日々思うこと

無意識に求めてしまう環境|子ども時代のこころの闇

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無意識に求めてしまう環境

子どもの頃の私の心境はひとことで言えば複雑なものでした。

やがて大人になり若い頃は目の前のことに夢中でしたし、子育て時代は自分を振り返る余裕もなく過ごしてきました。

子ども達もそろそろ手を離れ、気づけば50代。

幼い頃から抱える私の心の影の部分と今現在の私の置かれた状況は無意識に求めてしまう環境なのか深い関係があるように思えます。

少し勇気が要りますが、子ども時代の私のこころを振り返ってみます。

キツネと葡萄の話にかさねて

私は自分が子どもの頃の心理状態を思い返すときにイソップ物語の中の「キツネと葡萄」の話を思い出します。

散歩中のキツネが美味しそうなブドウがぶら下がっているのを見つけて跳び上がって取ろうとするのですが、どうしても届かず「ふん、あのブドウは酸っぱいに違いない」と自分の気持ちをごまかす話です。

私の中で今思い返しても一番切なくて苦い思い出は小学校3年生の頃の出来事でした。

その頃、女子の間で「白い大きなレースのつけ襟」が流行りました。

つけ襟ですからトレーナーやセーターにワンポイントとして服の上からさっとつけられるものです。

クラスの女子全員が毎日それをつけて来る中で私だけがその襟を1枚も持っていませんでした。

「クラスのみんながつけているのだから私も欲しい」と私は泣いて訴えましたが母親は「どうしてあんなバカげたものが欲しいのか。」と言うばかりで全く関心もありませんでした。

子どもなりにいろいろな交渉を試みましたが母親は頑として私の望みを聞いてはくれませんでした。

私は毎日毎日憂鬱でした。持っている服の中から少しでも大きくて白い襟の服を選びましたが所詮普通の襟です。

内心悲しくて仕方がありませんでしたが、周りにその気持ちを悟られたくはありませんでしたし、母が買ってくれないのだと周りに打ち明ける事もしませんでした。

「私は流行りには興味がないから」という顔を装い続けました。

誰も私だけが流行りの襟でない事は気にも留めなかったのかもしれませんが、子どもだった私には皆が私の襟を見ているような気がしました。

その他にもいろいろと母の意見から周りのお友達と合わせられないことがありその度に私はブドウを食べ損ねたキツネのように自分の本心をごまかし平気な顔を作っていました。

今になると確かに襟の形などどうでも良いように思えますが、集団の中で周りに合わせたいという心理は子どもの方が強いのかもしれません。

母はそんな子どもの気持ちよりも必要かそうでないかの自分の価値観によって全てを判断していました。

もちろん希望を叶えてもらった事もありますがそれは母の価値観に沿った場合に限られました。

そのせいかどうかは分かりませんが私はファッションをはじめその他も流行を殆ど気にしませんし自分の感覚でものを選んでいます。

もし、母がすぐさま大きな白い襟を買ってくれる人だったら多少私の人格は違ったものになったかもしれません。

我慢は美徳という考え

お金が無かったという理由でもあるかもしれませんが、それなら毎日の習い事などにお金をかけるよりは私の小さな願いを叶えて欲しかったと勝手ながら思うのです。

昔の人、特に苦労をしてきた母のような人は我慢が美徳だと考えているのでしょう。

「楽するよりは苦労を」「楽しむよりは我慢を」と母は自分の生き方を子どもに教えていたのだと思います。

欲しい物に限らず行動や習慣にも厳しく「精神力で乗り越えなさい」とよく言われかなり辛い事も我慢しなければなりませんでした。

それは「我慢強く周りに流されない大人になって欲しい」という願いのこもった母なりの愛情のかけ方であったのでしょう。

コンプレックスのめばえ

私の人格にかなり影響を与えたと思われるのは身体的なコンプレックスです。

それらのほとんどは幼い頃から母に植え付けられたものです。

足が太い、毛深い、扁平足、などの身体的なものや、話し方、歩き方などに対して嘆きながら注意を受けました。

私は自分は醜いのだと心から思い、母が嘆くたびに子どもながらに申し訳ない気持ちになってしまいました。

治せるものならいいですが、そのほとんどが受け入れるしかないものでどうしようもありません。

ですから私は自分の体が好きではありませんでした。自分の話し方も歩き方にも自信が持てませんでした。

母は自分のコンプレックスの部分を娘が引き継いでいることに嘆いたのだと思いますが私は自分の価値をとても低く見てしまう子どもになっていました。

もちろんそんな私の気持ちなど母は気づきもしませんでしたし、今も知らないのです。

私はどんな姿であろうとも丸ごと愛して欲しかったですし、それは子どもにとっては一番自信を持つことにつながるのではないでしょうか。

満たされないこころ

私の記憶では幼い頃親から褒められた記憶がありません。

全くないというと語弊があるのかもしれません。私が褒めて欲しいと思う時に親から褒め言葉をもらえたことが無かったと言った方が正確でしょうか。

あれは小学校低学年の頃。ピアノの発表会が終わり会場から出てご褒美のドーナツ屋さんに向かう途中「なんとか母が褒めてくれないものだろうか」と切に願いながら歩いていたのですがやはり母は疲れているのか無言でした。

その時着ていた薔薇の模様が散ったピンクのスカートをうつむいて見つめながらとぼとぼ歩いた事を今でもはっきり覚えています。

剣道の試合の後もやはり「頑張ったね」という一言はありませんでした。

学校で役員など頑張ってみてもテストで良い点を取っても部活で頑張っても何も褒め言葉はもらえませんでした。

母は子どもを育てる中で「褒める=精神的な甘やかし」と考えていたのではないかと私は感じています。

また、父が仕事で忙しく3人の子どもを母一人で見ることが多かったので疲れと不満があり優しくできなかったのかもしれません。

両親から、特に母親に褒めてもらいたい、認めてもらいたいという願望と満たされない心を持ちながら私は大人になったのだと今は苦い想いで自覚しています。

無意識に求めてしまう環境

子どもの頃に何かの事情を抱え無邪気でいられなかった人は大人になっても無意識に同じような環境を求めてしまうのかも知れません。

私は25年ほど前に結婚して以来、不要なモノをため込むうえに感情のやりとりが難しい夫と暮らし悩み続けています。

その中での子育てや姑との葛藤などさまざまな困難をなんとか乗り越えてきたのは親から教えられた「我慢」のおかげでしょう。

大人になって親から我慢を強要される事は無くなったわけですが、こうして私は自ら我慢を強いられる人を結婚相手として選んだのです。

徐々に結婚生活に支障をきたした頃、古くからの友人は早い段階で「離婚を考えたほうが良い」とアドバイスもくれましたが私はそうはしませんでした。

子どもの頃から慣れ親しんだ「自分を抑えて我慢する」という環境にあえて私は居続けているのだと思います。

褒めて欲しいと思いながら褒めてもらえなかった私は、困難を乗り越え耐え続けることにある種の承認欲求を満たしているのかもしれません。

そんな状況ではありますが。どうやら傍目には私は「明るく活発で悩みなどなさそうな人」に見えているらしいのです。

幼い頃の私のように「ブドウを食べ損ねたキツネ」の気持ちで強がって見せかけているのではありません。

悩みに縛られないように自分の気持ちをコントロールできるようになったからでしょうか。

本当に我慢しなくても良い環境が訪れた時には、私はどのように感じるのかなとふと考えたりもします。



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