ためこみ症の夫との離婚…夫への感謝を忘れずに
結婚して27年目。
今、私の手元には夫と私、友人夫婦の4人の署名がきっちり入った離婚届が置かれています。
そして数年ぶりに夫と私は向き合って話をしました。同じ家に住みながら顔を見合うこともなく、久しぶりに会話する内容が離婚の話だなんて悲しいですがそれが現実です。
重度のため込み症で、感情のやりとりができない夫と長年過ごす中で私の気持ちはさまざまにあ変化してきました。
「離婚」は結婚してから早い段階で私の選択肢として心の隅にありましたが、その道を選ぶことなく長い間心の奥底にしまわれてきました。
そんな結婚生活が30年を迎えようとする頃、ついに私は我が家を出ました。
今まで夫とのすれ違いやマイナス面の部分ばかりを書いてきた気がしますが、家を出る段階になって初めて私は夫と本当の意味で向き合えた気がします。
夫の名誉挽回のためというわけではありませんが今回はその経過を書かせていただこうと思います。
妻が出ていく準備をしても全く気づかなかった夫
私は家を出ようと決心したと同時に決行する日を決めました。次に住む家を決め、そこに移るために1ヶ月ほどかけて私はたった一人で着々と荷物を運び出し続けました。
夫に気づかれれば「今すぐ出ていけ」と言われる可能性があったため、準備が整ってから話し合いに臨むつもりだったのです。決行日間近にはほとんどの私の荷物は新居に移され我が家から消えていました。
「少しは私の変化に気づいてくれていた方が家を出る話を切り出しやすいだろう」とすら考えた私は徐々に大胆に荷物を運び出しましたが…夫はまるで気にも留めていないようでした。
夫は自分以外のことには家族のことですら関心がないと感じてはいましたがここまでだとは思っていませんでした。
決行の日に「家を出ます」と宣言した私に夫は心底驚いた様子でしたし、私の荷物がすっかりないことにその時になって初めて気づいたのです。
それでも感謝を…信頼関係を築けなかった夫婦生活
離婚話の最初の切り出しは感謝の気持ちから先に伝えようと私は考えていました。
何しろ私たち夫婦は全く会話のない状態が何年も続いていたのですから、私からどう話を切り出すかで話の展開が大きく変わるだろうと思ったのです。
話がこじれないための作戦でもありましたが、夫のおかげで私の何よりの宝物である子どもたちが存在するのですし、モノに埋もれているとはいえ住む家にも困らずに生きてきたのです。
そこには素直に最大の感謝を示さなくてはなりません。
夫はためこみ症であると共に他人の感情を読み取ったりする事が難しいですから、サラリーマンとして働き続けた事は私の想像以上に大変な事だったのではないかと推察します。
相手の気持ちにクッションを置く気持ちで「今までのことは心から感謝しています。今日は私から話したい事があります。」と私は切り出しました。
昔の夫なら「そんなことを言うなら早く出ていけ!!」と怒鳴っただろうと思うのですが、歳を取って丸くなったのか「なぜだ?何が不満なのだ?」と話を聞きながら首を傾げて私に理由を問うだけでした。
挨拶も会話もしない冷めきっている夫婦の関係を指摘しても、夫婦は歳を取ればこんなものじゃないのか?という夫。
夫が冷え切った夫婦関係を何とも思っていなかったことに私はとても驚きましたが、感情のやりとりが苦手な夫にとって偽りのない素直な気持ちなのだとすぐに納得できました。
不思議そうな顔をしている夫に、私は丁寧に正直な気持ちを伝えました。
座る場所も無い家で過ごす事がこれ以上我慢できないこと、私たち夫婦はバラバラで心のつながりを作り上げられなかったこと。
結婚当初から家事も育児も1人で乗り越えてきたこと。喜びも悩みや悲しみも共有できなかったこと。
喜びはもちろん、悩みや苦しみを分かち合うことで夫婦の絆ができるのだと私は思うけれど、いくら訴えても耳さえ貸してくれなかったこと。
無言の夫婦の関係をこの先も続けていくことは私には難しく、土台のない夫婦関係にひとくぎりつけたいと考えていること。
決して恨みがましくならないように感情的にならないように淡々と話し、それを夫は逆上する事もなく静かに聞いていました。
激怒するのではないかという予想に反して夫は穏やかな笑みさえ浮かべていたほどで、私は今まで思ったり感じた事を遠慮せずに言うことができました。
ため込み症の夫が集めた物の合間に置いた座椅子に夫が座り、その横に私が突っ立っての話し合いです。
この場に及んでもモノがいっぱいで私が困り続けてきたことに関してはやはり夫には理解ができないようでした。
疲れた時に横になれる場所もなく、玄関前で私が昼寝している光景を見ても夫は何も思わないのです。夜は押し入れの中で眠るしかなく、食事はキッチンの椅子で手早く食べるという毎日を私は過ごしてきましたが、私がどのように食事を摂っているのかも夫には全く関心がありませんでした。
離婚話を切り出した段階でもそれは変わらず、大量のモノについての私や子どもたちの不快な感覚を夫は理解できず受け入れられない様でした。
家事や育児や家庭内のことに無関心だったことについては少しは自覚があるのか「そうだなあ…」と反省しているようでした。
離婚したいと強く希望したのですが夫はそれにはどうしても賛成できない、少し時間をくれとのことでした。夫はバツイチで私と結婚したのでバツ2になるのが嫌なのでしょう。
夫は物を溜め込むことを止めないでしょうし自分を変える気もないのです。
この結婚生活を続けていくには私が耐え続ける他に方法はないのです。
もちろん、離婚話を切り出したその日のことですから返事に時間が必要なのは当たり前です。
突然のことで夫は困るだろうとその日の夕食用にスーパーでお弁当を買って夫に手渡し、私はひとりで新居に向かいその日から我が家の押し入れで眠ることはなくなりました。
「損か得か」あらわになるため込み症の夫の価値観
その後、週末ごとに家に戻り夫と離婚について話しました。
夫は離婚は避けて別居をと望みましたが、私は離婚したいと話し合いに臨みました。
一旦家を出たらきっと私は戻ることはないでしょう。夫婦の精神的なつながりが何ひとつないまま、何年続くかわからない別居生活を続けることは今となってはどうしても苦痛でした。
夫は熟年離婚は「損」だと力説し、自分が死んだ後お前は遺族年金をもらう事ができ「得」なのだから離婚ではなく別居で良いではないかと。
けれどもそれは5年後かもしれないし20年後かもしれない…。それは私には耐えられません。
「財産は何も要らないから年金分割の手続きだけしてほしい」と希望したのですが、現在すでに夫は年金を受けており、その手続きすれば自分がもらう額が減るので「損だ」とのこと。
ここ数年、夫は私の年収と変わらないほどの年金をもらいながら家にお金は入れずに自分だけの貯蓄や投資に回してきたのです。
私と離婚すれば生活費も自分で払わなければいけませんし、その上年金分割で年金が減るのですから実際夫にとっては「損」という言葉になってしまうのでしょう。
私と離婚するかどうかの時になってやっぱり一番先にくるのが金銭面での「損か得か」という事なのです。
損か得か?
まあお金はもちろん大事ですから綺麗事ばかりは言えません。
何かにつけて損か得かを考える夫にはこれまでにも何度も違和感を感じたことがあったなあと私は夫を見ながら思い返していました。
夫は何かを考える時、目に見えない人の感情や気持ちよりも損得などの金額…つまり数字で表せるものを重視するのです。人の感情を理解する事が苦手ですから「損か、得か?」という判断基準で物事を見ているのだと思います。
それはお金に限らず人間関係でも同じで「この人と付き合えば損するのか得するのか?」と考えているように思えます。
モノを無限に溜め込んでいるのも「損か得か」という基準で行動しているのでしょう。ガレージセールなどで買ってきたモノに対して夫は「得」だと感じているのです。使う使わないは関係ありません。
空間を空けておくことは「損」つまり不安だと感じ、モノを詰め込むことで「得」満足を得ているのだと思います。
物を溜め込むことは夫には本能に近い感覚で、周りの家族が困っている事が彼には理解できません。
今回の離婚の話し合いの件でも夫の頭の中は、なぜお前は離婚というお互いに損をする道を選ぶのだ?という疑問でいっぱいなのです。
逆に私は何か決断する時、「損か得か?」という問題の優先順位はかなり下です。
そりゃお金はあった方が良いに決まっていますが。
だからと言って自分らしくない決断を「得するから」という理由では選ばないということです。
これは価値観の違いですし、私が正しくて夫が間違っているとは思いません。
「得」の方に何の抵抗もなく進んで行けたら私はもっと苦労せずに生きていけたのかもしれません。
ため込み症の夫へ…周囲の方へ…心からの感謝を
3度目の週末に離婚の話合いに出向いた時には夫はとても穏やかな顔で待っていました。
何やらYouTubeで「熟年離婚」に関する動画をたくさん見て多くの人が離婚に踏み切っている事を知ったらしく、自分だけではないとある種の安心感を得た様でした。
夫は離婚届にも署名をし、年金分割を拒否されたら私は老後に生活できない事を伝えるとあっさり承諾しました。
離婚話にはなりましたが久々に夫婦お互いに顔を見ながら言葉を交わし、最後は雑談も交えながら話す事ができたことに私は心から安堵しました。
近々一緒に年金事務所に出向く約束し、さて新居に帰ろうとした時夫がもぞもぞと座椅子の上で私の方に体の向きを変えて
「今までありがとう。体に気をつけてな。」と言ってくれたのです。
私もしっかり夫の顔を見ながら
「こちらこそ、今までほんとにありがとう。お互いに残りの人生楽しみましょう。」
笑顔で別れる事ができました。
結婚以来、夫から真剣にありがとうと言われたことは初めてだったと思います。そして反省すべきは私も夫に対して…話す事をやめてしまった数年前から夫に対して優しい言葉かけをしてこなかったことです。
夫婦がうまくいかなくなるというのはやはり両方に反省すべき点が同じくらいにあるのでしょう。
この何度かの話し合いを経て夫なりに彼の価値観の中では私を大事にしてくれていたのだと感じました。
これを機にもう一度やり直せるか?と最後の話し合いを終えた後、数日は考えましたがやはりここで思い切らないときっとまた同じことで悩み続けるだろうと私は思いました。
恨んだり憎みあって別れることにならなくて本当によかったと思います。
ため込み症の夫との生活は大変ではありましたが、その期間にたくさん悩み考え、成長できた部分が大きいと思います。
夫が家庭内のことや子育てに無関心だったためにワンオペにはなりましたが、考えようによっては私が自分が思う様に子どもたちと過ごす事ができたのです。
やはりいろいろあったとはいえ共に長年暮らしてきたのですもの、夫への感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。
夫はこれからも変わらないとは思いますが、きっとマイペースで生きていくことでしょう。
離婚を考えていると子どもたちにカミングアウトしてから、およそ9ヶ月間の激動の期間をしみじみ振り返りこれからのことを考えました。
この決断で私を含め夫や子どもたちが今は心に傷を負うかもしれませんが、結果これで良かったのだといつの日か思える様に私は努力していくつもりです。
もちろん離婚したとはいえ、この先いつか夫が亡くなった時には大量のモノの処分や掃除などは子どもたちと一緒にするつもりです。
夫の病気であった「ためこみ症」のことは、私はこれからも考え続けるでしょう。夫のことも一歩引いて客観的に見る事ができると思います。
今回の私の離婚への決断は子どもたちをはじめ私の母や兄弟、友人たちにも支えていただきました。本当に感謝です。
離婚届を手にして今、残りの人生をしっかり生きていこうと思っています。
コメント
こんにちは、ため込み症のこころの襞をよく分析されていますね。
あらためて妻の症状にあてはめてみるとなるほどなぁと思います。
自分は、別居という形をとり13年ほどになりますが
同居のままでは争いが絶えず気が狂いそうでした。
家族は苦しんでいても本人はものに囲まれていることが快適なのでしょうね。
ため込み症の情報が少なく相手を変えようとして苦しんでいる方の
参考になるとおもいますので引き続きブログ頑張ってください。
残りの人生を有意義に過ごしていきましょう。
風姿花伝さん、こんにちは。
13年間奥様と別居されているのですね。そこに至るまで苦しまれた事は我が身の様に感じます。今回私は離婚という決断をしました。一生を全て夫や家の状況に振り回されて良いのだろうかと改めて考え、他人になった方が夫に対して優しい気持ちになれるのではという私自身の問題解決のためでした。ですが夫は身内とも連絡を取らず友人もなく、子どもたちとも関係性ができていません。これからは「妻ではない立場」で夫と関わり、この「ためこみ症」という病気……私は本能や習性に近いものではないかと考えているのですが、以前より客観的に見る事ができるのではないかなと思います。また考えがまとまる毎にためこみ症について書かせていただきます。自分の心を整えながら残りの人生をしっかり生きていきますね。ありがとうございます。