くつろぐ場所のない我が家

床や壁の隙間もモノで埋める寛ぐ場所のない我が家
不要なモノに埋もれ、家族がくつろぐ場所のない家。
家の中に居場所がない私はいろいろな工夫をして暮らしてきました。
ためこみ症の夫と結婚するまで、こんなにモノがあふれる家を見た事も想像する事もありませんでしたし、まさかこのような環境の中で生活することになるなんて思いもしませんでした。
うつ状態になったこともありますが、その中で継子を含む子どもたち3人を育て明るく現在まで切り抜けてきました。
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家の建て替え前
我が家は結婚して約5年後に元々夫が住んでいた家を建て替えています。以前の家もすでにモノで飽和状態になっていましたが建て替える事でその問題が解決されるのではないかと密かに考え、いろいろな理由を並べて私が提案したのです。
結婚したと同時に私は継子の母となり、すぐに妊娠、1年後に次男を出産しました。
当時は夫の一人暮らしが長かったためにモノが片付かないのだと私は思っていて、妊娠期間中も時間を惜しんで片付けに奮する毎日でした。くつろぐ場所も時間も初めからありませんでした。
「子どもが生まれる前に何とか少しでも片付けたい」と大きなお腹を抱えてひたすらモノに埋もれ片付けるのですが、空いたスペースにすぐさま夫が新しくモノを置くので一向に片付きませんでした。
そして2年後に三男が生まれます。
細かなモノがそこら中にあるので落ち着いて家でゆっくり育児をすることはできませんでした。
晴れた日はほとんど1日公園で過ごし雨の日は大型ショッピングモールへ。
実家が車で30分ほどの所にあるので、よく子ども達を連れて行きました。
用事もないのにドライブして時間を過ごすこともありました。
家にいるより外にいる方が楽だったのです。

子どもたちと夕暮れまで公園で過ごした
家の建て替え後
建て替えで仮住まいへの引っ越し、そして我が家に帰ってくる引っ越し。
2度も引っ越せば荷物は無くなるだろうと思った私の考えは見事に打ち砕かれました。
減ってはいたものの夫のモノが詰まった段ボールが仮住と我が家を往復しただけで、初めからすでにモノで一杯でした。
その頃は次男が小学校、三男が幼稚園に通う頃ですからお友達の家に一緒にお邪魔したり、逆にこちらに来てもらったりするのでリビングだけは何とかモノを片付けようと必死でした。
キッチン仕事が好きな私は台所で多くの時間を過ごしていました。
食器棚の中にも夫が集めた実用的ではない食器がたくさんあったり、調理用具も夫が買い込んでいて台所にもストレスはありましたが。
夫は台所仕事を全くしないのに使わないようなモノばかりいろいろ買ってくるのです。
けれども私はこのキッチンで過ごす事が一番落ち着きました。
せっかく建てた家を不要なモノでいっぱいにしたくないと必死で夫のモノが進出するのを防ぐ毎日。
建て替え後の数年間は私自身うつ状態になったりと不安定な時期が続きました。
私が働き出してから
次男が4年生になった頃から私は本格的に働き出しました。キッチンでお菓子を作ったり、家の片付けに時間をかけることがだんだん難しくなってきました。
子ども達の運動クラブやスイミングに通うなどの送迎と仕事の両立で、私の家での居場所は台所のみでした。
そうして私がバタバタと過ごすうちに夫は着々とモノを増やし続けていました。
私は忙しく動き回る事で現実から逃避していたのかもしれません。
台所、仕事場、体育館で過ごす毎日

夫以外は趣味でスポーツを楽しんだ
幼かった子ども達が中学校に上がり、運動クラブ等で忙しくなる頃には家のほとんどのスペースは夫のため込んだモノで溢れていました。
子ども達の試合の応援に出たり、それまでの何年間かの間ウツ状態に陥ることもあった私自身も色々なことを始めました。
スポーツクラブに入会し仲間もでき試合に出たりとだんだん前向きになれるようになりました。
仕事と子どもの部活の応援、自分の練習や試合等、家にいるのは最低限の家事と疲れ果てて眠る時だけという状態になりました。
趣味を通して多くの友人ができ、体を動かしてストレスを発散することを覚え、ようやく私は鬱状態から抜け出すことができました。
今振り返ると、「家に居たくない」という気持ちから自然とそうなったのでしょう。
あのまま果てしないモノに埋もれて片付けだけをしていたら私は鬱だけではなく気が狂っていたと思います。
家では台所、出かけていくのは仕事か体育館という日々がしばらく続きました。
趣味を「居場所」にした私
子ども達が幼かった頃には常に一緒に行動し、どうやって安全に楽しく過ごそうかとお天気とにらめっこの毎日。
くつろぐ場所のない家で心豊かに過ごす事は簡単ではありません。
子ども達が大きくなりそれぞれが自分たちの世界を広げていく頃に私は趣味を居場所にして鬱から抜け出す事ができました。
外で運動している間は我が家の状態は忘れていられるのでした。
皮肉ですが帰りたくない家だったからこそ私は趣味を持ち、趣味を通して仲間に出会えたのかもしれません。
寛ぐことのできる家なら、友人を招きお茶タイムを楽しんだとは思うのですがそれは今となっては遠い夢のような話です。
たくさんのことを諦めてきた私ですが、同時にたくさんの友人たちや趣味を持つ事ができたとポジティブに考えるように心がけています。
もうしばらくはこのくつろぐことのできない家に付き合うしかないと覚悟しています。
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