希薄な人間関係の中で生きる夫
退職して丸4年が経ちましたが、夫はほとんど誰とも関わりを持たない毎日を送りながら、物をため込み続けています。
希薄な人間関係の中で生きている夫ですが、どうやら寂しいとも思っていないようです。
たった一人モノに埋もれ、テレビやタブレット、スマホを同時に操作しながら変わりなく過ごしている姿は、充実しているようにすら見えます。

ためこみ症の夫のダイニングテーブルの様子
他人の視線を感じない
キッチンのカウンター越しに、モノに埋もれながら夫が操作しているスマホやタブレットの画面が見えています。ゲームをしているか、芸能人の近況やプライベートに関することを調べているのでしょう。
株やお金儲けに関することや歴史の動画を見ている事も多く、同時に二つの動画が流れていたり、音楽やゲームと同時進行ですから、どれをどのくらい本気で見ているかはわかりません。
ここで兼ねてから疑問に感じていたことなのですが、スマホの動画などを見ている時、誰かがすぐ後ろから注視していたら、よほどそれに集中していない限り気付きますよね?
その画面に映っているものが見られたくないものかどうかは別として…。
別に見られても構わないならば「一緒に見ようよ」となりますし、あまり見られたくないならさりげなく角度を変えて、相手から見えないようにするのではないでしょうか?
このくらいガン見したらさすがに気づくでしょう、と思いながら、試すようにキッチンカウンターから身を乗り出して夫のスマホを覗き込んでも、夫はまるで気がつきません。
その理由と同じだと思うのですが、モノで溢れかえる我が家のリビングルームの大きな窓(2つあるうちのひとつはモノで塞がれていますが…)のカーテンを夫は閉めてくれないのです。
我が家から少し離れたところに10階建てほどのマンションがあり、我が家の醜いリビングが丸見えになっていると思うのです。
夜は特に部屋の壮絶な様子がよく見えているはずですし、私は恥ずかしく思い、隙を狙ってカーテンを閉めるのですが、いつのまにか夫が開けています。
普通外から家の中の様子が丸見えというのは、イヤじゃないですか?もし綺麗に片付けられている家に住んでいたとしても、私はカーテンを閉めると思うのです。
夫がいうように私が気にしすぎなのでしょうか?
まあ視線が気にならないというよりは、もしかしたら夫は戦利品である多くのモノを「見せびらかしたい」のかもしれないですが。
まあ間違いなく夫は他人からの視線を感じたり、察するという感覚が鈍いのです。いえ、感じてはいても気にしないというべきでしょうか。
他人への関心が薄いため、そのようなセンサーが働かないのかもしれません。
他人の感情より自分の感情
過去の記事で書いたこともあるのですが、他人の喜びや悲しみ、怒りなどの感情に夫はまるで無関心です。
本人的には解っているつもりなのですが…自分を軸とした見方しかできません。
自分と違った考えや感じ方を持っている人と出会えば、「あいつは変わったやつだ」となります。
他人から優しくされても、それは当然だと思うのか表面上は「ありがとう」と言えたとしても、感謝の気持ちを持っているようには見えません。
冷たい視線を投げられてもそれを察知することもありませんし、言い換えれば夫は他人からの影響を受けにくい性質なのかもしれません。

最近はテーブルの上にペットボトルが並べられてる
夫が人に求めるものと希薄な人間関係
他人には関心の薄い夫ですが、不思議なことにプライベートな情報にはとても興味があります。
初対面の人がいるとすると、どこに住んでいてどのような家族構成で、仕事は何をしていて…というような情報に興味を持ちます。出身校などもとても知りたい項目です。他人の家系図のようなものも好きですね。
どんな考えを持っていて、どのように感じているのか?という人の内面を汲み取ろうとすることはまずありません。
夫は得られた情報からその人がどのような人かを判断しているのでしょう。
明らかな事実であるデータを主体として、人物像を掴もうとしているのです。(〇〇大学を卒業しているのだからこういう人に違いないというような)
経歴も人を形成している大きな部分だとは思いますが、相手と人間関係を築こうとするなら、その人の性格、感じ方、考え方なども察知しながら、関わっていく中でその人物を深く知っていくという過程が必要だと思います。
人の感情を理解し辛く人間関係が築きにくいという点は、おそらく他のためこみ症の方と類似しているのではないかなと私は感じています。
なぜなら本来人間に向けるべき興味が、モノを集める執着心にとって変わられている気がするからです。
そして夫の場合は物を集めるのと同様、相手のデータ的な情報を集めてその人を知ったと考えるのです。
他人を察するというセンサーが働かないために、妻である私を初め子どもたちや周囲の人との人間関係が希薄な夫ですが、そのことにすら気付いていません。これが普通なのだと本人が感じている限り、本人に悩みはなく改善されることはないのでしょう。
夫にとってはその希薄な人間関係で、十分満足を得ているのかもしれません。
モノを集め空間を埋め続けることと同じく、人の情報をデータとして収集することが夫が人に求めることのような気がします。
余談になりますが、今は亡き夫の母親は同じくためこみ症であり、姑の中身はほぼ夫に遺伝し受け継がれています。
ずいぶん姑から嫌な思いをさせられた私ですが、俗にいう「嫁いびり」というよりは、姑が相手の感情が想像できないために、言葉を選ぶことができなかったのでしょう。
自覚がないということは何事においてもタチの悪いものです。
理解したいと努力すればするほど虚しくなるという、負のスパイラルが繰り返される日々…。
まあ長い人生、そんな経験も何かの足しにはなるのかもしれませんがね…。笑![]()
夫は自分の生き方や考え方に完全に合わせてくれる人しか求めないでしょうし、その相手に感謝することもないでしょう。
そんな希薄な人間関係しか求めていない夫と、私はこれからも長く夫婦で居続ける事ができるだろうかと、ふと考え込んでしまうこの頃です。


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