広告
ためこみ症

年末の私 人生の分岐点に立つ 2023|ためこみ症の夫

積み上げられたモノが照らし出されるリビングテーブル ためこみ症
広告

年末の私 人生の分岐点に立つ

人知れず悩み続けてきた私が胸の内を打ち明ける場所があればと書き始めた「ものびと」ブログですが早くも3回目の年末を迎えました。

そして今、私は人生の分岐点に立っています。

夫が不要なモノをためこみ続け家を埋め尽くしつつある現実を直視しないことで長年平常心を保ってきたのですが、人生これでよいのかと自分の心に問いかける日々が続いています。

ブログを始めてからひとつの記事を書くために自分の心の中をじっくり覗き込む事ができましたし、現実の状態や夫をじっくり観察し、客観的に考えられるようになったということも要因です。

夫のためこみ行動は、この1年だけを考えてもますます酷くなっています。

増え続けているから当然なのですが30年近く夫と暮らしている中、今が一番最大に家中にモノが溢れかえっている状態が更新され続けているのです。

そんな中、前回の記事にも書かせて頂きましたがこの数ヶ月で私の心に大きな変化が起きています。

今回はためこみ症の夫を持ち悩み続けてきた私が、今の気持ちを整理するためにも書かせて頂きます。

所詮それは偽りの関係

今から約4年前のある日突然に予定よりも1年早く退職してきた夫。

それまで平日は出勤していましたから、私は夫がいない時間モノが溢れかえっているとはいえホッとして過ごす事ができましたし、時には腹立ち紛れにあきらかにゴミのようなモノをゴミ処理場に運んで処分することでストレスを発散していました。

それが突然リビングの貴重なスペースに夫が毎日1日中テレビやスマホ、タブレットを見ながら陣取ることになったのです。

それまではどうにか会話などのコミュニケーションをとり続けることで、片付けるよう夫を説得できる日が来るかも知れないと僅かな望みを持っていました。

ですが現実の我が家にはモノがさらに増え続け、夫は家事どころかトイレ以外ほとんど立つことは無い生活を始めました。

私が仕事に出ている間にまたいろんなモノを買ってきて着々と家中を埋め尽くしています。

…こうなる事は心のどこかでは私は何年も前からすでに知っていたのです。

ですが私は認めたくありませんでした。

そんな現実の日々の中で、私は夫に対して話しかけることができなくなりました。

夫は夫で、急に私が話をしなくなったのは更年期のせいだと初めは思っているようです。

今は夫はどう捉えているのか解りませんが、私が極度に話したくない心境であることは伝わっているはずです。

ですが私が話しかけるのを辞めたところで夫は何も変わりません。

夫から話しかけてくることはありませんし、今まで通り平気な顔で1日中ゲームをしたりテレビを見て過ごしています。楽しそうですらあります。

自分を顧みて相手と話し合い歩み寄ろうなどと思う可能性はゼロです。

無限にモノが増え続けていく現状も辛いのですが、何が私にとって辛いってやはり人間同士、心が通わない事なのです。

心が通うような関係性があればここまで家の状態が悪くならない…ですね。

私から夫に話しかけていた頃はそれなりにまだ夫婦の形にはなっていました。

ですが所詮それは偽りの形でしかありません。

私からの声かけもなくなり、いっさいの会話が無くなってしまった今では一緒にいることの理由がわからない上に今まで以上に夫に対しての嫌悪感が強くなってしまいました。

心の通わない夫の座椅子には箱が積まれるようになった

夫の座椅子には箱が積まれるようになった

向き合う事が困難

「夫婦関係がこのままでは本当にいけない」と感じた事が今年の間に2度ありました。

1度目は古かった車が壊れたため新しい車を購入する時でした。

買い替えのことを切り出すにも古い車を処分することに夫は抵抗感を示すだろうと私はタイミングを見計らったのですが、ディーラーをいくつか見にいくことに夫婦二人では行けないと強く感じ、近くに住む長男に一緒に来てもらったのです。

「あの車にしようか」、「こんな車がいい」などの要望を素直に伝え合うことすらも私にはできなかったのです。

おはよう、おやすみなどの日々の挨拶ですら無くなっている関係なのですから無理もありません。

おかしな話ですが、全く話が通じない相手…その夫と話をしなければいけないという事は恐怖を感じると言えるほどです。

不快な思いをしないために普段は夫と同じ空間に居ながらにして心は拒絶しているといういびつな状態でい続けてきたせいでしょう。

夫は意気揚々と車を見て周り楽しそうにしていましたが、無口な私に対して意見を求めたりもしません。

長男のおかげで購入する車が決まりましたが、私はしばらく心のモヤモヤが晴れない状態が続きました。

2度目は親族で集まる中でも私は夫と言葉を交わす事がうまくできませんでした。

誰かを交えては話せますが、ふたりだけの会話は成り立たない状態。

これは私にも原因があり夫には申し訳なく思う部分もありますが、喉に言葉がつっかえる感じで会話ができないのです。

この先もっとたくさん訪れるであろう夫婦で決めたり話し合う事柄に対して私はどう対応していけばいいのか全くわからなくなってしまいました。

私の人生の分岐点

夫が変わらないことを責めるわけにもいきません。

今ここにこうして暮らしているのは私がその選択をしてきたに過ぎません。

夫と話し合い歩み寄る事ができなかったのは残念な事ですがそれに甘んじて自分の気持ちを殺して生きてきたのは紛れもない私自身です。

これは自覚のない「ためこみ症」という病気であるとともに、何かしら関係があるのではと思いますが夫は人の感情が理解できないのです。

仕方がありません。彼を選んだのは私です。

夫と同じ空間にいる事がこれまで以上に耐え難く辛いものになった今、考えることは「ここを出ていく事」です。

つまり離婚をすることです。

なんとか視界から入ってくる夫の姿を意識から外し、イヤフォンで音楽を聴く事で夫の気配を感じないように過ごしてきましたが、これからも私はそのようにして耐え続けるのか?

耐える事もできなくはない。今までも何とかそれなりに楽しむこともできた。

でも…この先もこうして暮らしていくのでしょうか。

私の中で迷い続けています。

家の現状から目を背けて生きてきましたが、同時に私の本心にも目を向けることを避けてきたことを振り返りつつ。

ありがたいことに子どもたちが社会に出てくれたことで私は自分自身を振り返る余裕ができたのでしょう。

長年自分の気持ちを封じ込めて生きてきたからか、本来の自分が一体どのような人間だったのか、何を望んで生きているのかすらわからなくなってしまいました。

悩み続けて今に至った私こそが現実のワタシですもの。

悲しいかな夫婦で共有した時間も少ないため心に残る思い出はあまりありません。

はっきり言うと私が未練を感じているのは夫婦共に働いて手に入れたこの地下室付きの3階建ての我が家です。

今はゴミ屋敷に成り果ててはいますが、幼かった子どもたちを育ててきた思い出はやはりこの家に染み付いています。

ですが子どもたちはもう大人になりました。

小さな子どもたちを連れて家を出る勇気はありませんでしたが、たとえ貧乏のどん底に落ちるとしても今なら私ひとりで済みます。

お金は仕事を増やすなりしてどうにかなるでしょう。

貧乏なことすらも楽しめるかも知れない。笑

少なくともこの家で息を潜めて生きているよりは自由を感じる事ができるはず…。

そんな感じで、人生の分岐点に今立っているのだと強く感じながら2023年の年末を迎えています。

長々と私の内情に耳を傾けてくださってありがとうございました。またどのように私が決断していくか追って記事にしたいと考えています。

皆様もどうぞ良いお年をお迎えくださいね。



コメント