広告
ためこみ症

「ためこみ症」とその家族の生きるための選択

食卓はモノで埋め尽くされている ためこみ症
広告

「ため込み症」とその家族の生きるための選択

「ためこみ症」という言葉は一般的にどのくらい知られているのでしょう?

本人はともかく、解決の難しい問題を抱えながらどう生きて行くか?ということは家族にとって深い悩みです。

私は重度のためこみ症の夫と結婚し30年近くが経ちますが、「ためこみ症」という言葉を知ったのはこのブログを書き始める少し前、今から7年ほど前になりますでしょうか。

きっと夫が「ためこみ症」でなければ特に関心も無く、私はその言葉を聞き流していたと思います。

ずいぶん以前から知られていた「買い物依存症」ではないかと私は夫を密かに観察し続けてきたのですが、どうもしっくりきません。

何故なら、確かに夫はリサイクルショップやフリーマーケットで大量にモノを買ってくるわけですが財布からお金を出してモノと交換するという事自体に依存しているようには思えなかったからです。

そのうちに「ゴミ屋敷」がメディアで取り上げられるようになると、生ゴミやペットボトル、空き缶や古新聞など、その主がこだわるモノで生活の空間を埋めているのを見て「この状態と同じだ」と感じました。

夫の場合、特定のモノを集めるのではないのですが特に多いのは衣類、バックなどの身につけるものでしょうか。電気小物や文具、工具などもかなり多いです。

ほぼ全てに共通しているのは「定価で購入したものでは無い」ということでしょうか。

つまりお店などでも定価のものではなく必ず赤札がついたもの、値下げをしたものなのです。それが夫のためこむ特定の条件のようなものなのかもしれません。

おおかた使う予定もその気もなく買ってくるわけですが、売れ残っているモノということもあり実用にはあまり向かない「要らない」ものばかりです。衣類やバックも着ませんし使いません。

それらは積み上げられ、ハンガーにかけ吊り下げられ、家をじわじわと埋め尽くして行ったのでした。

すぐに片付くだろうと簡単に考えて夫と結婚した私ですがどんな言葉かけにも夫が応じることはなく、徐々に「これは大変な事だ。きっとこの状態は変わらないだろう。」と感じ始め今に至ります。

夫はその場だけのコミュニケーションは上手くとれるので、家に入ったことがない人にはすぐにこの異常性を見抜くことは難しいと思います。

ですが少し付き合うと「このひとは何かが違う」と感じるはずです。夫は相手の感情を汲み取って話をすることはありませんし、たとえ感情をストレートに伝えたとしても夫には理解ができないからです。

…というか理解する概念がないと言った方が正確かもしれません。

この病気の一番厄介だと感じているところは、本人よりも家族、周囲の人が困ってしまうという点です。本人に至ってはモノに埋もれることである種の安心感を得ているようなので、改善に向けて本人が動くということが困難です。

何らかの苦痛が本人にあればとっかかりにはなるとは思うのですが…。

周囲にこのような人がいない方は、きっと「ためこみ症」という言葉には特に関心もないまま過ごされているのだろうなと思います。

他にも数多くある〇〇症や△△病を私が無知に過ごしているのと同じですね。人は自分に近い現実の問題に目が行くものです。

食卓はモノで埋め尽くされている

右上の少し空いているスペースが夫の食事場所である

人口のうち3%の人たちが「ためこみ症」

ネットの記事によると人口のおよそ3%の人に「ためこみ症」の兆候があるらしいです。

どのようにこの数字が出たのかはわからないのですが…。100人のうち3人の割合だとすると感覚的にはかなり多いですよね。

夫のようにひどい人もいれば、例えば包装紙が捨てられず必要以上にためているというような軽度の方も含めての数字かなと思います。

自分だけが困るなら良いのですが、それによって生活に支障が出たり家族のスペースが奪われるとなると個人的な問題に留まりません。

窓は閉め切られモノが積み上げられている

窓が開けられないため薄暗い部屋

私は夫が重度の「ためこみ症」で長年研究?しているおかげで、夫と同じ類の人がいると敏感に感じとってしまいます。

例えば散歩をしていても、家の佇まいや門の周りに置いてあるモノから「この家の主はためこみ症だろうな」と感じた家が少なくても近所に3軒はあります。

共通しているのは、門周りや庭、ベランダにその場に場違いなモノが平気で長期間置かれていることでしょうか。綺麗に並べられていることもあります。

また、リサイクルショップなどで品定めをしている方の表情とカゴの中身をチラッとみると恐らくこの人は夫と同じだなと感じることもあります。

…言葉で説明できないのですが何か独特の雰囲気を醸し出しているんですよね。

それを感じた時私が真っ先に考えることは、その方の家族さんのことです。

自分が夫のことで深く悩み続けてきたことから、「ためこみ症」は本人より一緒に暮らす家族さんが苦しんでいることが痛いほどに解るからです。

人口3%のためこむ人達のうち家族まで悩ませる重度の方がどのくらいの割合でいるのかは解りませんが、その家族さんも含めるとかなり多くの方が「ためこみ症」で悩んでいるのだろうなと思います。

その家族さん達は一緒に暮らす選択をされたのか、それとも別々に生きる選択をされたのか?

それらは知る術がないのですがそれぞれに悩んだ挙句の選択がなされているのでしょう。

私の場合はつい最近まで「この家を片付けて念願のネコと暮らすのだ」と決意してきましたが、子ども達も大人になり子育てから解放されたからか自分の人生について考えるようになりました。

私は夫の重度のためこみ症に悩まされ続けましたが夫を責めるのはお門違いです。夫は夫なりに私に対して不満もあったはずです。

残り少ない人生の幕が降りる時「これで良かったのだ」と自分の中で納得したい。

私は遅まきながら、どの道を選択しどのように生きてゆくのか今日も考えています。



コメント