ためこむ理由
夫がモノをためこむ理由は何なのだろう。その疑問が私の頭から離れることはありません。
重度のためこみ症の夫と約25年、深く悩みながらもなんとか現在も一緒に暮らしています。
結婚当初は男性の一人暮らしのために散らかったのだと思った私でしたが、それは大きな勘違いでした。
着々と増え続けるモノの中で実際に使用されるのはほんの一部でありほとんどのモノは部屋のどこかに放置されたままです。
幾度となく話し合いましたが捨てたい私と捨てない夫の意見が一致することはありません。
夫は頑として「モノがあることで何故困るのだ。お前はおかしいやつだ。」と決して自分の価値観を変えようとはしませんでした。
使うことのないモノを何故大量にため込むのか?
その疑問は常に私の心に暗い影を落としてきましたが、3年ほど前に『ためこみ症』という病気がある事をインターネットの記事で見つけ、ようやく納得することができました。
ですが、何故ためこみ行動に至るのかということははっきりと解明されていないようです。
夫の場合はため込むものは多岐に渡り、無形のモノから有形のものまで手に入るものはなんでも集めてしまいます。
偏りがあるとすれば特に多いものは洋服とカバンと思われますがあまりにも膨大な量のモノがあるためにその辺りも把握できず不明です。
メディアなどで目にするゴミ屋敷の中には、ペットボトルや生ゴミ等、その主それぞれに執着するモノが違うようです。
共通しているなと思うことは「実際に使用されることはないモノを集めている」ということと「周囲に迷惑が及んでいてもその行為がやめられない」「本人はそれに大きな価値があると思い込んでいて手放す事が困難」ということなのかなと思います。
自分の家を飽和状態にしてお隣の家の倉庫にまでモノを詰め込んでいるケースをテレビの番組で見たことがあります。
本当に不思議です。そんなことをしてどんなメリットがあるのか?理解できません。
メリット云々の話ではなく捨てられずにとって置くにはお隣の倉庫を借りるしかなかったということでしょうか。
ご近所ももちろん大迷惑でしょうがその主のご家族さんの心労はどれほどだろうと他人事ではなく胸が痛みます。
夫もきっと私がいなくなればご近所に迷惑がかかる程にため込むに違いないと思うのです。
それほどまでしてためこむ行為とは一体その人にとって何なのでしょうか。
「もったいない」価値観の違いなのか
例えば頂き物の綺麗な包装紙や箱など、これはいつか使えそうだととっておくことは誰にでもあるのではないでしょうか。
けれども普通はそれが溜まり過ぎて生活のスペースを失ってしまったり、生活活動を脅かす事はないでしょう。どこかの時点で、「これは本当に要りそうだ、これは要らないだろう」と選別をすると思います。
しかしためこみ症の夫の場合は選別して生活スペースを保とうとする事は決してありません。
例えば我が家のワンボックスカーは夫のためこんだモノを入れる倉庫になっていて人を乗せて走る事はできません。
不思議なことにその車にかける保険代や車検代は夫にとって惜しく無いらしいのです。
動かない車に安くもないお金を払うのは馬鹿らしい話で「もったいない」としか思えない私に対し、夫は払うべき代金だと考えているようです。
車中に詰まっている大量のモノも実際に使われる事はないのです。車ごと全て捨てて欲しいと私は願っているのですが。
使われるからこそ物に価値が生まれると考える私と、所有することに価値があると思う夫。
何に対して価値があり、何に「もったいない」と感じるかは人それぞれに微妙に違うと思うのですが、これを価値観の違いというのでしょうか?
なぜ2022年に2020年の手帳を購入したのか
写真は2022年に入ってから夫が購入した2020年の手帳です。モノで埋まるリビングテーブルの上に無造作に置かれていました。
2年前の日付である手帳を何故購入したのでしょう?
この手帳に限らず、例えば古い仕様の携帯電話の充電器など、新品ではあるけれども使い道のないモノを購入してくるのです。
「なんのために買ってきたのか?」
現在持っていても無意味なモノを購入することは特に奇妙に思わざるを得ません。
もう気分の悪くなるやりとりは避けたいので本人に問う事はしませんが、「何かに使えるだろう。これにはコストがかかっているのだから得をしたのだ。」ときっと答えると思うのです。
夫の集めている大量のモノはほとんどが定価ではなく処分価格で購入したモノばかりです。
得をした満足感を得ているのでしょうか?
彼にとって重要なのは実際に使うかどうかよりも、安く手に入れたかどうかであり、そこに価値を見出し満足につなげているのかもしれません。
冷蔵庫の中も同じ現象
考えてみると同じ理由で今現在の我が家の冷蔵庫の中でも同じ現象が起きています。
夫は仕事を辞めて家に居るようになってから冷蔵庫にもモノをため込むようになりました。
もちろん食べ物には違いないのですが、どうやら賞味期限の間近なものや切れているものを格安で売っている店があるらしくそこで買ってきた食品を冷蔵庫に詰め込んでいるのです。
フルタイムで仕事をする私にしては冷蔵庫は働く相棒と言っても過言でないくらい大事な存在なので、「自分の食べものはこの棚だけに置いてください。」と伝えました。
そこからはみ出して大量に買い込んでいるのは目をつぶり様子をみていると、どうやら一番奥の方にあるものは食べる気のない、ただスペースを埋めるために置かれているようなのです。
見かねてこっそり奥の方の古い食品を処分すると、数日後にはそれに代わる食品がしっかり入っているのです。
もちろんそれが食べられる事はなくただの詰め物として保管されている状態です。
この家の大部分を占めている大量のモノと同じく、それらは「定価より安く手に入れたモノ」で実際に食べるつもりはないようです。
結局グズグズに腐ってしまった食品もあり、さすがにそのままにはして置けないので「腐っているけどこれはどうするの?」と聞くと面倒そうに「捨てて」との返事。
いくら安く買ってもそのほとんどを食べずに捨ててしまったり保管したままになるのでは得をしているどころか損をしていることが解らないのでしょうか。
それならば倍の値段がついていたとしても、全部美味しく食べた方が良いと思うのですが。
この辺りが『もったいない』精神の持ち主の私からみると全く理解のできない点です。
ためこむ理由
ためこみ症の人にとって、たとえその対象が生ゴミやペットボトルだとしてもそれらを手に入れることに何らかの価値を見出しているのだと思います。
「タダで手に入れられた。」「いつか役に立つのだから得をしている。」というあたりでしょうか。
物事に対する時、損か得かという考えが夫の中にあるのだと思いますが、それでは得をしたという満足感を得るためにお買い得商品に埋もれてしまうのでしょうか。
「このくらいあるのだからもう良いだろう。」という満足感もなく無限にその欲に支配されているのでしょうか。
他のためこみ症の方にお会いした事はないのでわかりませんが、夫に関して言えばその病状に全く自覚症状や苦痛は無いようです。
むしろ「お前の方がおかしい。」と自分に基準を合わせています。
相手に合わせて妥協し歩み寄る事が全くできませんし、そのような意識も持ち合わせていませんから徐々に家族からも距離ができてしまっています。
そしてきっと同じ理由で友情などを寄せる相手もいません。
夫にとって家族や友人からの愛情などはぞれほど必要なものでは無いのかもしれないとこの頃は思い始めています。
「ためこむ理由はなんだろう。」
その対象になるものが何であろうとためこみ症の方の根底にある心理は共通しているのでしょう。
ためこむ事は本人にとっては生理的欲求に近いものであり、大きな満足を得て安心するための一つの手段のように思えます。
周りからの働きかけによってその行為を止める事は困難です。
たとえそのことが原因で周囲の人々が離れていったとしてもためこみ続けるのです。
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