ためこみ症

夫の執着心と私の意地|ためこみ症の夫

カウンターキッチンからテーブルを見たところ ためこみ症
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家中にため込まれた不要なモノの山を前に、たくさんのことを諦めてきた私。

処分すればよいではないかと思われるかもしれませんが、ためこみ症の夫のモノへの執着は尋常ではありません。

こっそり捨てればその量以上のモノが必ず補充されます。

空いている空間があればモノで埋めたくなるのです。

夫の場合それがあらゆる「モノ」でありそのほとんどがリサイクルショップなどでお値打ち価格でゲットしたモノです。

人によっては新聞や本、ペットボトルや空き缶、生ゴミなどを集めている方もいるようです。

それは到底通常の感覚を持つ人には理解のできない欲求ですがためこみ症とはそういう病気なのでしょう。

そんな夫と30年近く一緒に暮らしている私ですが、たったひとつ夫に対して譲らず意地を張っていることがあります。

今回は最近改めて感じた夫の異常なモノへの執着心と私の意地についてお話しします。

私の意地

カウンターキッチンからテーブルを見たところ

カウンターキッチンからテーブルを見たところ

ほとんどのことを諦めてきた私がたったひとつ譲らずに意地を張っていること。

それはモノがうず高く積まれた6人掛けのリビングテーブルで夫に夕食をとってもらうということです。

自分の家で食事場所に困る…ということは普通あまりないですよね。

我が家は夫が重度のためこみ症のため、玄関から寝室まで不要なモノがぎっしり積み上げられています。

そして本来食事をとったり家族の団欒の場になるべきはずのダイニングテーブルは床からテーブルの上までモノの山ができていて近づくこともできません。

ですから食事は空いているスペースで家族バラバラでとっているのが現状です。

リビングに置かれたテーブルにモノが積み上げられもう食事ができない状態にまでなった時、私は折りたたみ式の簡易テーブルを自分や子どもたちの食事時用、書き物などをするために購入しました。

そこで代わりばんこに食事をとったりしていたのですが、4年ほど前に退職した夫はその簡易テーブルの上にもモノを広げ侵略してきました。

テーブル上のモノを片付けても翌日私が仕事に出ている間に元の通りにモノが広げられています。

夫が日中テレビを見たりして過ごしている座椅子の横に簡易テーブルは置かれているので、座椅子に座って床にお皿を置いたり簡易テーブルにも載せながら朝昼を食べているうちにモノが広がるのでしょう。

簡易テーブルもモノがいっぱい

簡易テーブルの上もいつのまにかいっぱいに(手前)

ですが夕飯は「思い知らせるため」というと聞こえは悪いのですが、ここが本来家族の食事場所、団欒の場であるはずのテーブルなのだという主張をこめて夫には食事をしてもらっています。

言葉でお願いしたわけではありません。(何年も言葉を交わさない夫婦になってしまっていますから…)

シレーっとキッチンカウンターから夫の夕食を出すのです。

ちなみにキッチンカウンターにまで夫のモノが進出していて、料理を出す時にもモノが落ちたりしてスムーズにいきません。(一番初めの写真にカウンターが写っています)

それでも私はまるでロボットのように無表情を装ってそこから食事を出し続けています。

夫は座椅子から立ち上がりいそいそと自分の椅子までやってきますがテーブルの上だけではなく床面もモノが積み上げられていますからそれはもう椅子まで歩くのも大変です。

辿り着いたテーブルの言葉通りネコの額ほどしかないスペース、しかもふき掃除もしていない汚いモノだらけの隙間で夫は平然と食事をとるのです。

いくつものお皿は一度にテーブルに置けませんから1つづつ降ろしては食べて…という感じです。

きっと夫は朝と昼と同じように座椅子に座って床にお皿を広げて食事をしたほうが楽だと考えているに違いありません。

ですが夫には不便であろうがこのテーブルで夕飯をとってもらわねばならないと意地になっている私です。

私の唯一の意地…報復と言っても良いかもしれません。(こわッ)笑

改めて感じた夫の執着心

最近以前にも増してリビングをはじめ他のエリアにも夫のモノが急激に増えてきました。

初めから尋常ではない状態なのに、さらに…!!ということです。

ものびとブログを読んでくださっている方はすでにご存知だと思いますが、荷物の出どころは「ワンボックスカー」です。

簡単に説明すると、夫は車の買い替えにようやく応じてくれたものの倉庫代わりにしていたワンボックスカーを処分しきれずに今もなお近くの駐車場を借りている状態です。

そこにぎっしり詰め込まれていた荷物が、私が仕事に出ている間に家に運び込んでいるのでしょう。

車の買い替え時にワンボックスカーを必ず処分すること、中の荷物は家に入れないこと、のふたつを夫にお願いして「わかったわかった」と返事をしたはずですが…。

ふたつとも守れずです。

まあ予想通りの展開ですが。

というわけで日に日にリビングルームにもダイニングテーブルの上にも周りにもモノが異常なほど増え続けています。

ですから夕飯時に夫が自分の席にたどり着くのはさらに困難になってきました。

私がカウンターテーブルに食事を並べると夫はまず大きなため息を聞こえよがしにいくつもつきます。

「めんどくさいなあ」と腹立たしそうですが私はいつもどおりロボット化した目の隅から無表情で夫の姿を観察しています。

まず荷物で巨大化した大きなラックにぶら下がるように捕まりながら足を進めなければなりません。足元はモノの山なのです。

そして4、5個の紙袋やカバン(もちろん中にはパンパンにモノが詰まっています)が通り道にあるためいちいちそれを移動させながらテーブルまで進んできます。

テーブル周りも荷物が溢れる

いくつものカバンや紙袋が通り道を塞ぐ

野を越え山越え…などという歌のフレーズが浮かんできてロボット化した私もつい吹き出しそうになりますが堪えます。

まさにそんな感じで夫は登ったり降りたりしながら、やれやれ夕食にたどり着けるのです。

椅子に辿り着くまでの時間は以前の3倍ほどはかかっているでしょうか。

食べ終わっていつもの座椅子に戻る時もその逆の工程が繰り広げられます。

長年車で保管したために全てのものは劣化し使い物になりませんが、それでもそれらのモノを夫は処分することができないのです。

フーフー息を荒げながら苦労して家の中を歩き進めなくてはいけないのなら処分すればいいのにと心の中で私は呟いていますが、それは彼にとってできないことだということも分かっています。

夫のモノへの執念とも言える執着心を改めて目の当たりにして呆れながらもこの病気の凄まじさ、どうしようもなさを感じています。

我が家のクルマ事情の記事はコチラ⇩

夫の座席がモノで埋まっている

夫の座る椅子(中央)

漠然とした不安はそのままに

これまでもこれ以上モノが増えたらどうしようと思うことがありましたが今になり車の荷物が移動してきて実際に急激に飽和状態を逸した状態になりつつあります。

こっそり処分するにもフルタイムで仕事に出ている上に今は退職した夫が四六時中リビングルームに居座っているのですから荷物に触れないのです。

私にできることは何もありません。

ただただ夕食はいくら大変でもテーブルまで来てもらうという意地以外には。

普段は正気を保つために私は何も考えないようにしているのですが、時々「いつまでこのような状態が続くのだろう」「どこまでモノが増え続けるのだろう」という漠然とした不安に襲われることがあります。

ですがいくら思い悩んでも状況は変わらないことを私は知っています。

そして打つ手も今の所見当たりません。

自分の価値観が正しいと信じて疑わない夫が変わることはありませんからね。

あるとすれば私がこの家を出ていくことしかないです…。

ですが私はこの夫を選び、子どもを産み育てたのだという責任感からなかなか逃れることができません。

なんだかんだ言いながら平常心を保つために自分の心をコントロールし続け、この先もこうして夫を冷静に観察していくのでしょうか。

漠然とした不安はそのままにして私は前を向いて生きていくしかありません。

こう考えるとかなり私もかなり変わった人間であり、コワイ人なのかもしれませんね。フフフ…。笑

私に限らず自分ではどうしようもないことが誰にでもひとつやふたつはありますよね。

どうにか現状と自分の心の状態に折り合いをつけながらお互い頑張って生きていきましょう。

 

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