日々思うこと

GIVEのひと|実はわたしが最強のTEKARである

日々思うこと

GIVEのひと

ためこみ症の夫と暮らすモノであふれる過酷な部屋には悩みも多い

この状況に耐え続けている私はGIVEの人なのか?

「お母さん、人はGIVE=人に何かを与える側の人と、TAKE=人から何かを受け取る側に分けられるらしいよ。大半の人はこのふたつの性質が混じっていてコミュニケーションバランスをとっているけど、極端にどちらかの傾向の強い人が何%かいるらしい。」

ある日、長年ためこみ症の夫のことで悩み続ける私との雑談の中で息子が話してくれたことです。

どうやらその両極端に位置する人同士はお互い自然に引き合ってしまうようです。

私はまだ読んではいないのですが最近流行りの本があるらしいですね。

今回はこのGIVER、TAKERの関係性を私なりの解釈で考えてみたいと思います。

完全なTAKEとGIVE両極端の夫婦

夫のことで悩む私の気持ちに度々寄り添ってくれ、一緒にいろいろな分析もしてきた息子は「お父さんは完全なTAKERだ」という意見です。なぜなら自分の願望や考えがあれば、周りの家族が困るとしても決して妥協しませんし、周りが自分に合わせるのが当然だと思っているからです。

自分と違う考え方や感じ方があることすら理解できないのかもしれません。

私は即座に「お母さんは反対に完全なGIVERだから組み合わせ的には合ってるとも言えるね。」と言い、息子と二人で笑いました。

後で考えてみるとそれは的をついた考えでした。
(私は本を読んでないので作者さんの意図とは違うかも知れませんが。)

確かに私は人から何かをしてもらったり受け取るのがとても苦手です。照れくさいというのとは少し違います。

歳を重ね経験を積むことで、人から何かしてもらったら遠慮なしに可愛く「ありがとう。」と受け取って良いのだと学習してきました。ですが今だに内心はモジモジとしてしまうのです。

それに対して夫は人に何かを与える事は全くと言っていいほどありません。多分そんな概念すらありません。いつも「なぜ俺はもっと良い目にあわないのか。」という不満を持っているようです。

悪いことが起きれば自分以外に原因があると考えますし、良いことがあってもそれを当たり前のことだと受け止め、何かに感謝するという事がありません。

ですから人との関係においては、自分が受け取り側に立てない相手、つまりTAKERが相手だとなんの未練もなくさっさと離れてしまいます。

以前は私が夫に合わせようと「GIVE」を重ねに重ねてきたわけですが、ここ2年ほどで夫のことがほとほと嫌になってしまい私はできる限り夫と精神的な距離を置くようになりました。

すると夫もそれを察したのでしょう。さっさと態度を変え、今や私たちは冷たい夫婦になってしまったのです。

こうして両極端な性質を持つ私たち夫婦は、一緒に生活してきた長い月日を経てもお互いの気持ちを近づける事はできませんでした。

夫と私の生育環境

どんな人にも幼い頃があり、幼少期に周りにどんな人がいたのか、特に親にどのように育てられたかという事はその人の人生を左右するほど重大なものだと思います。

夫の幼少期については、人から聞いたことから推測するしかないのですが、孤独な子どもだったのだなと感じます。

母親はうつ病を患い、息子の面倒は見ないのに交際相手などのことにはかなり介入してくるという厄介な存在だったようです。

数年前に義母は他界しているのですが、夫が母親に感謝を示すこともなく、そのやりとりを見ていると愛情の乏しい親子関係だと感じました。

TAKERである夫は幼い頃から誰かの愛情を感じたり、感謝をするという機会が少なかったのではないかと思います。

GIVERである私の幼少期については、甘えてはいけないというプレッシャーをいつも感じていたように思います。

母自身、人を頼ったり甘えたりはできない性格で、過剰に周りに迷惑をかけるのを嫌い、小さな子どもだった私にもそれを強要していました。

母からは愛情を感じたというよりは、義務感、精神的な教育、言動を制限されることも多かったと感じています。

実はわたしが最強のTAKERである

冒頭の写真のように悲惨な我が家の状態ですが、本当に辛いならそこから逃げても良いはずの私はそうはせずに向き合い続けてきました。

それはなぜだろう。

困難な中に身を置き私なりにいろいろ悩み考えることは、辛くはありますが私の性に合っているのでしょう。

それとやはり、辛くても逃げてはいけないという過剰な責任感も大きいのです。

「旦那さんにちやほや大切にされて優雅に過ごすあなたは想像できない。大変な旦那さんで苦労している方が似合っている。」と、ある友人に言われました。

確かにその通り。笑

楽な道と苦難の道のどちらを選ぶかといえば、後者を選んでしまう私です。

困った夫と暮らし続けるうちに私は何かを学んできたのです。その都度考え、悩み、試し、失敗し…。辛いながらもそこから何かを得ることで私はこの家を出ていかないのでしょう。

苦しむことを乗り越えることで、錯覚かもしれませんが人間としての心の幅が広がったように自分では思えるのです。

もしかしたら最後に笑うのは私かも知れません。

与えるばかりの苦しみの果てに、いつの間にかいろいろな精神的なスキルを身につけた強い私が出来上がるのです。

そうなると実はわたしが最強の「TAKER」になるのかも知れませんね。笑

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