片付けに関して考える
大掃除の話題が出てくる年末は憂鬱になってしまいます。
我が家はためこみ症の夫が集めたさまざまなモノが3階建ての家の中はもちろんベランダや車庫に至るまで溢れかえっているのです。
大掃除どころか日々の掃除もままなりません。
掃除機をかける場所もありません。
多くの方は想像できないと思いますがとにかく我が家には「何もない場所」がほとんど無いのです。
それでも夫はその状態が心地よいようです。
綺麗に片付けるという事が大半の人にとっては快適さにつながると思うのですが夫にとっては違うようです。
今回は「片付ける」に関して多くの方とためこみ症である夫の立場から改めて考えてみました。
片付けのメリット
なぜ私たちは片付けようと思うのでしょうか。
そもそも片付けるとはどういう事なのか。何のために私たちは片付けるのかを改めて考えてみます。
ものの位置などを決めておく等、整理整頓することで作業効率をあげる。
知らない間にたまってくる不要なもの、古くなり要らなくなったものを選別して処分する事ですっきりとした空間を手に入れることができる。
こまめに掃除をする事で清潔を保ったり、物につまづくなどの怪我を防ぐ。
好きなインテリアでくつろげる空間を作るなど自分の好みに合わせてリラックスできる空間を作る。
来客のある時に綺麗にしようという意識が働くのは相手にゆっくりくつろいでほしいという気遣いである。
その他にも冒頭でふれた年末の大掃除などは、部屋を綺麗にして新しい年を迎えたいというような気分転換的な要素もあるのでしょう。
そう考えてみると、片付けて綺麗にしたいと考える動機はたくさんあります。
時間と労力を要する以外にデメリットなど思いつきません。
無秩序の中の秩序|独特な片付け方
夫の集めたモノを眺めてみると、無造作に大量に積み上げられている中にも特徴があります。
例えばカバンの中に小さなポーチ、その中に財布、その中に細々したモノ、というように、入れ子状にパンパンにモノを詰めているという事です。
その他にも紙袋にモノを詰めていたり、ケースや棚を買ってきてはそこにいっぱいモノを詰めています。
もしかしたら夫にとっては入れ物に入れさえすれば片付いている状態だと認識しているのかも知れません。
何かを入れられる形状のものをカラのままにしている事はほとんどありません。
何かを並べるように置いてあることもあります。
それは小さな子どもがミニカーや小さなおもちゃを並べるような感じに見えます。
そして物なら何でも良いということではないようで自分の集めたモノにだけ囲まれていたいようです。
私や子ども達の物などはむしろジャマだと思っているように見受けられます。
このように無秩序に積み上げられているように見えても彼なりの秩序、彼なりの独特なこだわりがあるようです。
捨てない理由
ためこみ症の人にとっては自分がこだわりを持つ対象のものに囲まることが安心につながるようです。
夫は様々なモノに埋もれていることで安心しているようですし、人によってはそれがペットボトルや新聞などにこだわりを持ち、その理由付けも本人独特のものがあるのかなと思われます。
夫が何も捨てることができないのだと実感したのは「ためこみ症」僅かなスペースのために失った私の物の記事でもお伝えしたように、数年前に小山のように積み上げた荷物の中から小さな袋に一つ分しか処分できなかった時でした。
当時はためこみ症という言葉すらも無く、ただただ夫の行動が奇妙に思えて不気味な不安を感じ続けてきました。
「片付ける」ことと「捨てる」ことは切り離せません。
そもそも夫には片付ける概念もありませんが捨てる事など考えもしないのです。
そしてこれらのモノがいつか役に立つのだと本気で思っているのです。
長年一緒に暮らしてきた妻としての私の考えでは、夫にとっては「捨てることが辛くて捨てられない」というよりは「自分の集めたモノに囲まれて安心していたい」から捨てられないのだと思うのです。
他のものを集めている方についても根本は「いつか役に立つのだ」という思いと「それらに囲まれて安心を得たい」のではないかなと思います。
ですから第3者がこっそり洗いざらい捨てたとしても、少し経てばきっと同じ光景に戻ってしまうでしょう。
何もないスッキリと片付いた部屋では彼はくつろぐことができないのでしょう。
どんなモノを集めているかについてはコチラの記事で⇩
片付けの概念の違いから考える
はじめの片付けのメリットに照らし合わせて考えてみると夫の場合かなり大半の人と食い違うと思います。
夫にすればモノはただそこにあれば良いのです。
不思議に夫が探し物をする姿を見たことがほとんど無いのは本当に必要なモノなど無いからでしょう。
そこに効率性は必要ではありませんし、たくさんのモノに囲まれていることで安心し、リラックスできるのです。
時々はモノにつまづいたりしていますが、そんな事は気にしていないようです。たとえ転んでも床一面にカバンや何かが深さ30センチほどはあるのですからそれがクッションになるでしょう。
友人もいませんしお客様が来ることもありません。家族にさえ気を遣わないのですからホコリなども気になりません。
こんなに自信たっぷりに自分の思うように過ごしている姿を見ると、片付ける概念というのにも個性があってその極端な例がこれなのかなと思ったりします。
これはどちらの感覚が正しい、間違っているという問題ではなく、お互いに相手に合わせて譲歩するということができないために起きている問題かも知れません。
ためこみ症という病気はモノをため込む病気ですが、同時に相手に合わせて自分を変化させたり譲歩することが全くできない病気なのだと思います。
もし夫が私の願い通りに「自分の部屋だけにため込むのはOK」を守ってくれたら私はそれほど悩む事は無かったに違いありません。
つまりは対人的な問題と直結した自覚のないやっかいな病気だと言えます。
こんなことを考えながら、今年も何もできないまま納戸で過ごしている私です。
ああ、スッキリと片付けて家族や友人を招いて楽しい時間を過ごせたらどんなに豊かな生活でしょう。
そんな願望が叶う日はやってくるのかしら。
やれやれ…。笑
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