熟年離婚した私が望む、執着しない生き方
自分は何事に対してもあまり執着心は無いと思っていた私ですが、最近そのことについて疑問を感じる機会がありました。
きっかけになったのはつい先日、それまで趣味で描いた絵を全て…500枚程あったでしょうか…それらを処分したことでした。
足の怪我で安静にしていた時期に描きはじめ、5年ほど続いた趣味のものでした。
はじめは1人で楽しんで絵を描いていたのですが、子ども達に某SNSへの投稿を勧められ、ハマってしまったのです。
フォロワーが増えたり「いいね」をもらえることが毎日の楽しみになり、時間があれば絵を描く日が続きました。
朝目覚めると、まずはフォロワー数やいいねの数をチェック。数字への執着ですね。
そんな日がしばらく続き、絵を描くこと自体よりもフォロワーやいいねの数字に捉われている自分に疲れ、突然パタっとそのSNSを見ることも絵を描くこともやめてしまいました。
そして描いた全ての絵が、ひっそりと保管されたままになっていたのです。
絵に時間をかけたこと、SNSである種の自己肯定感を上げてくれた物として、何となく捨てられずにいました。
いつか私がいなくなった後に、子ども達が困るだろうなと思い、1枚だけ気に入った絵を額に入れ、その他は全て処分してしまいました。
絵を処分すると何だかとてもスッキリした気持ちになりました。
これが断捨離の心理ですね。
そんな出来事があり、私が他に執着しているものがないか、改めて考えてみました。
お金や物、地位や名誉など…にはほとんど執着のない私ですが、目に見えない時間や思い出の類、特に子どもたちにまつわる物や思い出には執着…手放すことが辛いという気持ちが強いことに気づきました。
この家で育てた子ども達との思い出が家に染み付いていて、遊びの最中についた壁のキズさえも愛おしさを感じます。
自分のものは捨てることに苦痛はないのですが、子ども達が成人した今も、彼らが幼稚園に通った頃の制服や帽子はしっかり残してあるのです。
人に限らず、物や場所など自分が愛情を注いだ対象に、とても執着している気がします。
まあ、ねちっこい性格といわれればそうかもしれない…。
自分のことって案外わからないものですからね。
そういえば学生時代の卒業式、私ほど周りの目を憚らず泣いていた人はいなかったように思います。今思えば恥ずかしい…。笑
言い換えると、私は別れにより自分をとりまく環境が変化する事をとても恐れる性質なのです。
自分では何事もポジティブに受け止めるタイプの人間だと思っていましたが、考えてみるととても保守的で臆病だなと、年を経て自覚するに至りました。
まあ、どんな人にも意外な一面があったり、いろんな要素でできているということでしょう。
臆病な私をとりまく全てのことも刻々と変化し続けています。
こちらが望もうと望むまいと変化はやってきますし、恐れてばかりもいられません。
熟年離婚をしたばかりの今の私は、まさにその渦中にあります。
今までのカタチに執着せずに、新しい何かを築いて行くべき時なのだと自分に言い聞かせています。
臆病な私には難しいかもしれませんが、何にも執着せず変化を受け入れ、楽しみながら生きていきたいと思います。
さて、とりあえずは目に見えている物から手放しましょうか。なにせ新居はワンルーム、狭いですからね…。笑
ためこみ症の夫に深く悩みながらも、長年抜け出せなかった暮らしについてのまとめ記事はこちらになります。↓
