ためこみ症

「もう限界」これからどう生きていくのか?私の人生の分岐点

積み上げられたモノが照らし出されるリビングテーブル ためこみ症

年末の私 人生の分岐点に立つ

夫が重度のため込み症で家が物に埋もれ、人知れず悩み続けてきた私が書き始めた「ものびと」ブログですが早くも3回目の年末を迎えました。

今、私は人生の分岐点に立っているのだと強く実感しています。

現実を直視しないことで長年平常心を保ってきたのですが、私の一回限りの人生これでよいのか?と自分の心に問いかける日々が続いています。

記事を書くことで今まで逃げていた現実や夫をじっくり観察し、客観的に考えられるようになったからかなと思います。

夫のためこみ行動は歳を取りマシになるどころか、物への首着はますます酷くなっているようです。

増え続けているから当然なのですが、今が一番最大に家中にモノが溢れかえっているという状態が更新され続けているのです。

前回の記事にも書かせて頂きましたがこの数ヶ月で私の心に大きな変化が起きています。

今回はためこみ症の夫を持ち悩み続けてきた私が、今の気持ちを整理するためにも書かせて頂きます。

夫婦が一緒にいる理由は?

ある日突然に予定よりも1年早く退職し、夫が毎日家で過ごすようになってから4年が経とうとしています。

それまでは平日夫がいない時間ホッとする時間が持てましたし、あきらかにゴミのようなモノをゴミ処理場に運んで処分することでストレスを発散していました。

リビングの貴重なスペースに夫が毎日1日中テレビやスマホ、タブレットを見ながら陣取ることになった今ではそんな時間はなくなってしまいました。

会話などのコミュニケーションをとり続けることで、いつか夫が物を片付けてくれる日が来るかも知れないと私は僅かな望みを持っていましたが、物はさらに増え続け、夫は片付けるどころかトイレ以外はほとんど座椅子から立つことのない生活を始めたのです。

私が仕事に出ている間にまたいろんなモノを買ってきて着々と家中を埋め尽くしています。

…こうなる事は心のどこかでは私は何年も前からすでに知っていたのです。

そんな現実の日々の中で、私は夫に対して話しかけることができなくなりました。いくら私が努力しても夫が変わることがないのだということを 長い結婚生活の中で思い知ったのです。

夫は夫で、急に私が話さなくなったのは更年期で不安定になっているせいだと思っているようです。

私の変化に気がついたとしても夫が物を溜め込むことはやめませんし、私の気持ちに歩み寄ろうとすることは皆無なのです。

夫から話しかけてくることは挨拶ですらありませんし、今まで通り平気な顔で1日中ゲームをしたりテレビを見て過ごしています。楽しそうですらあります。

無限にモノが増え続けていく現状も辛いのですが、何が私にとって辛いってやはり人間同士、心が通わずお互いに思いやりが持てない事なのです。

心が通うような関係性があればここまで家の状態が悪くならないでしょうけれど。

私から夫に話しかけ歩み寄ろうとしていた頃は、それなりにまだ夫婦の形は保っていたのですが、今では夫に対しての嫌悪感が強くなってしまいました。

私たちが一緒にいる理由が分からなくなってしまったのです。

心の通わないため込み症の夫の座椅子には箱が積まれるようになった

ため込み症の夫の座椅子には箱が積まれるようになった

もう限界だと感じた日

もう耐えるのは限界だと感じた事が今年の間に2度ありました。

1度目は古かった車が壊れたため新しい車を購入する時でした。

車の買い替えのことを切り出すにも、古い車を処分することに夫は抵抗感を示すだろうと私は長男が家に来ているタイミングを狙って夫に話をしました。ディーラーをいくつか見にいくのも夫と二人では行けないと感じ、これまた長男に一緒に来てもらったのです。

「あの車にしようか」、「こんな車がいい」などの要望を素直に伝え合うことすらも長男を介さなければできなかったのです。

全く気持ちが通じない相手…夫と話をしなければいけないというプレッシャーは常に私を疲弊させました。

夫と同じ空間に居ながらにして心は拒絶しているといういびつな状態を続けてきたせいでしょう。

夫は意気揚々と車を見てまわり楽しそうにしていましたが、無口な私に対して意見を求めることはありません。

長男のおかげで購入する車が決まりましたが、私はしばらく心のモヤモヤが晴れない状態が続きました。

2度目は親族で集まった際に、やはり誰かを交えなければ私と夫は話すらできないという事実を痛感したことでした。

私も悪く夫には申し訳なく思う部分もありますが、喉に言葉がつっかえる感じがして会話ができないのです。

この先まだたくさん訪れるであろう夫婦で話し合う事柄に対して、私はどう対応していけばいいのか全くわからなくなってしまいました。

これからどう生きていくのか?私の人生の分岐点

夫が変わらないことを責めるわけにもいきません。それが夫の性質であり病気と捉えればそれを見抜けずに一緒になった私にも責任があります。

今ここにこうして暮らしているのは、誰でもない私が夫と一緒に暮らす選択をしてきたからです。

夫婦で問題について話し合い歩み寄る事ができなかったのは残念な事ですが、別れる勇気も無く自分の気持ちを殺して生きてきたのは紛れもない私自身です。

自分の人生に起きる出来事は自分の責任です。

夫と同じ空間にいる事がこれまで以上に耐え難く辛いものになった今、生きていくために考える手段は「私がここを出ていく事」です。

離婚をするのか?なんとか夫の姿を意識から外し過ごしてきましたが、これからも私はそのようにして耐え続けるのか?

耐える事もできなくはないとは思うのです。今までも何とかそれなりに楽しむこともできたのですから。

でも…この先もこうしてうんざりしながら暮らしていくのか?

私の中で迷い続けています。

現状から目を背けて生きてきましたが、私の本心に目を向けることで沸き上がってきた迷いなのでしょう。

ありがたいことに子どもたちが社会に出てくれたことで私は自分自身を振り返る余裕ができたこともあります。

長年自分の気持ちを封じ込めて生きてきたからか、本来の自分が一体どのような人間だったのか、何を望んで生きているのかすらわからなくなってしまいました。

悲しいかな夫婦で共有した時間も少ないため心に残る思い出はあまりありません。

はっきり言うと私が未練を感じているのは夫婦共に働いて手に入れた我が家です。ゴミ屋敷になってしまったとはいえ、幼かった子どもたちを育ててきた思い出が全てこの家に染み付いています。

ですが子どもたちはもう大人になりました。

小さな子どもたちを連れて家を出る勇気はありませんでしたが、たとえ貧乏のどん底に落ちるとしても今なら私ひとりで済みます。

お金は仕事を増やすなりしてどうにかなるでしょう。

もはや貧乏なことすらも楽しめるかも知れない。笑

少なくともこの家で息を潜めて生きているよりは自由を感じる事ができるはず…。

そんな感じで、人生の分岐点に今立っているのだと強く感じながら2023年の年末を迎えています。

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