希薄な人間関係
さて今年の春で夫が退職して丸4年が経ち5年目に入っています。
夫はその間着々とモノをためこみながら、ほぼ誰とも関わりを持たない毎日を送っているのです。
寂しさなどの感情は見られず、たった一人モノに埋もれたリビングでテレビやタブレット、スマホを同時に操作しながら変わりなく過ごしています。
他人の視線を感じない
キッチンのカウンター越しにモノに埋もれて夫の後ろ姿が見えています。
操作しているスマホやタブレットの画面が見えているのですが、ゲームをしているか芸能人の近況やプライベートに関することを調べています。
株やお金儲けに関すること、歴史、といっても近代の歴史にはあまり興味はなく見たところ鎌倉時代あたりに特に興味を持っている様子で動画を見ていることが多いです。
ここで兼ねてから疑問に感じていたことなのですが、皆さんは自分がスマホの動画などを見ている時、誰かが後ろからその様子を注視しているとしたらそれに気付きますよね?
その画面に映っているものが見られたくないかどうかは別として…。
別に見られても構わないならば「そばに来て一緒に見ようよ」となりますし、あまり見られたくないならさりげなく角度を変えて相手から見えないようにするのではないでしょうか?
このくらいガン見したらさすがに気づくでしょうと思いながら試すようにキッチンカウンターから身を乗り出してみますが、夫はまるで気がつきません。
その理由と同じだと思うのですが、モノで溢れかえる我が家のリビングルームの大きな掃き出し窓(2つあるうちのひとつはモノで塞がれていますが…)のカーテンを夫は閉めてくれません。
すぐそばに建物はないのですが少し離れたところに10階建てほどのマンションがありそこから多分丸見えになっています。
夜などは特に電気で照らされて壮絶な様子がよく見えているはずだと思うので、隙を狙ってカーテンを閉めるのですが、いつのまにか開けています。
普通外から家の様子が丸見えというのは、イヤじゃないですか?もし綺麗に片付けられている家に住んでいたとしても私はカーテンを閉めると思うのです。
夫がいうように私が気にしすぎなのでしょうか?
まあ視線が気にならないというよりはもしかしたら夫は戦利品を「見せびらかしたい」のかもしれないですが。
まあ間違いなく夫は他人からの視線を感じたり、察するという感覚が鈍いのです。
他人への関心が薄いためそのようなセンサーが働かないのかもしれないと感じています。
他人の感情がわからない
過去の記事で書いたこともあるのですが、他人の喜びや悲しみ、怒りなどの感情に夫はまるで無関心です。
本人的には解っているつもりなのですが…自分を軸とした見方しかできません。
自分と違った考えや感じ方を持っている人と出会えば「あいつは変わったやつだ」となります。
他人から優しくされてもそれは当然だと思うのか表面上は「ありがとう」と言えたとしても感謝の気持ちを持っているようには見えません。
冷たい視線を投げられてもそれを察知することもありませんし、言い換えれば夫は他人の影響を受けにくい性質なのかもしれません。
他人を察するということと希薄な人間関係
他人には関心の薄い夫ですが、不思議なことにプライベートな情報にはとても興味があります。
初対面の人がいるとすると、どこに住んでいてどのような家族構成で、仕事は何をしていて…というような情報に興味を持ちます。出身校などもとても知りたい項目です。
他人の家系図のようなものも好きですね。
夫は人の感情や内面を理解することが苦手なため、得られた情報からその人がどのような人かを判断しているように見えます。
明らかな事実として存在しているデータ的なものを主体として人物像を掴もうとしているのかもしれません。(〇〇大学を卒業しているのだからこういう人に違いないというような)
それも人を形成している大きな部分だとは思いますが、人間関係を築く上ではそれまでに経てきた経験やその人の性格、感じ方、考え方なども察知しながら、自分と関わっていく中でさらにその人物を知っていくという過程が必要だと思います。
これはためこみ症に関係しているのかどうかは私には分かりませんが、人の感情が理解し辛く人間関係が築きにくいという点ではおそらく他のためこみ症の方と類似しているのではないかなと私は感じています。
その辺りは私個人的にはとても興味があるのですが夫以外のためこみ症の方に多く接してみないと分からないことですね。
他人を察するというセンサーが働かないために妻である私を初め子どもたちや周囲の人との人間関係が希薄な夫ですが、そのことにすら気付いていませんし悩みもなく改善されることはないでしょう。
夫にとってはその希薄な人間関係で十分満足を得ているのかもしれません。
モノを集め空間を埋め続けることと同じく人の情報をデータとして収集することが夫にとって有意義なことのような気がします。
あ…余談になりますが、今は亡き夫の母親は同じくためこみ症であり夫とそっくり同じ性格で若かった私はずいぶん苦しみました。姑の中身はほぼ夫に遺伝し受け継がれています。
あれは俗にいう嫁いびりというよりは姑が相手の感情が想像できないために、自覚のない嫁である私への嫌がらせになってしまったのでしょう。
自覚がないということは何事においてもタチの悪いものです。
当時にそれが解っていれば私はもう少し楽だったかもしれません。理解し合いたいと努力すればするほど虚しくなるという負のスパイラルが繰り返された日々…。
まあ長い人生そんな経験も何かの足しにはなったのかもしれませんがね…。笑
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