ためこみ症の夫を27年見つめ続けた妻の記録|家族として抱えた悩み
ためこみ症の夫と27年間暮らす中で、私は解決策も見つからないまま悩み続け、最終的に熟年離婚という選択をしました。
同じように、ため込み症の家族として悩んでいる方に向けて、私の27年の経験とその中で感じたことを書いていきます。
物を溜め込み、捨てることができない。
家族にそんな人がいると、する土台となる家がめちゃくちゃになってしまいます。
普通の生活をしている方には、床が見えないほどに、天井に届くほどに、家中が物で埋まっている光景など、想像することが難しいでしょう。
その中で3人の男の子を育て終え、私は離婚をするという形で夫との生活にピリオドを打ちました。
その長い結婚生活の中で私が、どのように過ごし、変わっていったのかまとめます。
はじめから違和感のあった結婚生活
30年ほど前に、夫は思春期にさしかかる男の子を連れての再婚、私は初めての結婚をしました。
それまで夫と息子は別々に暮らしていて、私との結婚と同時に家族3人での暮らしがスタートしたのです。
当時夫がひとりで住んでいた2階建ての家は、既に玄関から2階まで、ぎっしり物で埋め尽くされている状態でした。
玄関は足の踏み場もないほどたくさんの靴が転がり、廊下には古い雑誌やカバンなどが所狭しと置かれ、壁にはフックに吊るされたカバンがびっしりとぶら下がっていました。
カバンが空で置かれていることは決してありません。それぞれに文具や財布、ネジや何かの配線に至るまで、様々な細かい雑貨がパンパンに詰め込まれ、最大限にふくらんでいる状態です。
居間に入るとテレビと座卓が置かれ、夫が座る場所以外はビデオテープやCDが天井近くまで積まれ、カバンや服などがいくつも高く積み上げられていました。
壁や天井にもたくさんの物が吊り下げられ、隣の台所に行くには、のれんのようにぶら下がった物たちをくぐらなければなりませんでした。
その部屋で今でも印象に残っているのは、押し入れの中段を取り去って、そこに高さ1メーターほどのスピーカーが収まっていたことです。
そして仕事が休みの時など、夫は得意げにこのスピーカーから大音量でお気に入りの音楽を流すのでした。
近所に迷惑だから音量を下げるよう夫に頼みましたが、夫は「何が迷惑なのだ?こんな良い曲を聴いて嫌がる人はいない」と不満げな顔をするのです。
時々このような、他人に対する考え方の違和感を感じることがありました。
散らかっている家に関しても、初めは「男性の一人暮らしだったのだから仕方ない」と軽く考えていた私でしたが、なぜか片付けても片付けても物が減らないのです。
夫に頼んでもダメならお義母さんに相談しようと考え、「物が多過ぎて困っています。」と打ち明けると、「何が困るの?」と、夫とまるで同じ返事が返ってきたのでした。
毎日のように朝夕訪れる義母…彼女の家もまた散らかっている状態で、ためこみ症なのは間違いありませんでした。
なぜか片付かない家中に溢れかえる物、毎朝夕に訪れる義母、夫不在の中での継子との関係作り…これらの悩みが順を入れ替えながら常に私を悩ませました。
何より一番辛かったのは、悩みの多かった私に、夫はまるで他人事のように無関心だったことでしょうか。
「おまえは考え過ぎなのだ。」何かというとその一言で片付けられてしまい、夫は自分の部屋にこもってしまうのでした。
夫の性質や性格を見抜けなかった私が悪いのですが、結婚生活には初めから大きな違和感を感じ、焦りと悩みの中で溺れているといったような毎日でした。
当時「ためこみ症」という言葉はまだ無く、ゴミ屋敷というワードすら無かったのではないかと思います。
私はただただ、物を増やし続け、感情の伝わらない夫に対して不気味な不安を感じていました。
我が家の状態は、私だけが抱える特別な悩み…恥ずべき悩みだと感じて、誰にも打ち明けられずにいたのでした。
ためこみ症の夫を変えようとしていた頃
そんな中、私は「片付いていることの気持ちよさ」を夫に分かってもらおうと必死でした。
片付いていることの気持ちよさを夫が知らないから、家がこのような状態になるのではないかと、私は考えたのでした。
綺麗好きの友人のお宅に夫婦で訪問し、「スッキリして気持ち良いね。」と夫に私の気持ちを伝えたり、部屋の一部を徹底的に綺麗にしておしゃれな雑貨を置いてみたり。
いろいろと試してみましたが、のらりくらりと片付けることに口だけは同意しながらも、夫は全く変わる気配がありません。
出産を控えて安静にしなければいけないという時になっても、私は独り、家を片付けようと毎日必死でした。
片付けてほしいと泣いて訴えても、手紙で文章にして伝えても、夫が物を買い込んでくるペースは全く変わりません。
その頃は継子と向き合うことにも精一杯で、そこに毎日朝夕現れる義母の存在、やがて二人の息子たちが生まれても、何も助けてくれない家族に無関心な夫…どこからも解決しようのない悩みが常に私を苦しめていました。
夫が変わらないなら環境を変えるしかないと、私は家の建て替えを夫に提案し、結婚して数年後に家を建て替えたのです。
それで大量の物たちは一気に処分できると考えた私でしたが、それは甘い考えでした。
ためこみ症の夫との生活に疲れ、現実逃避していた日々
家は新築で綺麗になりましたが、古い家を壊した際に処分できなかった大量の荷物が段ボールに入ったまま、地下室や車庫に積み上げられました。
「そのうちに片付ける。」という夫の言葉を私は信じてはいませんでしたし、「これ以上、荷物を増やさないでください。」と何度も伝えました。
初めの数年はまだ、お客様が来ても困らない程度には片付いていました。
子どもたちが幼く、ママも一緒にお互いの家を行き来していたのもあって、私は必死で片付けていたのです。
ですが私がパートで働き出した頃から、片付けることに時間を割けなくなってきました。
夫は毎週フリーマーケットなどで残ったものをゴッソリ安値で買ってくるので、片付けが全く追いつかないのです。
次第にリビングの壁の周りに物が増え始め、子どもたちが部活動で忙しくなる頃には6人がけのテーブルも、物を避けなければお皿が置けない状態になっていたと思います。
壁には様々な物がピンでとめられ、カーテンレールには服が何十にもかけられ、明るかった部屋も薄暗く不気味な光景に変化していきました。
たくさんあった窓も、夫の物で塞がれ開けられなくなった頃には、「夫は生きている限り、物を溜め続けるだろう。」と私は確信していました。
そんな絶望的な生活の中で私が身につけたのは「現実から目を逸らす。」ということでした。
実際には目を逸らすと言っても、逸らす場所がないほどに家は物で埋まっていましたから、見えている景色を意識の中には入れないという感じでしょうか。
私は常に現実逃避していたのです。
そうすることで、夫に期待するよりはるかに楽になったのです。
夫に期待すること=絶望することだと、諦めることに救いを見出したのでした。
子育てに忙しく、体も気持ちもエネルギーを注がねばいけない時期でしたし、私は大量の荷物にため息をつきながらも、そこにさらに注力する余裕がありませんでした。
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子育てが終わり見えてきた、私のこれからの人生
そんな現実逃避の日々が過ぎ、気づけば私は40代後半になっていました。
物が多いという問題もありましたが、継子の思春期における様々な問題、意地悪な義母に対する悩み、次男の不登校の悩み、そして夫の家族への関心の無さ、など、様々な悩みが順を入れ替えながら常に私を悩ませてきました。
毎日を現実逃避して過ごしていましたが、子どもたちに関する問題からは現実逃避するわけにはいかず、私は全力で向き合いました。
そんな私を横目に、夫は協力するどころかまるで関心がなく、ただただ物をためこみ続けていたのです。
時が経ち、子どもたちが成長してくれたことで、解決できないのではないかと感じた子育ての悩みも徐々に薄らいでいきました。
そしてあらわになってきたのは、悲しいかな私たち夫婦の冷たい関係性でした。
大量の物を溜め込むこと以上に、義母からの嫌がらせや、子育ての悩みを抱えて苦しむ私に、夫がまるで他人事のように無関心だった辛さが、問題が過ぎ去ってから余計に身に沁みるようでした。
そして私の中に夫への思いやりが、ひとかけらも残っていないことに気づきました。
このまま、この夫と共に暮らしていけるのだろうか。
息子たち3人が無事に社会に出た後で、見えてきたのは残された私の人生でした。
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ため込み症の夫と暮らす中で感じた、自分の中の醜い気持ちとの葛藤
子育てがようやく落ち着きましたが、ホッとする間も無く、私は夫や家の悩みに目を向け始めました。
「この家を片付けてから死ぬのだ。」と、自分の人生の中の最終目標を決めていたのは、夫と結婚したことに対する責任を私は強く感じていたからです。
「この世界で、この夫の後始末ができるのは私だけなのだから、任務をまっとうしなければならない。」大袈裟に聞こえるかもしれませんが、そう思うくらいに私は責任を負っていると感じていました。
もともと彼は10代の頃からためこみ症だったと思われ、私のせいではないのに、何故か私はその考えに執着していました。
私がなんとかしなければならない。
子どもたちのために、この家を片付けて残したい。
それは他の誰でもない、私だけが背負う責任なのだ。
そう思えば思うほど、物をためこみ続け家族に関心のない夫に対して、氷のように冷たい気持ちになってしまうのでした。
「夫が死ねばこの家を片付けられるのに。」
ストレートにいうと、この一言しかありませんでした。
朝起きて、夜寝るまで、常に「夫が早く死なないかな」と心のどこかで考えているのです。
私は残酷で醜い自分の気持ちにも嫌気を感じながらも、どうすることもできず、相変わらず現実逃避を続けていました。
家に居場所がなかったこともありましたが、趣味のスポーツに打ち込んだり、サイクリングで遠出するのは、醜く汚い心の自分を忘れるためでもありました。
そんなある日の次男の言葉が、私の今後の人生を深く考えさせることになります。
普段から夫が居ない部屋をできる限り片付けている時、私は自分の気持ちを吐き出さずにはいられませんでした。
「早く死んでくれたらいいのに。早く死んでほしい。」と実際に小声で独り言を言いながら片付けていたのです。
それは、誰にも知られてはいけない本音でしたし、そんな時の私は醜い顔をしていたに違いありません。
その日、次男が近くにいることに気づかず、誰も居ないと思っていつものように私は自分の気持ちを吐き出しながら、掃除をしていたのでした。
「おかあさん、そんなことを聞いたら僕はキツいよ。本当にキツい…。」次男に声をかけられ、私は申し訳なさと恥ずかしさで「ごめんね。」としか言えませんでした。
次男は私が夫や家の状態に深く悩んでいることを一番理解してくれている子でした。
それでも、やはり、彼にしたら血の繋がった父なのです。
それ以来、私は心の声を外に出さないように注意しました。
子どもたちにとっては、いくら悩みの多い父親でも、大事な存在なのだという感覚が私から抜け落ちていました。
自分たちの父親に「早く死ねばいい」などと母親が内心考えながら、夫婦の会話もない生活を続けていくことが、子どもたちにとっても幸せではないだろうと、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
夫の立場で考えても、無表情な顔の下で「あなたが早く死ねばいい。」と、妻が口に出さずとも考えているのですから、幸せであるはずがありません。
この生活を続けていくことは、汚くて醜くて情けない自分を続けていくことなのです。
この出来事をきっかけに、ずいぶん前から私の心の中に潜んでいた「離婚」という文字が、浮かび上がってきたのです。
どう生きていくべきかと悩む日々が続きました。
ため込み症の夫と離婚し、その後の人生
離婚に踏み切ることは簡単ではありませんでした。
結婚よりも離婚の方が大変だと聞いてはいましたが、私が一番辛く感じたのは、愛する子どもたちの集う場が、私がいなくなることによって失われてしまうのでは、ということでした。
凄まじい物まみれの我が家の中ですが、ここで私は3人の男の子を育て、楽しいこともたくさんあったのです。
たくさんの思い出のできた場所は、確かにこの物に埋もれた我が家なのでした。
私はその場所から離れることを考えると、胸が締め付けられるような痛みを感じるほどでした。
ですが、私はもうこれ以上夫と夫婦でいることはできないと限界を感じ、決心したのです。
物が溢れかえり生活すること自体が困難なことも離婚の理由ですが、何よりも残念だったのは、夫婦として積み上げた信頼関係が一つも無いことなのです。
土台となるもの…私が思うには結婚生活の中で、大変な時期にどれほどお互いに協力し合えたのかということが、結婚生活の土台となるのだと思います。
大変に感じた子育ての時期、継子との関係性作り…振り返れば、最初から悩みの多かった生活の中で、私はいつも孤独でした。
夫が自ら手助けしてくれたことは、覚えている限り一度もありませんでした。
彼はいつも自分の快適さのみを追求してきたのです。
夫を責める気持ちが無いと言えば嘘になりますが、それが夫という人間であり、私が変えることのできない人格なのです。
ためこみ症が周囲からの働きかけがあっても変わらないのと同じで、夫の人格、性質は人から指摘されて変わることはありません。
それは、他人に関心がないということに起因しているのかもしれません。
考えてみると結婚生活の中で、夫にも辛いことがあったかもしれませんがそれを私は知りませんし、逆に言えば私も夫を助けてあげたことがないのでしょう。
共通の思い出もなく、お互いを助け合った経験もない私たち夫婦に、信頼関係など築くことはできなかったのは当然の結果だと言えます。
「夫が死ぬまで面倒を見て、彼が死んだ後はこの家を片付けるのだ。」
私が自分に課した「〜ねばならない。」という考えを捨てて、離婚を選択することは、今までの自分の生き方を根底から見直すことでした。
私が勝手に感じている夫に対する責任感は、愛ではなく私の性質による「こだわり」なのだと今更ながら気づいたのです。
離婚して私がこの家を出たとしても、夫は今と変わりなく、自分の欲求を追求し続けることで満足なのだろうと、毎日悩んだ末に結論を出しました。
継子を含む最愛の息子たちも、もう大人なのです。そろそろ子離れしなければ。私自身の自由や幸せを優先させても、彼らにはあまり影響はないだろうと考えました。
いろいろと悩んだ末に、離婚の道を選び、もうすぐ2年が経とうとしています。
どうやら夫は私の予想通りに…いえ、どうやら私がいた時よりも活動的になったようで、元気に楽しく暮らせているようです。
夫にとっても離婚は、硬い表情の妻が離れたことでホッとした面もあるのでしょう。
物は相変わらずのペースで増え続け、私が死守していたエリアも物で埋まってしまったらしいのですが…。
三男が自宅から通勤しているので、それだけが気がかりではありますが、連絡を取りながら本人の意思を尊重するしかありません。
限りなく増え続ける物との戦いは、私が放棄することで終わりました。
今はもう、物が増えていくことに不気味な不安を抱えることもありません。
夫に対して「早く死ねばいい。」と朝から晩まで願うような、醜い心でいなくても良いのです。
夫と生活していた頃は、「この人のせいで大変な思いをしている」と不満を持ち、挙げ句の果てには「早く死んでほしい。」と願うまでに至ったのですが、私にも多くの欠点があることに気づきました。
ためこみ症という性質を持った夫との27年に渡る結婚生活を終えて、新たに独りの生活を始めたことで、改めて私という人間を見つめ直す余裕ができました。
人生の中で起きる問題には、時が解決してくれるものもあれば、そうでない場合もあります。
そして、自分が解決できるもの、できないものの判断もせねばなりません。
自分が努力さえすれば全ての問題は解決するのだ、という傲慢な考えをかつての私は持っていました。
それは他人を思い通りに動かそうとしていることと、変わりありません。
夫は全く変わらない、絶対に動かせない人でした。
そんな場合は撤退するという手段しかないのです。
あるいは、腹をくくって一生をあの家で過ごす事も、辛抱強い私はできただろうと思います。
ですがそれは、現実から常に逃避し、自分をごまかし続けることでした。
離婚して、長年付き合った悩みを手放すことで、今確かに自分から逃げる事なく、しっかり生きていることを感じています。
私が今過ぎ去った日々を振り返って感じるのは、後悔ではありません。
新しい自分に、この歳になって生まれ変わったような、そんな清々しい気持ちです。
しっかり自分の生活を立て直し、残りの人生を生きていきたいと考えています。
ためこみ症の家族として悩んできた27年の経験が、同じように苦しんでいる方にとって、ほんの少しでも心を軽くするきっかけになれば嬉しいです。













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