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ためこみ症

「ためこみ症」の夫|想像力の欠如による生きにくさ

モノがあふれる部屋 ためこみ症
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想像力の欠如による生きにくさ

重度のためこみ症である夫と長年暮らし、ためこみと同様深刻だと感じているのは夫の想像力が欠けていることから相手を思いやることができない事です。

私たちは普段何気なく相手の言葉や表情から気持ちをくみとっています。それは想像力を必要とします。

夫は想像力が乏しいため人の感情が解らずその場の空気が読めません。そのために人と良い関係を保つことが難しいのです。

本人は自覚していないかもしれませんが彼の人に対する不満の原因はそこにあり、それが生きにくさにつながっていると思うのです。

友人は一人もなくモノをためこみ、テレビを見る以外に趣味もない毎日ですが、特に寂しさも不便さも感じていないようなのです。

家族との会話もないような孤独な生活の中で平然と過ごしている夫。

もしかしたら彼にとっては家族も含め、人との関わりがない方がストレスなく過ごせているのかもしれません。

どうして夫は人の気持ちを理解してくれないのだろうと長年悩んできましたが、夫には想像力が欠如しているのだと考え、納得するに至っています。

相手の気持ちを察したり尊重したりすることがほとんどない夫と、自分よりも相手の考えや気持ちを考えて過ぎてしまう私。

生活全般の中でいろんなことに対するお互いの価値観は大きく違いました。

家族にありがとうは不要?

相手の気持ちを大切にすることは子どもに一番伝えたいことのひとつだと思います。

子ども達が幼かった頃、まず私が一生懸命に教えたのは「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉でした。

家庭の中でも「あれを取って」などの小さなやり取りの際にもきちんとありがとうと言えるように教えました。

ですが夫はその様子をみて「家族なのだから『ありがとう』は要らないだろう」と鼻で笑うのです。

それを聞いて唖然とした覚えがありますが、それも相手の気持ちを考えないからこそ出た言葉でしょう。

夫はめったにありがとうとは言いません。

毎年訪れる母の日などは私を憂鬱にさせました。

「今日はお母さんにありがとうを伝える日だよ」と夫からまだ幼い子ども達に教えて欲しかったのですが、夫にはそんな気はさらさらありません。

それとなくその事を伝えると、「べつにオマエがオレの母親ではないのだから母の日は関係ないだろう」という返事でした。

夫は意地悪でそんな態度をしているわけではなく、本当にそう思っているのです。

父の日は「お父さんにありがとうと伝える日だよ」と私が子ども達に仕向け、夫は嬉しそうにプレゼントを受け取ります。

自分がされることは嬉しいのですが、喜ばせようとしてくれている相手の気持ちまでは察していないのではないかなと思うのです。

それぞれの価値観や考え方の違いだろうかと私は自分を納得させてきました。

相手が喜ぶことで自分の心が温まることや、感謝を伝えることでお互いの関係が豊かになることなどは自然に身につくものだと思っていましたが夫に関してはそうではなかったようです。

こうして家族間の中でも夫の想像力は乏しく温かい感情のやりとりも少なく、私の一番大切にしたい部分が全く通じません。

結婚して間もなく私は価値観の違いを思い知りました。

複雑な感情は理解できない

毎日テレビの前で過ごし1日中タブレットやケータイを操作しながら落ち着きなく過ごしている夫。

そんな夫は「家族」や「夫婦」をテーマとした家族愛にあふれたテレビ番組をよく観ています。

我が家ではその番組はまるで別世界のように映ります。

我が家は夫の長年のため込みによるモノの多さで生活に支障をきたしており、私も子ども達も夫に愛想を尽かしています。

ご夫婦やご家族の温かく幸せそうなエピソードを聞いたり、観たりすると何かこちらの家庭の冷ややかさが身に染みて私は辛いのです。

仲の良くない夫婦が円満で楽しそうなご夫婦が出ている番組を同じ空間で観るほど気まずいものはありません。

夫はまるで何も感じていないようです。

「幸せそうなこのご夫婦にも、苦労もあったであろう事などが夫に想像できているだろうか」と疑問に思う事があります。

複雑な感情などは理解できないでしょう。

幸せそうに見えるご夫婦にも苦労があったことや笑顔の裏に涙があったことなどは想像力が足りないために解らないだろうと思うのです。

表面的な理解

少し前のことですが、世界的に大ヒットした映画を夫がひとりで観てきた時のことです。

その頃はまだ会話も少しありましたから(私が一方的に頑張って話しかけていたのですが)「映画はどうだった?」と聞いてみました。

「あんな映画が大ヒットするなんてよく解らない。どこが面白いのかさっぱり解らない。」と不満げに感想を言ったのでした。

その数日後、友人に誘われ夫が観た映画を観ることになりました。

それは奥深い感動をもたらす映画で、私は涙のあまり映画館から出られませんでした。

その後再度ひとりで観に行ったほどの傑作映画だったのです。

ふと「夫は何故、あの映画の良さがさっぱり解らなかったのだろう。」と疑問に思いました。

複雑な登場人物の関係性や、その背後にある目に見えない感情、変わりゆく状況の中で人の心も変わっていく様を理解できなかったのではないかと思います。

雨の中に立ち尽くす主人公の心の中にある複雑な気持ちは想像する事ができず、ただ雨の中で濡れながら立っている姿としか捉えられなかったのではないかと思えるのです。

それと同じ理由になると思うのですが、東北で地震が起きた時のこと。

夫は毎晩のように津波の動画を夜中遅くまでタブレットで見ているのです。

逃げ惑う人々の生きるか死ぬかの様子が映されています。

夫は「見ている」と言うよりは「眺めている」に近い様子でした。

見るに忍びない動画を夜な夜な夫が観ている日がしばらく続き、私は不気味に思いました。

今思うと、津波の映像はそこに迫った恐怖や緊迫感などが理解しやすい状況なのでじっくり眺めていたのかなと思います。

幸せそうなご家族やご夫婦の番組も、その表面上の明るさや楽しい雰囲気は理解できるので好んでよく観るのでしょう。

表面に映らない目に見えない人の感情をくみ取ることや言葉以外の雰囲気を察して状況を想像するという事ができません。

表面的な理解に終わってしまいその裏や奥深いものは想像できずにいると思います。

ためこみ症と想像力の無さ

家族や周りの人とうまくやっていくには思いやりや優しさが必要だと思います。

「この人は今何を考えているのだろう」

「どうしたら喜んでもらえるだろうか」

「なぜこうなったのだろう」

そんなふうに想像をしながら考える事なしに、表面上の出来事や表情や言葉だけに頼って人間関係を良好に保つことは不可能に近いのではないでしょうか。

結婚以来、私はコミュニケーションが取り辛い夫に根気強く話しかけてきました。

ほとんど私からの問いかけや言葉に頷く程度にか話を膨らます事ができないままでしたが少しでも会話をし、お互いに理解したいと思ってきた私です。

ですが、昨年夫が突然退職した事を機に「この家の中を片付けて欲しい。無理なら私が片付けます。」という願いをきっぱり断られて以来私は気を遣って話しかける事をやめてしまいました。

やめたというより、気持ちが尽きてしまったという感じです。

夫は心の病気だとは思いながらももう私も疲れてしまったのです。

なぜ家族がここまで困って耐えてきた不要なモノで溢れかえる我が家の状況を改善できないのか。

それはためこみ症という病気のせいでもありますし相手の気持ちを想像する力も足りないからだと思います。

毎日家族とも挨拶も交わさない日がかれこれ2年近くになりますが夫は特に何も感じていないようです。

かえって煩わしい会話が減って夫は楽になったのかもしれません。

黙って家事をしている私の内面に潜む感情を夫が想像することはこれからもないでしょう。

夫は人に無関心どころか妻や子どもにも無関心だとずっと思ってきました。

無関心というよりはもしかしたら想像力が足りない故に人との結びつきが浅いのかもしれません。

人との温かいやり取りのないまま暮らしている夫が嫌いながらも哀れに思えて仕方がないのですが、本人に自覚がないので仕方がありません。

これからも他人に対しての理解ができず生きにくさを感じながらも彼が変わることは無いでしょう。

ためこみ症と想像力の無さは無関係ではないように私には思えるのです。



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