しあわせの傍観者
私は自身をしあわせの傍観者だと感じているのですが、春はことさらそう感じます。
若い頃から気持ちがざわざわしてしまって春という季節が苦手なのですが、桜の花が満開に咲いているのを見るとやっぱり嬉しくなってしまいます。
さて私は今年も一人であちこち気ままにお花見サイクリングを楽しみました。
公園のベンチや広い川沿いの土手などで休んでは桜を眺めているとひたひたとした静かな幸せを感じます。
そして家族連れが賑やかに通り過ぎたり、年配のご夫婦が仲良さげに並んで歩かれているのをまるでBGMを聴くような感覚で眺めます。
通り過ぎていく人々の幸せな光景をまるで別世界での出来事のようにただただ私は幸福な気持ちで傍観しています。
桜の花びら舞う中で
ふと考えてみると私は子どもの時に家族でお花見に行った記憶がありません。
たぶんですが…。
近所にたくさん桜の木がうわっていたのでわざわざお花見に出なくても良いじゃないかという事だったのかも知れません。
お花見以外でも家族でウキウキとした気分で出かけた事がありません。
近場の山登りなどは行った記憶がありますが、子どもらしく走り回ったり騒いだりすると叱られるので妙なストレスを感じながら出かけたような気がします。
父と母も子どもを連れて出かけるのがあまり好きではなかったのでしょう。
桜の木の下でのびのびと騒いでは走り回る子どもたちを見ると怒られはしまいかとついつい親御さんの表情を見てしまうのは無意識の癖ですね。
イライラした様子で子どもにキツい言葉を投げかけているママはきっと夫婦関係に悩みがあるのだろうなと勝手に推測したり。
そのイライラは子どもの立場でも親の立場でも経験した私にはとてもよくわかる感情です。
親の気を引こうとぐずぐず泣いたりする子を見ると幼い頃の自分を思い出します。
親からの優しい言葉が欲しいだけなのですがうまく甘える事ができません。
「甘えはいけない」という親の方針だったのか私はいつも泣き疲れて諦めていたように思います。
ですが、今私の近くで泣いていた女の子のママは優しい言葉をかけているようです。
よかったよかった。
普段は意識しない自分の子ども時代の様子がこんなところでふと蘇ったりするのは不思議です。
それにしてもパパたちの活躍ぶりには時代は変わったと感じさせられます。
小さな子どもたちと遊んだり、赤ちゃんをおんぶしているのもパパの方が多いのではないかと思うほどで微笑ましくこちらまで幸せを感じる光景ですね。
そして感慨深いのは年配のご夫婦が花見に来られている姿を見た時です。
私には叶えられそうもない夢の様な光景です。
支え合って桜の花びら舞う中を歩かれている姿を見ると、いろんなことをふたりで乗り越えてこられたのだろうなとしみじみ感じ入ります。尊敬の念すら浮かびます。
こうして満開の桜に見惚れたり多くのご家族やご夫婦を眺めながら自分の内面をじっくり見つめる静かなお花見を楽しんでいます。
すみっこから見た風景
キラキラと喜びに溢れた家族やご夫婦を別世界での出来事のように眺めている私ですがそれなりに幸せです。
自分は孤独だと気持ちが沈むことはありませんし自己憐憫に陥っているわけでもありません。
確かに夫婦での幸せなどは私が手に入れられなかったものの一つではありますが元々それらが私に似合わないことを私は知っているのです。
私はしあわせの傍観者であり主役でいるよりは陰からじっと人々の様子を眺めているのが性に合っているのでしょう。
気楽さと孤独な寂しさを抱えながら私はこの先も心の通じない夫と花見に行くこともなく暮らしていくのだろうな。
…なんて考えながらふと視線を感じ横を見ると、1匹のネコが少し離れた公園のすみっこからじっと私を見ているではありませんか。
その可愛い茶色の野良ネコは私と目があった途端そろそろとどこかへ姿を消しました。
何だか私の心を見透かされていたような…。
それにしても人知れず世間の様子をじっと見ているネコの姿は私にそっくりではありませんか。笑
私はその小さな仲間である傍観者を探しに茂みに近寄りましたが、すっかり姿は見当たりませんでした。
もう一度ベンチに戻って座りましたが、すみっこのネコになったような気がして何だか笑ってしまいました。
ネコといつか一緒に暮らしたいと夢見る私ですがその理由は似た者同士だからと妙に納得した私です。笑
さあ、あと何回桜を見る事ができるのかな…。
舞い散る花びらを見上げながら、今年の春が過ぎていくのを感じる今日この頃です。
コメント