ため込み症の夫との離婚
結婚から27年目。
今、私の手元には夫と私、証人になってくれた友人夫婦の署名が入った離婚届が置かれています。
夫と私の久しぶりの会話が離婚の話だなんて、皮肉なものです。
人生の後半に来て、自分が離婚の道を選ぶとは思いもしませんでした。
離婚の段階になって初めて、夫と本当の意味で向き合えた気がします。
ためこみ症の夫との離婚で辛かったことのひとつは、長年暮らし子どもたちとの思い出が詰まった我が家との別れでした。記事はこちらです。↓
妻に無関心な夫は、私の変化に全く気づかなかった
私は夫との離婚を決心したと同時に、いつそれを決行するか具体的に日を決めました。そうしなければ、ずるずると先延ばしにしてしまうと思ったからです。
新しい住まいを決めるのは勇気が必要でしたが、クリックひとつで離婚への道が開かれました。
もう後には引けないという強い気持ちで、1ヶ月ほどかけて、私は新居に着々と荷物を運び続けました。
もちろん、何食わぬ顔でいつも通りに全ての家事をこなしながらの作業です。
夫は私の気持ちや、何をしようとしているのか全く知りません。
先に自分の新居を整えてから離婚話を切り出そうと考えたのは、夫が逆上して「今すぐ出ていけ!!」と激昂するのでは?と恐れたからでした。
私たち夫婦は大きな喧嘩をしたのはたった1回で、物が多いことや夫が家族に無関心なことに私がブチ切れたのでした。
その時に「出ていけ!!!」と怒鳴られ、私は一晩泣き通し、それ以来どんな感情も飲み込んできました。
本当なら、話し合いができれば良いのですが、夫は話し合いなど応じません。
また、黙って出ていく準備をするなど、私自身にもダメな部分があるのでしょう。
いろんな感情に揺さぶられながら荷物を運び出す日々が続きました。
それもこっそりというわけにはいかず、一日中家にいる夫の目の前を通らねばなりません。
初めは恐る恐る…夫に見えないように隠しながら物を移動させました。ですが一向に気が付かないようなので、私はどんどん大胆に荷物を運び出しました。
そして家を出ると決めた日が近づく頃には、ほとんどの私の荷物は新居に移され、我が家から消えていたのです。
「少しは異変に気づいてくれた方が、離婚話を切り出しやすいだろう」とすら考えましたが、夫は予想以上に私に無関心な様子で、全く気づきません。
言い方を変えれば、まさか私が出ていくとは思ってもみず、ある意味信頼し、疑いもなかったのでしょう。
そしてついに、家を出ていくと決めた日を迎えたのでした。
妻からの離婚宣言は夫にとって晴天の霹靂だった
離婚をどのように切り出すか?
いろんな感情が私の中にありますが、穏便に進められたらそれが一番です。
最後の最後に大声で怒鳴り合うなどはしたくありませんし、ずるずる月日をかけるのも嫌です。
考えた末、夫への感謝の気持ちにクローズアップし、そこを切り口に話を進めようと決めました。
話がこじれないための作戦でしたが、夫のおかげで何よりの宝物である子どもたちが存在するのですし、物に埋もれているとはいえ住む家にも困らずに生きてきたのです。
そこには素直に最大の感謝を示さなくてはなりません。
ためこみ症であると共に人の感情を汲み取ることが苦手ですから、夫がサラリーマンとして働き続けた事は、私の想像以上に大変な事だったのではないかと推察します。
普段通りリビングで物に埋もれてテレビを見ている夫に近づくと、夫はなんだろう?という不審な顔を私に向けました。
「今までのことは心から感謝しています。今日は私から話したい事があります。」と私は切り出しました。
静かに伝えるべきことを話しましたが、夫が「今すぐ出ていけ」と怒鳴るのではないかという予想は外れたようです。
「なぜだ?何が不満なのだ?」と首を傾げて私に理由を問いはしましたが、概ねうなずきながら聞いてくれたのでした。
挨拶も会話もしない冷めきった夫婦の関係をこれ以上続ける気はないことを伝えると「夫婦は歳を取ればこんなものじゃないのか?」という夫。
冷え切った夫婦関係を夫が何とも思っていなかったことに、頭のどこかでは分かっていたはずですが、やはり驚きました。
それが夫にとって偽りのない素直な気持ちなのです。
私はゆっくり丁寧に、自分の気持ちを伝えました。
物に占領され座る場所も無い家の状態に、これ以上我慢できないこと。
結婚当初から家事も育児も1人でしてきたので、喜びも悩みや悲しみも夫と共有できなかったこと。
この先も夫婦でいる事を続けるのは私には難しく、土台のない夫婦関係にひとくぎりつけたいと考えていること。
決して恨みがましくならないように、感情的にならないように淡々と話し、夫も歳を重ね丸くなったのか逆上する事なく静かに聞いていました。
夫は曖昧な笑みを浮かべてで話を聞いてくれ、私は遠慮せずに気持ちを伝えました。
結婚して以来、このようにちゃんと向き合って話を聞いてもらえたのは初めてです。
普段からこのように話し合うことをしていれば、夫婦の溝は広がらなかったのでしょうか。
大量の物の合間に置いた座椅子に夫が座り、その横に私が突っ立っての話し合いが時々沈黙を挟みながら続きます。
どうやらこの場に及んでも、溜め込んだ物のせいで私が困り続けてきたことに関しては、やはり夫には理解ができないようでした。
疲れた時に横になれる場所もなく、玄関前で私が昼寝していても夫は何も思わないのです。
夜は押し入れの中で眠るしかなく、食事はキッチンの椅子に座り手早く食べるという毎日を過ごしてきましたが、私がどのように食事を摂っているのかなど、夫には全く関心がなく知らないのでした。
離婚話を切り出した段階でも、大量のモノについての私や子どもたちの不快な感覚を夫は理解できず、受け入れられない様でした。
家事や育児や家庭内のことに無関心だったことについては、少しは自覚があるのか「そうだなあ…」と反省しているようです。
離婚したいと強く希望したのですが、バツ2になるのが嫌だと、夫は首を縦には振りませんでした。
夫は物を溜め込むことを止めないでしょうし、自分を変える気もない事を私は知っています。
この結婚生活を続けていくには私が一方的に耐え続ける他に方法はなく、私にはもうそんな気持ちは僅かも残っていません。
もちろん、夫にとっては晴天の霹靂で離婚話を切り出したのですから、返事に時間が必要なのは当たり前です。
すでに整えてある新居を用意したのは正解でした。
こんな話し合いの後で同じ屋根の下で過ごしたくありません。
突然のことで夫は困るだろうと、その日の夕食用にスーパーで買ったお弁当を夫に手渡し、私は新居に向かいました。
予想以上に私の気持ちは静かでしたし、早くも私は明日からの慣れない新しい場所での生活に気持ちを移しつつありました。
夫が物をため込むことを知らずに結婚した私の経緯は記事はこちらの記事で書いています。↓
「損か得か」あらわになる夫婦の価値観の違い
その後、週末ごとに家に戻り夫と離婚について話しました。
夫は離婚は避けて別居をと望みましたが、私は微妙な関係を続けるつもりはなく離婚したいと伝え続けました。
離婚せず何年続くかわからない別居生活を続けることは、今となってはどうしても私には苦痛でした。
夫は熟年離婚は「損」なのだと力説し、自分が死んだ後、お前は遺族年金をもらい「得」するのだから、離婚ではなく別居で良いではないかと。
夫の死を待ちながら別居するなんてメンタルにも悪そうで、私にはできません。
「財産は何も要らないから年金分割の手続きだけしてほしい」と希望したのですが、現在すでに夫は年金を受けており、自分がもらう額が減るので「損だ」と夫は力説するのでした。
離婚すれば今まで私が払ってきた生活費も自分で出さなければいけませんし、その上年金が減るのですから、実際夫にとっては「損」という言葉になってしまうのでしょう。
こんな場面になっても、やっぱり一番先にくるのが「損か得か」という事なのです。
お金はもちろん大事ですから、綺麗事ばかりは言えません。
損か得か?
物事の判断基準が「損か得か?」である夫には、これまでにも何度も違和感を感じたなあと思い返しながら、私は力説する夫を見ていました。
目に見えない人の感情や気持ちが理解することが苦手なので、金額…つまり数字で表せるものを重視するのでしょう。
お金に限らず人間関係でも「この人と付き合えば損するのか得するのか?」と考えているように思えます。
モノを無限に溜め込んでいるのも「損か得か」という基準があるのでしょう。ガレージセールなどで買ってきたモノに対して夫は「得」だと感じているのです。使う使わないは関係ありません。
空間を空けておくことは「損」つまり不安だと感じ、モノを詰め込むことで「得」=満足を得ているとも言えます。
物を溜め込むことは夫には本能に近い感覚で、周りの家族が困っている事が彼には理解できません。
夫の頭の中は、なぜお前は離婚というお互いに「損」をする道を選ぶのだ?という疑問でいっぱいなのです。
逆に私は何か決断する時、「損か得か?」という問題の優先順位はかなり下です。
そりゃお金はあった方が良いに決まっていますが。
だからと言って自分らしくない決断を「得するから」という理由では選びません。
これは価値観の違いですし、私が正しくて夫が間違っていると決めつけるわけではありません。
「得」の方に何の抵抗もなく進んで行けたら、もっと苦労せずに私は生きていけたのかもしれません。
ためこみ症の夫との離婚はお互いへの感謝とともに
3回目の離婚の話合いに出向いた時には、夫はとても穏やかな顔で待っていました。
何やらYouTubeで「熟年離婚」に関する動画をたくさん見て、多くの人が離婚に踏み切っている事を知ったらしく、自分だけではないとある種の安心感を得た様でした。
夫は離婚届に署名をし、年金分割を拒否されたら私は老後に生活できない事を伝えると、それもあっさり承諾してくれました。
久々に夫婦お互いに顔を見ながら言葉を交わし、最後は雑談も交えながら離婚話しをまとめられたことに、私は心底安堵しました。
近々一緒に年金事務所に出向く約束し、さて新居に帰ろうとした時、夫がもぞもぞと座椅子の上で私の方に体の向きを変えました。
「今までありがとう。体に気をつけてな。」と言ってくれたのです。
私もしっかり夫の顔を見ながら言いました
「こちらこそ、今までほんとにありがとう。お互いに残りの人生楽しみましょう。」
結婚以来、夫から真剣にありがとうと言われたことは初めてだったと思います。
そして話す事をやめてしまった数年前から、夫に対して私は優しい言葉かけをしていなかったなあと、反省の気持ちが湧いてきました。
夫婦がうまくいかなくなるというのは、両方に反省すべき点が同じくらいにあるのでしょう。
この何度かの話し合いを経て、夫なりに彼の価値観の中では私を大事にしてくれていたのだと感じました。
夫が言うように、これを機にもう一度夫婦をやり直せるか?と自問自答もしましたが、ここで思い切らないときっとまた同じことで悩み続けるだろうと私は思いました。
恨んだり憎みあって別れることにならなくて、本当によかったと思います。
ため込み症の夫との生活は大変ではありましたが、その期間にたくさん悩み考え、成長できた部分が大きいと思います。
夫が家庭内のことや子育てに無関心でしたが、考えようによっては私が自分が思う様に子どもたちと過ごす事ができたのです。
やはりいろいろあったとはいえ共に長年暮らしてきたのですもの、夫への感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。
夫はこれからも変わらないとは思いますが、きっとマイペースで生きていくことでしょう。
今回の私の離婚への決断は、子どもたちをはじめ私の母や兄弟、友人たちにも支えていただきました。本当に感謝です。
離婚届を手にして今、残りの人生をしっかり生きていこうと私は思っています。
ためこみ症の夫と離婚するのかしないのか、悩んだ苦悩の日々の記事はこちらです。↓












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