りの感情など無い方が良いではないかと思われるかもしれませんがそうとは言い切れません。

怒りも感情表現のひとつですし人との間の理解を深める段階の中に介在しているものだと思うからです。

今回は改めて怒りの感情について考えてみました。

「良い怒り」と「悪い怒り」

怒りはどんな時に生まれる感情なのでしょうか。

相手が自分の思うようにならなかったり、物事が期待から外れた結果になったりする事で芽生える感情でしょうか。

人を相手に腹を立てた時にそれを伝えることでお互いがより理解し合えるようになるならそれは「良い怒り」でしょうし、その場の感情に任せて怒りを爆発させてしまいその結果周りの人が嫌な思いしかしないならそれは「悪い怒り」といえるのではないでしょうか。

その怒りを通して相手をより深く理解し合える様になるなら歓迎すべき感情です。

簡単にいうと相手とケンカをするという事ですね。

仲が良いほどケンカするという言葉がありますがそれは本当だと思います。

お互いの求めているものが何か分かり合うためには穏やかに言葉で伝える事が前提になると思いますが、時には腹を立ててケンカをしてもお互いが歩み寄る事ができればより良い関係を作っていくチャンスとも言えます。

また、自分に対する怒りというのもあるのではないでしょうか。

「悔しい」という気持ちは怒りの対象が自分であるときに湧いてくる感情だと思います。

失敗した時など素直に事実を認めてその悔しさをバネにさらに成長する事ができる負けず嫌いの人は「良い怒り」ができる人と言えるのではないでしょうか。

それに対して「悪い怒り」は相手や周囲を不快にさせるだけの吐き捨ての感情だと思います。

当人のメンタル面のコンディションが悪いため生じたイライラを撒き散らしていると思うのですがとばっちりを受けた方はたまりません。

誰かに嫌な思いをさせる事が目的で怒りを撒き散らしているならもう悪でしかありませんね。

その感情を相手や周囲にぶつけたところで何も好転することのない怒りは確かに無い方が良いでしょう。

周りが悪いのだと屁理屈で自分を納得させて怒りを正当化しているのでしょうが、後で恥ずかしくなったり後悔しないものなのでしょうか。

…しないのでしょうね。笑

そういう人は自覚もないでしょうし、だから治らない。。。

「悪い怒り」は後に何も生み出す事がありません。

怒りの反対にあるもの

喜びの対になる感情が悲しみであるように怒りの感情の対にあるのは「諦め」なのではないでしょうか。

怒りの感情の薄い私が自分を改めて観察してみると、「諦める」という場面がとても多い様な気がします。

穏やかで良いようにも思えますが、相手とぶつかることを避けるために自分の気持ちや意見を伝えないままでいると相手にはこちらが理解できないままになってしまいます。

すぐに諦めるという事は波風が立たず楽な面がありますが良くないのかもしれません。

いつの時点から私はこうなのでしょうか?

思い返してみると幼い頃からそうだった気がします。

生まれつきの性格だったのか自分の意見を言えたとしても親がそれを受け入れてくれないことが多かったからかもしれません。

小学生の頃にはすでに私は諦めることで自分を護っていた気がします。

そしてそれは歳を重ねる毎にさらにその傾向が強くなってきた気がします。

怒るべき時にちゃんと怒っている人を見ると「かっこいいなあ」と思うのですが真似は出来ないですね。

逆にいえば怒りっぽくて困っているという方は「諦める」という技を身につけられると良いと思います。

怒るべき時には怒って、諦めるべきことは諦める事ができればベストですね。

全てを諦めていたらダメだと解ってはいてもなかなか人って変われないものなんですよね…。

…それでも様々なことを諦める事で心の平和が保たれている事は確かなのです。



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