日々思うこと

眠れなかった日々|性格的なウツ要因

そして私は鬱になった 日々思うこと
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そして私は鬱病になった

リビングはモノで溢れ過酷な状態であり私は鬱病になった

過酷な状況にあるモノであふれる家に住み私は鬱病になった。

今から約20年ほど前になりますが、私は鬱病になりました。

夫は「ためこみ症」という病気で上の写真は我が家のリビングなのですがモノに埋もれていて過酷な状況です

この家で暮らし、子どもを育てていく事は簡単ではありませんでした。

その上に夫が私や子どもたちに無関心であることが私を悩ませました。

暮らしの中で喜びや悲しみや悩みといったことを夫婦で共有し、気持ちに寄り添うという事が全くできません。

それ以外にも色々な要因が重なり私は徐々に自分を見失っていったのです。

多分私のキャパシティを超えたさまざまな難問が結婚生活に横たわり、それを真面目に捉えすぎたのでしょう。

義母の存在

結婚当初からこのような過酷な状況でしたがさらに私を追い込んだのは義母の存在でした。

夫が仕事に出た後、小さかった子ども達を公園に連れていったりしてお昼寝の合間に片付けや家事に追われていましたが、近所に住む義母が毎日必ず朝と夕方に我が家を訪れるのです。

全く興味の持てない誰かの噂話や悪口、親戚の自慢話、自分の病気の話、そして私を傷つける話を長々と聞かなくてはなりません。

忙しく子ども達の世話と夕飯の支度に追われる中、義母の話も聞きつつ内心早く帰ってくれないかなと毎日思うのでした。

この義母は色々口出しをしてくるけれど、何かを手伝って私の負担を減らしてあげようという気持ちは無いのです。

ただただ一方的に自分の話したいことを話すだけで私の話は聞くつもりもありません。

しかも遠回しな嫌味などを言っては私をいじめるのです。

夫がそうである様に、この義母も相手の感情が理解できず空気を読んでくれることもありません。

ですから当時はいじめと感じていたことも、もしかしたら本人は悪気なく思ったことを口にしていただけなのかも知れません。

その義母は3年ほど前に亡くなりましたが、今思っても辛い思い出しかありません。

私が、義母の心ない言葉に反撃する事ができたらまた違っていたと思うのですが私にはただただ耐える選択しか出来ないのでした。

そして頼りだと思っていた夫も義母のことは知らん顔をして助けてはくれませんでした。

眠れない日々

そんな日々が8年ほど過ぎた頃、私はとうとう眠れなくなってしまいました。

朝が来るまで一人で涙を流しているのです。

何日も寝ないということは無いでしょうから実際には途中でうとうとと眠っているのに違いありませんが、実感としては全く眠れないというものでした。

涙が出過ぎたせいなのかどうか分かりませんが、目が開けていられないほどのひどいドライアイになり眼科も受診しています。

それでも子ども達の前では「明るい母親でなければいけない」という思いから、昼間は何とか笑顔を作って過ごしていました。

そして夜になり子ども達を寝かしつけ家事を片付ける間にももう涙が出始めるのですが夫は気づいているのかいないのか全く無関心です。

布団の中で泣いて泣いて気づけば朝日で外は明るくなってきます。そんな毎日が1年ほど続きました。

その頃の私の写真は笑っているのに目が泣いているような不自然な笑顔です。

眠れない日が続く

眠れずに朝を迎える日が続いた。

夫は無関心だった

私がそんな状態に陥った頃、夫はどうしていたでしょうか。

夫は常に自分の時間や自分の生活を崩されたくない人で、その頃は買ったばかりのパソコン作業に夢中で自分の部屋に篭っていました。

夫はそこで寝ていたので時々私は泣きながら夜中に訴えに行くのですが辛い気持ちを全く聞いてもらえませんでした。

夫はずっと変わらない生活を続けており、私のことには関心がありませんでした。

義母のことで相談したり、私の義母の間に入って助けて欲しいと訴えても「オレの母親はあんな人だから仕方のないことだ」としか言ってくれませんでした。

きっと自分の生活のペースを乱されるのが嫌だったのだと思います。

社会から切り離された様に感じ、夫には伝わらず、友人にもうまく相談できず、どうしたら良いのか途方に暮れていました。

私は孤独をひしひしと感じました。

どんどん心がダメになる

そうなってくるとどんどん心がダメになる様な気がしました。

それは、底のない沼にずるずると沈んでいくようなゆっくりとした、這い上がることのできない感覚でした。

悲しくて泣いているのですが、具体的にどうしたら良いのか、何が悲しいのか、など建設的な事が全く考えられません。

ただただ心が空っぽのまま悲しくて仕方ないのでした。

そんな自分をどうしたら良いのか分からず、心療内科に通い安定剤と睡眠薬を飲む日が続きました。

コンクリートの冷んやりとしたざらざらの手触りが本当に感じられるほど「ドン底」にいる事を感じ、その頃の感覚は今も鮮明に覚えています。

自分で這い上がるしかない

心療内科でもらった薬はあまり効きませんでしたがもっとキツい薬を飲むのも嫌でした。

薬をいくら飲んでも私を取り巻く状況は変わらないのですから。

ある日夫側の親戚から電話がありました。

それは義母が私の悪口、本当ではない話を親戚中に言いふらしたようで、それを聞いたある人からの電話でした。

普段は反論することもなく聞いている私でしたがあまりにも腹が立ったので泣き喚いて反論しガチャンと受話器を投げるように切ったのでした

そんなふうに自分の怒りを表せたのは初めての経験でした。

「相手を責めてはいけない、自己主張してはいけない」

そんなふうに育てられた私でしたが、この時確かに自分の怒りを伝えられたことに満足しスッキリしたのです。

そのことがきっかけになったのか、私はだんだんこのままの自分ではいけないと思う様になりました。

怒りや感情を自分の中に閉じ込めずに、相手に伝える事が必要な時もあるとその時になって分かった気がしました。

もっと自分を出してもいいのだ。そう思えるようになると気持ちが楽になりました。

毎日泣き続けた日々はいつの間にか忙しさのうちに消えていき、どん底から這い上がった自分がそこに居ました。

鬱を振り返る

私の性格的な要因「善い人でなければ」

子どもの頃から「悪いことが起きたらそれはあなたが悪い」としつけられ、周りを責める気持ちを悪のように思っていました。

「いつも善い人でいなければいけない」という小さい頃からのすりこみは中々薄れません。

私は人に責任転嫁してしまう人にはなりたくありませんが、自分の主張は出来た方がいいと今は考えています。

「いい妻でなければならない」

「いい嫁でなければならない」

「いい母親でなければならない」

「常に我慢しなければならない」

などなど、「〜なければならない」という考えは常に私を縛ってきました。

頑張り屋で常に真面目に人に優しく。

これらが私を常に疲れさせました。

また、私は何かやらなければならない事がある時、一生懸命になりすぎるのです。

それらは私を鬱に追い込んだ性格的な要因だと思います。

性格はなかなか変えることはできませんが、自分の性格を知ることでどん底に落ちることは防げます。

そして何か言いたいことがある時は我慢などせずに相手に伝えることが大事です。

私は善い人であることをやめました。

そして口には出せなくても「あなたが悪い」と思う自分を許せる様になっただけで生きることが楽になりました。

今では友人に「私は極悪人を目指している」と宣言して笑われたりしています。

夫との関係

片付かないモノと戦う日々も大変ですがそれよりも辛かったのは夫が私の苦しみに関心がないということでした。

子育てに関しても私の悩みや苦しみに関しても、夫は何も感じないらしく他人事の様に平気なのです。

鬱の頃はまだまだ夫に期待していて悩みを共有して欲しいという欲求が大きかったのです。

色々な悩みをお互いにぶつけ合い共有し喧嘩しながらでも共感し合える夫婦だったらどんなに幸せだろうと思います。

ですが求めても手に入らないものは諦めるしかありません。

自分をまもるために

私に抜け落ちていたものは自分を大切にするというシンプルなものでした。

子ども達のために、と今までは頑張ってきましたがそろそろ子育ても終わりが近づいています。

どん底の様な毎日から這い上がれた経験を通して私は自分のことがやっと好きになれました。

自分を好きだという気持ちは何よりも強い力です。

たとえ悩みが多くても自分のことが好きなら乗り越えられると今は考えています。


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