私が居なくなったあと
ためこみ症の夫との離婚から丸5ヶ月が経とうとしています。
大量のモノに苦戦しながら暮らした日々が何年も前のことのように感じる今日この頃。
よく気が狂わないまま30年近くもの間、あの家で過ごせたものだと今となっては信じられない気がしています。
つい先日、長男、三男との3人で久しぶりに会う機会がありました。
三男は今も自宅から通勤しているので、私が居なくなったあとの家の中の様子や夫の様子を尋ねてみました。
それはやはり私の予想通りの展開でした。
悪化する家
写真は三男にお願いして撮ってもらった現在の家の中の様子です。
かつての夫が寝ていた場所の写真ですがモノの間の通り道になっています。
家を出ていますから私は実際の様子を見ていないのですが三男から話を聞いていると予想していた通りモノが増え続けています。
三男の話では夫は、モノに埋まりつつあった自分の寝床はすっかりモノ置き場にして、それまで私が寝ていた押し入れで寝るようになったそうです。
(以前は寝る場所もなく私は押し入れで寝ていたのです。)
そしてその押し入れの壁にはたくさんのモノが吊るされ、新たなモノ置き場に様変わりしていました。(写真上・下)
ウキウキと壁にピンを刺してモノを吊り下げている夫の姿が目に浮かぶようです…。
私が居なくなった後すぐに私が寝ていた場所にそのように変化を加えたのは、もしかしたら私が居なくなったことに対する寂しさや怒りのようなものを打ち消したかったのかもしれません。
もちろんそれは彼の無意識な感情で自覚はないでしょう。
まあ私が深読みしているだけで実際は単にモノを置く場として活用しただけなのかもしれませんが…。
あと、2階のリビングルームの夫が日中過ごしている座椅子とテレビの間のモノが大量に増えている様子です。
そこは以前私がベランダに洗濯物を干すために通り道を毎夜確保し続けていた場所で、私がいなくなった今では好きなようにモノを積み上げているのでしょう。
モノが増えていくことを悪化と言うなら我が家の状態はまさに悪化の一途を辿ってきました。
それは文字通り家が病気にかかった状態なのです。
窓は閉め切られるようになり暗く、風通しも悪くジメジメと空気は澱み、床の見えない範囲はまるで家が皮膚病にかかったように広がっていきました。
離婚前、夫と共に生活していた頃は増えていくモノと片付けたい私との間で静かな戦いの日々が途切れることなく続いていました。
それでも私が一緒に住んでいることで少しは抑止されていたはずです。
その私が居なくなった今、彼に歯止めをかけるものは何もありません。
予想はしていたものの、改めて何度もこれまでに感じてきたこの病気の不気味さに私は呆然としてしまうのでした。
これからの我が家
あの家で暮らしていた頃、「ここだけはモノに占領されたくない」と私が死守してきたのは巣立っていった次男の部屋と1階から3階までの階段でした。
どうやら「また帰ってくるかもしれない」と夫は思っているのか次男の部屋にはまだモノが置かれていない状態を保っているようです。
冷蔵庫は夫がいろいろな食品…食べる予定のない物をまだ私がいた頃にすでに詰め込んでいたのですがさらに「悪化」しているようです。
キッチン周りはそんなに変化していないようですが、三男は自炊をしていますし衛生面がやはり気になるところです。
苦労して手に入れた私の避難場所でもあった納戸ですが、そこはもう夫のモノで埋まっているようです。
これは押し入れと同じで私がいない虚無感を打ち消すために夫は無意識のうちに真っ先にモノを詰め込んだのでしょう。
その虚無感を自覚できる人であればまだ話し合うことは可能だったのではないかなと考えますが、人との感情のやりとりが難しい夫にとってはモノをためこむことで無意識のモヤモヤを処理しているのではないかと思います。
私が死守してきた場所も、夫が生き続けている限りペースは落ちても少しづつモノで侵食されるはずです。
そしてこのブログでも書きましたが、数年前に私が死に物狂いで片付けた駐車場も再びモノが積み上げられるだろうと予測しています。そこは離婚して家を出た私の目でも外から確認できる場所です。
あまり見たい光景ではありませんがね…。
子どもとの関係性作り
継子をはじめ3人の息子たちがモノが大量に溢れかえる状態の家の中で、途中経過は色々ありましたが大きく心を蝕まれることなく育ち、社会に出てくれたことに感謝するしかありません。
離婚して家を出て生活が一変した私の中での最も重要事項の一つは、子どもたちと新しい関係性を作るということです。
モノで溢れかえっていた我が家ですが、やはり子どもたちにとっては「帰る家」であり「家族が集まる場所」でもありました。
その場所から母である私は去り、関係性の極めて薄い父だけが残っているのです。
離婚話を進めている間、何度か私は「せめて家に残っている三男と会話するなりして関係性を築いた方が良い」と夫に伝えましたが、どうやら以前と同じく全く会話もない様子です。
3ヶ月ほどはLINEで子どもたちと連絡は取っていたものの、今も夫とあの家でモノに埋もれて暮らす三男の顔を見たら自分の気持ちが崩れてしまう気がしてなかなか会うことができませんでした。
何よりも大切にしてきた子どもたちとの関係をあの家や夫を抜きにして新たに築いていくにはどうしたら良いのかしら。
離婚後の生活が落ち着いてきたと同時によく考えるようになりました。
話し合うことの難しい父親を持つ子どもたちに対して、母である私はオープンな存在でいたい。
定期的に長男と三男と会ってコミュニケーションを取り続けること。…特に三男は無口で我慢強いから注意が必要だわ。
遠く離れて住む次男は帰る場所が無いと言って寂しそうにしていましたが、狭いワンルームの私の部屋でもどうにか寝るくらいはできるのではないだろうか…。
そしていつか訪れるあの家を片付ける日が来たら、私を含め子どもたち3人で協力しよう…。
そんないろんな考えが私の頭で巡っています。
新しい形での母子関係は、母子というよりは大人同士の絆になっていくのだろうなという気がしています。
離れていてもどんな状況でも、あれこれ子どもたちのことを心配してしまうのは母親の性分でしょうけれどね。
夫が生きている間はモノが増え続けることは止められません。この先どうなるやらと何も言えない立場になった今でも私は考えています。
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